直木賞受賞作『星々の舟』をはじめとする作品で、恋愛や結婚、家族といった身近で切実な関係を生々しい感情とともに書き続けている村山由佳さん。
近年は、婦人解放運動家の伊藤野枝の人生に迫る『風よ あらしよ』、「阿部定事件」の阿部定の核心に触れる『二人キリ』と評伝小説も上梓。最新作『しっぽのカルテ』には、動物病院の日常の中で人間の生きざまや命との向き合い方を描いた5つの物語が収められている。
心にしっとりと沁み込むような作品を書きたいと
「評伝小説は書いていて手ごたえがありますし、やりがいのあるお仕事です。その一方で、例えば『風よ あらしよ』の校正時には校閲の担当者さんから届いた段ボール2~3箱分の資料と格闘するなど、費やすエネルギーがフィクションとは少し違っていたんですね。
私自身、かなりの疲労感でしたし、読者の方も疲れてしまうのではないかと危惧する気持ちもありました。久しぶりに心にしっとりと沁み込むような作品を書きたいと思い、編集者さんに動物病院を舞台にしたお話を提案したんです」
物語の中心となるのは、信州の森の中にある「エルザ動物クリニック」。獣医師の北川梓院長を筆頭に4人の女性スタッフが働くクリニックには、日々、さまざまな飼い主と動物が訪れる。第一話「天国の名前」に登場する動物は白い子猫だ。
「私自身、Eテレの『ネコメンタリー 猫も、杓子も。』に出演させていただいたり、猫に関するエッセイを書いていたりと、猫で知られているところがありますから、最初の話は“猫”にしたんです」
瀕死の状態の白い子猫は、とある事情によって“猫を飼うつもりはない”と語る男性の手でエルザ動物クリニックに運び込まれた。
「物心がついたころから私の家には猫がいて、今は5匹の猫と暮らしています。猫というのは飼う、飼わない以前に出会ってしまうものだと実感しているんです」
村山さんの愛猫の“ひとり”である絹糸ちゃん(通称はお絹ちゃん)とは、お母様の葬儀の日に出会ったという。
「母が他界する1週間ほど前から実家をのぞく猫を目撃していまして、葬儀の日に私の足元から離れなくなってしまったんです。
その猫は近くのお宅で“半外猫”のような形で飼われており、葬儀の最中に『私に里子に出す気はありませんか?』という話をしていました。母の死よりも猫のことで頭がいっぱいになってしまい、連れて帰ってきたのがお絹なんです」
エルザ動物クリニックでの治療によって元気になった子猫は「真綿」と名づけられ、のびのびと猫らしい暮らしを送っていく。
保護猫の一匹の名前
「以前、鴨川に農場を持ち、自給自足の生活をしていたことがあります。当時、敷地の近くに置き去りにされた4匹の白い子猫を保護して飼いました。そのうちの一匹の名前が“真綿”なんです」
第二話「それは奇跡でなく」には、持病のある70代の女性と推定14歳の年老いた中型犬が登場する。加齢による症状に苦しむ愛犬を前に、女性は安楽死というつらい決断を下したのだが─。
「愛犬が病気で苦しみ安楽死の日を決めたものの、その前日に眠るように亡くなったという実際のお話が、この物語のヒントになりました。動物というのは私たちが思っている以上に、人間のことも言葉もわかっていると思うんです。
動物同士は鳴いて意思の疎通をすることはほとんどないですし、言葉に頼るしかない人間のことを『まったく、口をきかないとわかんねぇのか、おまえらは』と思っているような気がするんですよね」
物語の終盤には、女性が次のように語る場面がある。
《夜通し叫び続けるほど苦しみ抜いている最中でさえ、ロビンは私のことだけは気遣ってくれました。その身体を粗末に扱ったりすれば、次に会ったときに顔向けできませんものねえ……。》
「2018年にいちばん大切な猫のもみじを見送りました。そのとき、『この子がこれだけ私を愛してくれたのだから、この子がいなくなっても自分を大事にしなければいけないな』と思ったんですね。だから、この場面を書けてよかったと思っているんです」
第五話「見る者」では、モンゴルで過ごした北川院長の少女時代が描かれている。当時の院長の相棒はバトゥという名の馬だった。
「私は以前、馬と騎手が協力して160キロを24時間以内に走破するエンデュランス馬術という競技を行っていたんです。馬好きが高じて、馬を飼えるところに引っ越したいと思い、農地を手に入れるために農業権を取得し、お米を作ったりするようにもなりました」
モンゴルは、20年ほど前にテレビ番組の企画で旅をした場所だそう。
仕事をしないでヤフオクばっかり(笑)
「馬と徒歩での旅の途中、遊牧民の方が野ばらの実と薬草を集めてお茶を淹れてくれたんです。そのお茶がすごく美味しくて、一杯目を大地の神に捧げる姿が印象的でした。また、一緒に連れていったヤギを食料にするためにさばく様子は、荘厳な儀式のようでした」
第三話には言葉を話すオキナインコが、第四話にはウサギが登場するが、鳥もウサギも村山さんの古い記憶の中にある存在だという。
「小中学生のころに見た向田邦子さんのドラマの中で、九官鳥が覚えた言葉を再現するシーンが強烈に残っているんです。ウサギに関しては、私をつくってくれた本の一冊である『ウォーターシップ・ダウンのうさぎたち』というイギリスの児童文学を何十回も読み返しています。
こうして振り返ってみると、子どものころからの経験が今回の物語と結びついているように思います。動物だけではなく、人間模様やほのかな恋愛なども描かれているので、温かい気持ちで楽しんでいただけたらうれしいです」
最近の村山さん
「少し前から茶道を習いはじめまして、袱紗のさばき方など複雑怪奇な手順を自主練しています。私はもともと骨董品や器、道具、着物、掛け軸などの和のものが好きなので、ここへきて集大成といいますか、ヤバいものを見つけてしまったような感覚です。広くて深い沼にはまり、仕事をしないでヤフオクばっかりのぞいています(笑)」
取材・文/熊谷あづさ
村山由佳(むらやま・ゆか) 1964年、東京都生まれ。立教大学文学部卒。会社勤務などを経て、1993年『天使の卵―エンジェルス・エッグ』で小説すばる新人賞を受賞。2003年『星々の舟』で直木賞、2009年『ダブル・ファンタジー』で柴田錬三郎賞、中央公論文芸賞、島清恋愛文学賞、2021年『風よ あらしよ』で吉川英治文学賞を受賞。『おいしいコーヒーのいれ方』シリーズ、『二人キリ』、『PRIZE―プライズ』など著書多数。

