「あなたがいたから僕がいた。こころの支えをありがとう」
1月12日に母の原武輝代さんが亡くなったことを、翌13日に自身の有料ファンクラブで発表した郷ひろみ。
「1月17日に葬儀と告別式が行われ、喪主は郷さんが務めました。郷さんは、毎年のように輝代さんの誕生日をお祝いした写真をインスタグラムに投稿していました」(スポーツ紙記者、以下同)
スーパーアイドル誕生の裏には、母の存在があった。
「郷さんが15歳のとき、近所に住む女性が内緒で映画の出演者募集に写真と書類を送りました。一度はオーディションを受けると言った郷さんですが、直前で“やっぱり行きたくない”とゴネ始めたところ、輝代さんにビンタされ“一回言ったら最後までやるのが男だ”と怒られたそうです。オーディションは不合格でしたが、会場にいたジャニー喜多川氏に声をかけられて芸能界入りしました」
輝代さんからかなり厳しく育てられたようだ。
「箸の持ち方や茶碗を持つ両肘の角度が悪かったりするとすぐにたたかれたそう。口答えは許されず、すぐにビンタ。輝代さんはスパルタ教育だったみたいです。郷さんの家では勉強の成績より礼儀を重んじていたといいます」
その“しつけ”は長い年月がたち、スターになっても変わることはなかった。
60歳になっても叱ってくれた母
「2015年に郷さんの父親が他界。出棺の挨拶をするように輝代さんから言われた郷さんは、生前の父親とのエピソードを話している最中に、いつもの癖でつい腕組みをしてしまったそう。すると隣にいた輝代さんが郷さんの左肘をひっぱたいたそうです。当時、郷さんは60歳になる年。それでも母親として、息子に対する厳しさは変わらず。郷さんは“今の僕を叱ることができるのは、僕を知らない人か母だけ”と話していました」(芸能プロ関係者、以下同)
輝代さんの“お叱り”のほかにもう一つ、大きな影響を与えたものが……。
「郷さんが小学生のころ、輝代さんからよく着させられていた赤いシャツです。当時、赤は女の子の色という考えが強く、赤いシャツを着た男の子は珍しかったので“赤シャツくん”というあだ名で呼ばれるように。からかわれることもあったのですが、“自分に合う色を選んでくれた”と素直に受け止めて、赤いシャツを着ていたようです」
この経験が今日の“郷ひろみ”を形成した。
「世間の既成概念にとらわれない、芯の強い女性だった輝代さんから、自分が正しいと思ったことを貫き通す強さを学んだようです。子どものころの“赤いシャツ”が郷さんのオリジナリティーをつくり上げたのでしょう」
感謝の想いは、天国に届いたにちがいない。
