スノーボード競技で日本だけでなく、アジア人女子初の銀メダルを獲得、ミラノ・コルティナオリンピックで日本女子最多の冬季五輪7大会連続出場の快挙が目前の竹内智香選手。華々しい経歴の裏には、血のにじむような努力、ケガによる苦悩が─。長年競技と向き合い続けられる秘訣を聞いた。
「2018年に出場した平昌オリンピックで勝負の世界が怖くなり、引退を考えたこともありました。でも、2022年の北京オリンピックでは勝負の世界と向き合う覚悟ができ、いい意味で開き直って楽しむことができました。
ミラノ・コルティナオリンピックでは、これまでの経験が統合されたすごくいいオリンピックになると思います」
そう話すのは、2014年のソチオリンピックスノーボード女子パラレル大回転で日本女子スノーボード初のメダルとなる銀メダルを獲得した竹内智香さん。ミラノ・コルティナ2026で、日本女子史上最多となる冬季オリンピック7大会連続出場という快挙が目前となっている。
42歳の現在も現役で活躍するアスリートが生まれたのは北海道旭川市。
「父の話によれば、私がスキーを始めたのは2~3歳のころだったようです。家の近くのサンタプレゼントパークやカムイスキーリンクスに家族を連れて行ってくれたそうです」(竹内さん、以下同)
兄2人がいる3人きょうだいの末っ子として育ち、小学校低学年のときには上級者コースを滑っていたという。
スキーよりもボードに興味を持った
「兄や年上のいとこたちと一緒に滑りたくて、必死についていきました。その気持ちがスキーの上達を促してくれたように思います」
竹内さんがスノーボードに興味を持ったのは小学校4年生のころだった。
「スキーとスキーブーツは子どもにとっては重く、特にスキーブーツは硬くて歩きにくいんです。だから、最初にスノーボードを見たときには、『軽そうなブーツで歩きやすそうでいいなぁ』と思いました」
滑りのカッコよさにも憧れてスノーボードに惹かれ、反対する父親を説得してスノーボードショップを訪れた。そのとき、店主に見せてもらったアルペンスノーボードの映像に魅せられて小学校5年生からスノーボードを始めた。
「アルペンスノーボードはスピードを競う競技で、勝ち負けがはっきりしているんです。スキーでスピードを出すのが好きだった私にとっては、すごく魅力的に感じました」
竹内さんは、父親の影響でオリンピックを意識するようになったそうだ。
「父はオリンピックが好きな人で、よく『子どもがオリンピック選手になってくれたらいいなぁ』と言っていました。14歳のときにテレビで長野オリンピックを見て、私が普段から滑っているアルペンスノーボードが種目になっていることを知り、“この競技でオリンピックに行きたい”という気持ちが芽生えました」
その後、18歳で2002年開催のソルトレークシティーオリンピックのアルペンスノーボード競技パラレル大回転に出場した。
人間は、追い込まれると頑張るしかない
「ゴールのほうから聞こえる地鳴りのような歓声くらいしか記憶になく、頭が真っ白な状態でオリンピックが終わったような感覚でした。22位という結果でしたが4歳上の先輩が決勝に進む姿を見て、“4年後のトリノでは絶対に決勝へ行こう”と思いました」
その決意を胸に、2006年のトリノオリンピックでは9位という結果となった。
「死ぬほどトレーニングを重ねたという自信はありました。それでも9位にしかなれず、国内での練習に限界を感じました」
竹内さんは2007年夏からスイスに拠点を移し、スイスのナショナルチームの練習に参加した。毎日膨大な数の単語を覚えて、3か月でドイツ語を習得し、生活費を抑えるために住み込みで家政婦のアルバイトをしながらの練習だった。
「もう一回同じ生活ができるかと言われたら、絶対にできないぐらい大変でした(笑)。人間というのは、追い込まれると頑張るしかないということを身をもって知りました」
すべてのことに誠実に向き合う姿勢は、幼少期からの経験で培われたのかもしれない。
「私の家族は、今は旭川の旭岳温泉にある『湧駒荘』という旅館を営んでいますが、以前はいくつかの飲食店を経営していました。餃子店を営んでいたときにはお昼ごはんのお弁当を作っていろいろな会社さんに届けるという業務があり、小さいころは一緒に車に乗ってお弁当を運んでいた記憶があります。また、神社のお祭りでは兄2人と幼稚園児の私がラムネ売りのお手伝いをしていました」
竹内さんは当時の経験を次のように振り返る。
「子どもながらに時給を稼ぐことの大変さや、ジュース1本を売った利益などを知ることができました。幼いころの社会経験を通して真摯に働くことの尊さを知ったことが、今でもまじめに努力を積み重ねていることに通じているような気がします」
銀メダルの喜びを4年越しで実感
2010年のバンクーバーオリンピックを経て2014年のソチオリンピックで銀メダルを獲得し、2018年の平昌オリンピック、2022年の北京オリンピックと連続出場を果たしている竹内さんだが、どのオリンピックがいちばん印象に残っているのだろうか。
「ソチオリンピックでは金メダルを目指していましたし、メダルをとれる力もありました。だから、悔しい思いでゴールを切ったのを覚えています。でも、応援に来てくれた日本の方々がとても喜んでくれて、メダルをとれたことにホッとした気持ちもありました」
いちばん苦しかったのはソチオリンピックの次の平昌オリンピックだと竹内さんは語る。
「金メダルを目指すと言ったものの前十字靭帯のケガや腰痛を発症し、メダル獲得は無理だと自覚しました。そんな中でスタートに立つことは本当に逃げ出したいぐらい嫌でしたし、できない自分を見てくださいというような気持ちでソチオリンピックとは真逆で本当に苦しい大会でした。
でも平昌大会の客席から表彰台を見たとき、選手たちがすごくカッコいいと思ったんですね。4年前は自分もあの場にいたのだと初めて認識して、平昌オリンピックまでの4年間が苦しかったからこそ、ソチオリンピックでメダルを獲得したことの喜びを4年越しでより感じることができました」
長年同じことを続けられるコツ
日本女性で冬季オリンピックに最も多く連続出場し、長年同じ競技を続けられる秘訣を聞いた。
「選手に限らず、世の中の人たちは皆、仕事だったり、結婚生活だったり、このままでいいのかなと悩むことってあると思うんです。私自身も一度競技から離れてやめかけたことがあります。やめることって簡単だからこそ、変わらないこと、続けることを大事にしたいなって思います。
迷うのであればまずは頑張って続けてみる。何かを変えたい、挑戦したいというときには周りの環境や人に変化を求めるのではなく、まずは自分自身と向き合うことを大事にしています。やめるときは自然と答えが出るもの。だからこそ、私は今回のミラノ・コルティナオリンピックで引退を決めました」
そんな竹内さんは、引退前最後のミラノ・コルティナオリンピックの先にどんな未来が見えているのだろうか。
「今のいちばんの目標はベストな状態で雪上に立ってスタートを切ることなので、先のことは何も考えられないんです。きっとオリンピックでやり切った後に、自然と次の夢や目標が見えてくるような気がします。もちろん、スノーボードの世界には携わっていたいですし、すでに着手している社会貢献や地域貢献にもしっかりと向き合い、さらに大きなものにしていけたらと思っています」
取材・文/熊谷あづさ
