「和泉雅子さんは毎年、ここ北海道士別市で、夏は3か月間ほど、冬も12月からお正月まで過ごされていたんです。ご存命でしたら、今もこちらにお越しいただいていたと思います」
このように語るのは、和泉さんと長らく交流していた士別市立博物館の元館長、水田一彦さん。2025年7月9日に亡くなった彼女を偲んで、在りし日を振り返った。
「和泉さんは東京の銀座生まれ。1961年に『日活』の専属女優となり、吉永小百合さん、松原智恵子さんと“日活三人娘”と呼ばれて活躍。1983年にテレビ番組の企画で南極を訪れたことがきっかけで、壮大な自然の世界に魅了され冒険家に“転身”して、北極点への到達に挑戦しました」(スポーツ紙記者)
その後、1989年に日本人女性として初の北極点到達に成功。そのためにスノーモビルなどの特訓をした地が士別市だった。
「和泉さんも士別を気に入ってくださったんです。北極点到達後の1991年に、探検時に使用したスノーモービルなどを博物館に寄贈してくれました」(水田さん、以下同)
1997年には士別市に“マークン山荘”と名付けたログハウスを建て、東京と行き来する生活を続けた。
粋で気っ風がよい“江戸っ子”
「夏は士別市内を流れる天塩川でカヌーに乗って川下りをし、釣った魚を自分で調理したり。冬はスキーやスノーモビルをしたり、季節ごとのレジャーを楽しみながら過ごされていました。地元住民との交流も積極的で、博物館で行われたそば作りの体験に飛び入りで参加したり、地元の子どもたちと雪遊び体験もしてくださいました」
和泉さんと長年親しくしていた士別市の住民男性の1人も、このように語る。
「マークン山荘を建てた土地は、もともと私の所有する牧場の一部で、場所をお貸しするご縁で仲よくさせていただきました。和泉さんの人柄をひと言で表すと“江戸っ子”。粋で気っ風がよく、言ったことは必ず実現させる、そんな方でしたから、士別でも信頼されてました」
そんな和泉さんには“相棒”もいたという。
「マークン山荘近くの小屋に“サラヒメ”という名前の牝馬を飼っていまして。和泉さんが東京に帰っている間は私がお世話をしていましたが、士別にいる間は彼女が毎日、エサをあげたりブラッシングをしたりと可愛がっていました。サラヒメも和泉さんにすごく懐いていたんです」(前出の住民男性)
和泉さんに会いたそうなサラヒメ
長年、士別での生活を楽しんでいた和泉さんだが、2020年からのコロナ禍で一時期は通うのが難しくなる。
「士別に来られない時期もサラヒメのことを気にかけていました。コロナが収束して再び士別に通えるようになったのに……。この子が元気なうちは私が世話を続けるつもりです。今でも、時折、和泉さんに会いたそうに佇んでいて、見ていて切ないですよ」
主人の帰りを待ち続けているのはマークン山荘も同じ。
「コロナ明けから和泉さん自らマークン山荘の屋根や外壁のペンキを塗り直すなど修理をして、新築のようにキレイにしたばかりでした。住み続けたかったんでしょうね。今後の山荘の管理は、ご遺族の意向もあると思いますし、どうなるか私もわかりません。
この山荘で和泉さんは多くの人を招いて食事会とか開いた、いわば憩いの場でしたから、残し続けてほしいです」
士別の風景は、和泉さんの帰りを今も待っている─。
