みのもんたさん

 みのもんたさんの訃報が日本中に衝撃を与えたのは、'25年3月1日のこと─。

 同年1月16日に焼き肉店で食べ物を喉に詰まらせて救急搬送され、一時は意識不明の重体に。治療を続けていたものの、自宅に戻ることは叶わなかった。

司会者”としてギネス世界記録に認定されたみのもんたさん

『おもいっきりテレビ』

「みのさんは'67年に文化放送に入社して、アナウンサーとしてラジオ番組のパーソナリティーを務めて活躍していました。'79年に退社すると、その主戦場をテレビに移し、名司会者としての地位を確立。お茶の間で誰もが知る存在になりました」(スポーツ紙記者、以下同)

『午後は○○おもいッきりテレビ』(日本テレビ系)や『クイズ$ミリオネア』(フジテレビ系)、『学校へ行こう!』(TBS系)など、幅広いジャンルの番組で人気を博したみのさん。'05年には『第56回NHK紅白歌合戦』の司会を務めた。

「'06年には“1週間で最も長時間、テレビの生番組に出演する司会者”としてギネス世界記録に認定されました。'08年に自身が持つ記録を更新すると、'19年まで破られることはありませんでした」

 みのさんがその名を轟かせたのはテレビだけではなく、

「銀座で飲み歩くことは、みのさんにとって生きがいで“銀座の帝王”の異名をとるほどでした。いつも4~5軒のクラブを飲み歩き、ひと晩で使った金額が200万円を下らない日も多かったようです」

 '19年にパーキンソン病を発症して、'20年からはテレビの仕事をセーブするようになるも、

「病がわかったときに嘆いていたのは“銀座に行けなくなること”だったとか(笑)」

 処方された薬の名前が高級シャンパンの名前に似ていたことから、まじめに投薬治療を続けて、

「“全盛期”より頻度が落ちたものの、週に1回程度は銀座に足を運び、自宅でもお酒を嗜んでいたそうです」

 その自宅はというと、鎌倉から江の島を一望できる場所にある。

「およそ3000坪という広大な土地に建てられた大豪邸で、推定17億円ともいわれています。'12年に妻の靖子さんが亡くなってからは、みのさんが1人で暮らしていました。みのさんが亡くなった翌日、その自宅の窓をこじ開けようとする2人組の男が発見される事件が発生しました」

 地下室は物色された形跡があり、みのさん宅の金品を狙った強盗だとみられていた。

亡くなってから約10か月、現在は

 みのさんが亡くなってから約10か月。現在は、どうなっているのか─。

 現地を訪れると、辺りでひと際目立つ建物の敷地に植えられた木々は、定期的に手入れがされているように見える。寒さを感じ始めた時季だったが、落ち葉が散らかる様子もなかった。

2003年、週刊女性の直撃取材に豪快な笑顔で応じてくれたみのもんたさん

「みのさんが亡くなってからは誰も住んでいないと思いますよ。でも、時折、車が止まっているので、定期的にどなたかが来ているようです」(近隣住民、以下同)

 長女、長男、次男と3人の子どもがいたみのさん。家族が豪邸の後片づけに来ているのか。

「お子さんたちではないと思います。おそらく事務所か業者の人じゃないかな……。場所がよくて土地も広いし、これだけ大きい建物なので、相続のことも、そう簡単に決まらないんでしょうね」

 “ファイナルアンサー”は、いかに─。