小学生で突然告げられた、全身の神経に腫瘍ができる難病。その後首、脳、腕ーーこれまでに9回の大手術を受け、声と聴力を失い車椅子での生活を余儀なくされた。手術室に入るたびに襲う「もう目覚めないかもしれない」という恐怖。同じ境遇の仲間、支え続けてくれた夫、そして発信することで見つけた“生きる意味”。壮絶な過去と、前を向く現在を追った。
「子どものころ、全身の神経に腫瘍ができる難病を発症し、これまでに首や脳、腕など計9回の手術を受けました。昨年11月にも脳の腫瘍を切除する大手術を終えたばかり。
毎回手術は本当にしんどいし、手術室に入る前はこのまま目覚めないかも……という強い不安に襲われます。でも夫やSNSで知り合った同じ境遇の友人たちに支えられ、なんとか乗り越えてきました」
小学生で難病を宣告
そう話すのは長年、神経線維腫症2型という難病と闘い続けてきた田中佳奈さん(32歳)。神経線維腫症2型とは腫瘍を抑える細胞がうまく作られず、聴覚を司る聴神経をはじめ、全身の神経に良性の腫瘍ができる病気。腫瘍が大きくなったり、よくない場所にできたりして身体の機能に問題が起こると手術が必要になる。
「現在は足の筋肉が衰弱しているため車椅子生活で、聴覚と発声にも障害があります。19歳の時に脳内の聴神経に腫瘍ができて声を失い、20歳で右耳、29歳で左耳の聴力も失いました。30歳の時に人工内耳装着手術を行い、声帯も数年前に脂肪を移植して声を出しやすくする手術を行ったので、喉を手で押さえればなんとか発声できています」
神経線維腫症2型の症状が佳奈さんを襲ったのは、小学5年生のころ。
「縄跳びで左足が引っかかるようになり、病院を受診しました。しかし病院を転々としても病名はわからず、悪性腫瘍や小児がんではないかと言う医師もいて。両親はそのたびに自分を責め、追い詰められていきました」
4か月後、聴神経に腫瘍が見つかり、ようやく神経線維腫症2型であることが判明。左足の違和感も聴神経にできた腫瘍が原因だった。
「病気がわかった時、私は小学生だったのであまりピンとこなかったのですが、母が泣き崩れてしまって。病気の宣告よりも、母の悲しむ姿に強い衝撃を受けましたね」
佳奈さんを支えた音楽
当時はまだ病気の症状は軽く、学校で暗い雰囲気になるのも嫌だったため、同級生には話さなかった。
「でも先生たちには病気のことを伝えていて、体育の時間などに無理しなくていいよ、と特別扱いされたことが、かえってつらかったのを覚えています」
そうした葛藤の中でも、両親にはこれ以上つらい思いをさせたくないと苦しい気持ちを胸に秘め、一人で抱え込んだ。
「主治医からは、病状は20歳ごろから悪くなることが多いと聞かされていましたが、高校生になると徐々に足の筋力が低下して階段の上り下りも難しくなっていって。病気の進行を自覚して、これからもっと悪くなるんだという不安は強くなっていきました」
そんな佳奈さんを支えたのが大好きな音楽だった。
「中学時代は吹奏楽部に所属してクラリネットに夢中になりました。それから音大を目指して高校は音楽の専門校に通いましたが、19歳の夏、脳の聴神経にできた腫瘍が声帯の麻痺を引き起こし、突然声を失ったんです。音大の受験には歌のテストもあったので進学を断念せざるをえなくて。すごくショックでした」
それでも音楽に触れていたくて、高校卒業後はピアノ教室でアルバイトを始める。しかし20歳で親指の麻痺が起こり、腕の腫瘍を摘出。さらに右側の聴神経に腫瘍ができて右耳の聴力を失ってしまう。
「完全に音楽を諦めなきゃいけなくなり、人生に絶望しました。それからは就職もせずしばらくフラフラして。10代のころが、いちばんつらかったですね」
病気は容赦なく進行し、次々と苦難に見舞われた佳奈さんだったが、同時期に現在の夫と出会ったことで、少しずつ明るさを取り戻していく。
「過去に病気を打ち明けて男性にフラれた経験があったので、夫と出会った当初は病気のことを伝えていませんでした。でも彼のお父さんが私の歩き方を見て、あの子足悪いの?って。
夫は楽観的な性格なので病気を伝えても、そうなんだ~ってあまり気にしてない感じで。その気楽さがすごく心地よかったんです。デートでも私より変な歩き方で歩いたり、頭の手術をして顔面麻痺になった時も私以上に変な顔で写真に写ってくれたり。両親の前ではつらい思いを隠して生きてきたから、初めて楽に生きられる場所を見つけた気がしました」
付き合って3年目には結婚の話も出たが、なかなか受け入れられなかった。
「夫には、病気ももっと進行するし、多分子どもも持てないから、私じゃなくてよくない?って話したんです。でも俺が世話するから大丈夫!って、やっぱり楽観的で。あ~アホやなって(笑)それでもすごく悩んだけど、最終的には受け入れました」
そんな旦那さんの存在に加え、佳奈さんに生きる活力をくれたのがSNSで出会った同じ境遇の人たちだ。
積極的に情報を発信する田中さん
「SNSで、私と同じ病気と闘う子どものお母さんや、耳が聞こえない人たちが、自由でのびのびと発信している様子を見かけ、すごく励まされたんです。それから自分も積極的に病気のことを発信するようになりました」
現在は“たなちゃん”のハンドルネームで、病気に関する積極的な投稿やライフハックなどを発信している。
「実際にフォロワーさんたちと集まって話す機会も定期的につくっています。そこで出会った同じ病気の子から、私の発信を見て『頑張ろうと思えた』って言ってもらえたことはすごくうれしかったですね」
そうした経験から、現在は自宅でライターの仕事をしながら、障害福祉の理解を広めるための活動を行っている。
「私と同じ病気に苦しむ人や、その家族を勇気づけたり、手助けしたりできるような発信を目指しています。今も身体には腫瘍がたくさんあり、いつまた手術をしなければならないかわかりません。
でも、自分自身を発信することで誰かの役に立てるなら、それは本当に幸せなことだなって。これからも同じ境遇の人たちを勇気づける存在であり続けたいと思います」
取材・文/井上真規子
