芸歴30周年を迎え、さらに活躍の場を広げるお笑い芸人のはなわ。プライベートでは結婚25周年を迎え、妻の智子さんと「いい夫婦 パートナー・オブ・ザ・イヤー2025」芸能部門を受賞。また自身の子育てを綴った単行本『柔道3兄弟と天然ママと僕 はなわの楽しい子育て』も話題を呼んでいる。そんな彼に30年間の思い出を直撃。そこには愛と笑いが詰まったまっすぐな生きざまが……。
東日本大震災とコロナ禍の影響
高校卒業と同時に佐賀から上京し、お笑いの専門学校に入学したはなわ。講師が芸能事務所「ケイダッシュ」のマネージャーだった縁から、「自然と、そのまま所属することになった」と言う。
「その先生が面白い生徒をピックアップしてライブをやってたんです。タイトルが“ケイダッシュライブ”で、最初は“これ何だろうね?”なんて言いながら出てました(笑)」
30年間で印象に残っている出来事を喜怒哀楽に合わせて挙げてもらうと、「喜」はやはり'03年『佐賀県』の大ヒット。それまでなかなか売れず、'00年には結婚&長男誕生。生活が苦しかった時期だけに、喜びもひとしおだった。
「子どもが生まれてケツに火がついて、結果を出さないとヤバいと必死でやっていたんです。なので人生が変わりましたね。芸人として食えるようになったことが本当にうれしかった」
続いては「怒」といきたいところだが、怒ることがあまりないという。なかなか出てこず、いったん「哀」へ。挙げたのは東日本大震災とコロナ禍だ。
「震災では仕事でお世話になった町でも犠牲になってしまった方がたくさんいらっしゃるし、新型コロナは予想もしていなかったことが起こったし。どちらもつらい出来事でした」
はなわ家は震災後、東京から佐賀へ。もともといつか佐賀で子育てをしたいと夫婦で話していたが、昔から「観覧車にも絶対乗らないくらいに地震を怖がっていた」という智子さんの不安もあり、移住を決めた。
「僕は東京と佐賀の2拠点生活。佐賀はすごくいいところで最高だったんですが、コロナ禍になって行き来できなくなり。当時は10年くらい続く気がして、家族でまた関東に引っ越したんです。離れるときは悲しかったし、いつかまた佐賀のために何かしたいなと思ってます」
ポリシーは「家の中で人の悪口を言わない」
そして「楽」は「孫が生まれたこと」と即答。昨年、長男夫婦に男児が生まれ、48歳でおじいちゃんに。「やっぱり孫は可愛いですねえ」と目尻を下げる。何と呼ばれたいか尋ねると、
「“おじいちゃん”みたいなガッツリした言葉で呼んでほしい気もするし、“じいじ”がいいかなという気もするし。“はなわ”でも面白いですよね」
と楽しい想像が膨らむ。ちなみに、「はなわ」は智子さんからの呼ばれ方。
「嫁さんは中学の1学年先輩なので、当時の呼び方が今でも続いてるんです。僕も付き合ってからだいぶたつまで“林さん”と呼んでました(笑)」
最後に残った「怒」、頭をひねりながら絞り出した回答は、「『紅白歌合戦』に出たいけど、全然話が来ないことですかね」と。
「今年も“来るかな!?”とドキドキして“来た!”と思ったらHANA(笑)。これまでも、なにわ男子だったりWANIMAだったり、微妙に違っていて。来年は、はなわで出場者一覧に載るように頑張んなきゃ」
さて、はなわには忘れられない言葉がある。智子さんが妊娠し、生活のためにお笑いをやめようかと考えたときに智子さんから言われたものだ。
「就職すればたぶん収入も安定するし、子育てのためにそのほうがいいと思ったんですけど、“絶対にやめちゃダメ、絶対売れるから”って。僕のネタ、大して見たことないのに(笑)」
子育て本にも詳しく書かれているこのエピソード、夫妻の絆の強さが伝わってくる。また、「家の中で人の悪口を言わない」というポリシーも印象的だ。
「そういう場の空気って品がない感じがして嫌なんです。それに、人間誰しも才能を持っているという考えが僕にはあって。誰に対してもリスペクトの思いがある。芸能人だけじゃなくて、一般の人とか息子たちに対しても“すごいな”と、いつも思ってるんですよね」
実直で誠実な人柄が伝わる語り口。だが、華やかな芸能界で大ブレイクし寝る暇もないほど大忙しだった時期に、遊びたいと思うことはなかったのだろうか?
「確かにモテたしチヤホヤされました。でも、そこにハマることはなかったです。嫁さんに喜んでもらう、家族を笑顔にするっていうのが目標でしたから。売れて思ったのは“これで借金返せる!”(笑)。1品おかずが増えたり、たまに外食できるようになったことが、めちゃくちゃうれしかったですね」
“亀であれ”という信条を胸に
豪快に見えて実は常に仕事のことを考えてしまい、寝られないこともあるそうで、「ノンストレスで生きるのが最大の目標だけど、たぶん無理」と笑う。
「この間も嫁さんと港に行ったら、豪華客船が寄港してたり、セレブみたいな人たちが散歩していて。“ああいう人になりてえな”って言ったら、“種類が違うから無理”って言われました(笑)。“こんな客船に乗ったら、仕事どうしようって不安でしょうがないでしょ”って。確かにそうなんですよね。知り合いが海外旅行に1週間行くとか聞くと“長っ!”て思っちゃうくらいだし」
その根本にあるのは、「この仕事が好き」という気持ち。
「性格的にサラリーマンはできないだろうし、楽しく遊ぶような感覚で自分にできる仕事って、芸能界しかないと思って入ったんです。だから、そこにプラスして遊びたいという感覚がわからなくて」
“亀であれ”という信条を胸に、地道に努力しながら歩んできた30年。お笑いや音楽に加え、佐賀市のプロモーション大使や出生地・春日部市のかすかべ親善大使、野球チーム「埼玉武蔵ヒートベアーズ」の臨時コーチ、さらに佐賀の料理やお酒を提供するフードバーも手がけるなど、活動範囲は無限大だ。
「家族にも“本当にいろんなことやってるよね”とよく言われるんですが、全部やりたいことなんです。目指すのは、何屋なのかよくわからない人。はなわという一つのジャンルとして理解されるところまで、いきたいと思ってるんですよね」
1月12日には芸歴30周年ライブを開催する。
「笑えて泣けて胸アツになれる、唯一無二のライブです。30年の集大成なので、ぜひ見にきてください!」
存在自体も唯一無二。とことん熱く優しい男は、この先も私たちを楽しませてくれそうだ。
11月22日、いい夫婦の日に発売された著書『柔道3兄弟と天然ママと僕 はなわの楽しい子育て』(徳間書店/税込み1760円)
取材・文/今井ひとみ
