「この大会は、聞こえない人、聞こえにくい人、聞こえる人がともに作り上げた。東京から、真の共生社会の姿を世界に発信することができたことを心から誇りに思う」
日本で初めて開催された、聴覚障害者の国際スポーツ大会「東京2025デフリンピック」は、11月26日、東京都渋谷区の東京体育館で閉会式が行われ、12日間のすべての日程を終了した。報道によると、日本選手団は金メダル16個、銀メダル12個、銅メダル23個の合計51個のメダルを獲得したという。金メダル数、総数共に史上最多となった。
佳子さまも閉会式に出席
閉会式には、秋篠宮家の次女で、全日本ろうあ連盟非常勤嘱託職員の佳子さまもブルーのワンピースにマスク姿で出席した。小池百合子・東京都知事は、冒頭のように挨拶した。
「東京2025デフリンピック」開会式には、佳子さまをはじめ秋篠宮ご一家4人全員が出席するなど、皇室の方々の応援が目立った大会だった。
11月22、23日には紀子さまと長男の悠仁さまが、東京都にある離島の伊豆大島(東京都大島町)を一泊二日で訪れた。23日、2人は、「東京2025デフリンピック」のオリエンテーリング競技を観戦した。オリエンテーリングは、地図や方位磁石を使い、自然コースでチェックポイントを回りながら、走破するタイムを競い合うもので、2人は、男子リレー決勝のゴール地点でレースを見守った。
これに先立ち22日、紀子さまたちは、2013年に台風による大雨で発生した土砂災害の慰霊碑を訪れ、供花した。そして深々と拝礼し、犠牲となった人たちの冥福を祈った。さらに、被災者の「語り部」や元消防団員らとも懇談している。
11月25日、天皇、皇后両陛下と長女の愛子さまは、東京都江東区にある東京アクアティクスセンターを訪れ、デフリンピックの競泳を観戦した。ご一家でデフリンピックの競技を見るのは初めてだったが、選手たちの力強い泳ぎに感銘を受けた様子で、盛んに手話で拍手を送っていた。また、この日、紀子さまはバレーボール、佳子さまはテニスをそれぞれ都内で観戦している。
以前、この連載で紹介しているが、10月28日午後、東京・元赤坂の赤坂御苑で開催された秋の園遊会で天皇、皇后両陛下は、招待客の全日本ろうあ連盟の石野富志三郎・元理事長と歓談した。その中で、両陛下は「東京2025デフリンピック」に触れ、「いい大会になるといいですね」「楽しみでございますね。日本で初めての大会ということで記念すべき年になりますね」などと、なごやかに話していた。
《スカートが二段になった白縮緬地の御洋服。毎朝神々を遥拝される際にお召しになる御洋服として、清浄を表す白地の洋服が用いられました。このような御洋服は何着かあり、毎日続けて同じ服はご着用にならなかったと伝わります。明治時代に昭憲皇太后が、宮中の洋装の基盤を作られたことはよく知られています。貞明皇后もそのご意思を継ぎ、宮中において洋装は定着しました(略)》
天皇、皇后両陛下は「貞明皇后と華族」をご鑑賞
天皇、皇后両陛下は、愛子さまがラオスを公式訪問中の11月20日、東京都豊島区目白の学習院大学構内にある「霞会館記念 学習院ミュージアム」を訪れ、霞会館との初めての共催展「貞明皇后と華族」を鑑賞した。貞明皇后(1884|1951)は大正天皇の后で、天皇陛下や秋篠宮さまの曽祖母にあたる。
同館のミュージアム・レターには前述のように紹介されている貞明皇后の衣服をはじめ、稲穂とスズメの模様がある貞明皇后の布製のハンドバッグや白い靴、硯、それに大正天皇の書などが展示されている。愛子さまは陛下と10月に、この展覧会を訪れているという。
私は、両陛下が鑑賞した翌日の11月21日、この展覧会に足を運んだ。大学構内の木々の葉は色づき、日に照らされ、とてもきれいだった。展覧会の会場に入る前、大正時代の初めというから、昭和天皇が10代のころの、子犬を抱いた母親、貞明皇后や昭和天皇の映像などが映し出されていて、この親子関係に興味を持った。
これも、この連載で触れているが、昭和天皇は還暦を前にした1961年4月24日の記者会見で、60年を振り返って楽しかった思い出はどれかと、記者から尋ねられ次のように答えている。
「いろいろあったが、何といってもいちばん楽しく感銘が深かったのはヨーロッパの旅行です。中でも英国でバッキンガム宮殿に三日泊まってジョージ5世陛下と親しくお会いし、イギリスの政治について直接知ることができて参考になった。当時、私はナポレオンやフランス革命史をおもしろく読んでいたので、フランスではベルサイユ宮殿でルイ王朝をしのび、国民会議発祥の地ジュ・ド・パォームを訪ねて非常に感銘が深かった(略)」
1921年(大正10年)3月から半年間、昭和天皇は、イギリス、フランス、ベルギーなどを見て回っている。当時、昭和天皇は19〜20歳で、第1次世界大戦が終わった直後のヨーロッパを肌で知り、イギリスの名君として知られるジョージ5世ら多くの要人たちとも触れ合い、大きな刺激を受けている。
昭和天皇は、子どものころから歴史好きだったといわれているが、1976年11月、記者たちとの次のようなやりとりがある(文春文庫『陛下、お尋ね申し上げます』より)。
《記者「陛下は、お若い頃生物学より歴史の方がお好きだったと聞いております」
昭和天皇「(略)私は歴史を学ぶ途中で生物学に興味を持つようになりました。(略)歴史に私が興味を持っていたのは、御学問所の時代であった。主として箕作博士の本で、一番よく読んだのは、テーベの勃興からヨーロッパの中世時代にわたる、英仏百年戦争の興亡史であった。箕作の本に興味を持ったのは、第一次大戦の戦争史で、そういう戦争や政治史に関係したものに、興味があった(略)」》
わが国における西洋史の権威、箕作元八から若き日の昭和天皇は多大な影響を受けている。先の大戦時、昭和天皇はまさに、世界史の主人公の一人となるのだが、こうした激動の戦中、戦後を乗り越えるうえで、古今東西の歴史から得た知識や教訓、そして、知見などが昭和天皇を大いに助けたのではなかったか。歴史好きに導いたのは、あるいは、聡明な母、貞明皇后の力ではなかっただろうかと、これもまた、愚推してしまう。
長い皇室の歴史の中で、女性皇族の果たした役割は小さいものではないのだが、これまで、あまり光が当てられてこなかった印象が強い。皇室に生まれ育った愛子さまや佳子さまたちが、貞明皇后や香淳皇后らの不屈の人生に目を向け、調査研究していただけるとうれしい。
<文/江森敬治>
