女優でタレントの遠野なぎこさんが亡くなっていたことが明らかになったのは、2025年7月。東京都内の自宅で遺体が発見され、その後、本人であると正式に発表された。
「遠野さんは子役として芸能界入り。女優としてドラマや舞台で活躍する一方、バラエティー番組でも存在感を発揮していました。10代半ばから摂食障害と闘ってきたことを明らかにし、心の不調や生きづらさも隠さず語りました。突然の訃報は、芸能界のみならず、多くの人たちに衝撃を与えました」(スポーツ紙記者)
遠野さんと番組で共演してから交流するようになり、頻繁に連絡を取るようになったというタレントの小原ブラス。急逝の報に接した当時の心境をこう振り返る。
「LINEしても既読にならない状態が続いて、公式に発表されるまでは、生きているとも亡くなっているともわからなかったんです。なので、訃報を聞いたときは、時間をかけて、緩やかに受け止めました」(小原、以下同)
悲しみは、即座にあふれ出るものではなかったそう。
悲しいときは、悲しんだほうがいい
「ハッキリと悲しみきれなかったこと自体が、逆に悲しくて。遠野さんはよく“悲しいときは、とことん悲しんだほうがいい”と口にしており、それを遠野さん本人に対してできなかったのが心残りです」
最後のやりとりで話題になったのは、遠野さんが出演していた番組に関わっていたプロデューサーが逮捕されたという報道だった。
「仲がよかった人で、逮捕される数日前にも電話で明るく遠野さんと話していたそうです。だから余計にショックだったみたいで。その前にも、仲のよかったスタッフが番組からいなくなったりして、やるせなさを感じており、それを共有し合っていました」
そうしたやりとりの中で、遠野さんが口にした“私たちは世の中に迷惑をかけないように生きようね”という言葉が今も印象に残っている。
「キツイことを言うイメージがあるかもしれませんが、実際は人の痛みにすごく共感することができて、他人の痛みを自分の痛みのように感じる人でした」
テレビで見せる姿とは異なり、人の痛みや苦しみに誰よりも敏感だった。
食べ物にはほとんど手をつけず
「仲よくなりすぎると、相手を傷つけないように、あえて離れていくこともありました」
それが彼女なりの、人との向き合い方だったのかもしれない。遠野さんと小原は食事にもよく行ったが、食べ物にはほとんど手をつけなかった。病気や家庭の話題には触れず、世間話だけを交わす。その距離感が、2人の心地よい関係を保っていた。
「遠野さんは決して“かわいそうな人”じゃない。苦しさを知っているからこそ、小さな幸せを誰よりも感じることができる人でした。70歳とかの彼女も見たかったですが、遠野なぎこという人生をやりきったと思います。もし、言葉をかけられるなら、来世では、ごはんをお腹いっぱい食べてね、ですかね」
幸せと痛み、その両方を抱えながら生きた45年。その姿は、近しい人の胸に、静かに残り続けている。
