名古屋放送局時代の小泉さん。手に持っているのは番組内で紹介したおにぎり形のクロワッサン 写真提供/小泉唯菜さん

 小泉さんが味わったのは理由もつかめぬまま続いた“声を出せなくなる”恐怖。周囲からの目を気にし、人付き合いや外出も次第に減っていったという。その後、完治の難しい「痙攣性発声障害」と診断され、NHKを退局。昨年、声帯を手術し、「伝える仕事」への再チャレンジを果たしている。

もともと喉は強いほうだった

 日頃から健康に気を使っていても、病気は思いがけないかたちで訪れることがある。それは生活習慣の乱れや、無理の積み重ねだけが原因とは限らない。何が起きているのかわからず、病名も確定しない日々は、不安を募らせる。

 元NHKのキャスターで、名古屋放送局の『ウイークエンド中部』『まるっと!』など、情報番組のキャスターやリポーターを務めていた、小泉唯菜(こいずみゆな/旧姓は清水)さんも、そんな不安な日々を4年近く過ごした。小泉さんにとって大切な商売道具である“声”に異変を感じたのは、甲府放送局にいた2021年ごろだった。

もともと喉は強いほうで、大声を出したり、カラオケで歌い続けても、声がかれることはなかったんです。でも、そのころは番組の後半になると、息切れするようになりました。ちょうど新型コロナが流行していた時期で、日常ではマスクをしていたので、肺活量が低下したのかな、と。そんなふうに考えていました」(小泉さん、以下同)

 いつもより発声練習や筋トレに励んだが、症状は改善せず、違和感だけが広がっていった。

1年ほどたって、だんだん2~3分のニュース原稿を読むのがつらくなるようになりました。息が続かず、むせてしまって、しゃべり続けることができないんです。喉飴をかたっぱしから試し、高性能な加湿器を購入するなど、思いつくことはすべてやってみました

 このころから、職場の人や視聴者からも「緊張しているの?」などと声をかけられるようになり、小泉さんの異変に周りも気づき始めた。そして、一向に改善しない症状に、先の見えなさが増し、医療機関を受診するようになる。

最初に訪れたのは耳鼻咽喉科でした。ポリープかもしれないと思ったのですが、違いました。自分なりにいろいろ調べて、ストレスが原因の心因性失声症ではないかと考え、心療内科へも。カウンセリングを受け、薬も飲んでいましたが、よくなる気配はありませんでした

 正体の見えない敵と戦うような日々が続く。日常生活にもだんだん支障が出るようになってくる。

不安は再び大きくなって行った

お店で店員さんを呼ぶときの“すみません”の“す”が出てこないんです。そのころは、心配されるのが苦手だったというのもあり、友人との付き合いもだんだん控えるようになっていました

2019年4月からNHKの甲府放送局でアナウンサーの道に。2022年に名古屋放送局に異動するも、痙攣性発声障害により2024年の3月に退職を決意。現在はホテルの広報業務を担いながら、趣味のキャンプや釣りの様子をSNSにアップしている。写真は術後、入院中の様子 写真提供/小泉唯菜さん

 そして2023年、小泉さんは、転勤先の愛知県で大学病院を受診し、「痙攣性発声障害」と診断される。「痙攣性発声障害」とは、声を出そうとすると自分の意思とは無関係に声帯周辺の筋肉が過度に収縮。

 声がつまったり、震えたりする症状が現れる疾患だ。原因は明らかになっておらず、現時点では完治が難しいとされている。

まず、病名がわかり、きちんと治療に進めることにホッとしました。これでアナウンサーの仕事を続けられるかもしれない、と

 3か月に1回のペースで通院。声帯に直接注射を打って、筋肉の緊張を緩和する治療を開始する。

ただ、症状を抑える効果はあるのですが、一時的なもので、注射を打ち続けなければなりません。良くなっていくわけではなく、ひどいときには、ささやき声さえ出ないほどでした。本当に仕事を続けられるのか、不安は再び大きくなっていきました

 仕事を続けるか、辞めるか。その間を何度も行き来し悩んだ末、小泉さんは、テレビの仕事からいったん離れ、NHKを辞める決断をした。

大学生のとき、地元・静岡で観光大使を務めた経験があります。そのとき、言葉の選び方や声のトーンひとつで、伝わり方が大きく変わることを知りました。アナウンサーを目指すようになった原点です。『声で伝えたい』という思いが、ずっと私の中にありました。

 だからこそ、その声が不完全な状態で仕事を続けることは、プロとしてどうなのか。もともと、白黒をはっきりさせたい性格なんです。声の仕事がしたくてNHKに入ったので、ここでアナウンサー以外の仕事をするという選択肢はありませんでした」

 2024年3月にNHK名古屋放送局を退局。そして、SNSで病気を公表した。定期的に治療を続ければ、日常生活に大きな支障はない。調子の良い日には、普通に話せることも。

公表することが誠意だと感じた

 だがその一方で、見た目では不調がわかりにくいという難しさも抱えていた。もともとの性格もあり、家族や周囲に心配をかけたくないという思いから、つい何でもないように振る舞ってしまうことも多かったという。

息が上がるため手術直後は断念していた登山だが、喉の回復により、昨年の夏ごろから趣味に 写真提供/小泉唯菜さん

正直な気持ちを言うと、中途半端に話せるくらいなら、いっそ『まったく声が出ません』と言えたほうが、周りに伝わりやすいのに、と思うこともありました

 声に不自由さと不安を抱えていた日々について、「仕事に行くことも、友達と会うことも、外に出ることさえ怖かった」と振り返る。

唯一、素直に気持ちを話せていたのは夫くらいでした。実家の両親にも病気のことは隠していました。そんな中で、趣味も街遊びからアウトドアへと変わりました。キャンプや釣りをしていると、自然の中では、たくさんの言葉は必要ないですから

 そんな小泉さんが病気を公表した背景には、3つの理由があったという。

ひとつは、『痙攣性発声障害』という病気は症例が少なく、その存在を知ってほしかったこと。ふたつめは、かつての自分のように、不安から情報を探している人が検索でたどり着き、医療につながるきっかけや安心材料になればという思いです。

 そして最後に、アナウンサー時代、テレビの向こうで私の声を心配してくださった視聴者の方がたくさんいたので、公表することが誠意だと感じました

 2025年、小泉さんは新たな一歩を踏み出し、声帯筋を摘出する手術を受けた。

手術をしても完治とはならないのですが、ずっと注射を繰り返すよりも、自分なりに前に進みたいと思い、手術を選びました

 術後の経過は順調で、3か月ほど声が出ない期間を経て、現在は日常の会話に大きな支障はないという。

NHKを辞めたあと、ホテルの広報に転職し、SNSの運用などを担当しています。形は違いますが、“伝える”という仕事がとても好きなんです。いつかまた、テレビで声を通して伝える仕事ができたらとも思っています

 そう語る小泉さんの声は、明るく希望に満ちている。その声は、そう遠くない日にやさしい笑顔とともに、再び伝える力として、多くの人に届くに違いない。


取材・文/小林賢恵