2月8日投開票の衆院選で、元タレントで自民党の森下千里氏(44)が、宮城県の小選挙区で初当選。これまで比例復活に甘んじてきた森下氏にとって、小選挙区での勝利は悲願であり、しかも相手は長年、選挙区で強固な地盤を築いてきた中道改革連合前議員・安住淳氏(64)。自民党内でも驚きの声が上がっている。
背景には、選挙期間中に全国的な広がりを見せた“高市人気”という追い風があったことは否めない。ただ、それだけで説明できる結果ではない。森下氏は2019年、芸能界引退後に単身、宮城の地に入り、雨の日も風の日も街頭に立ち続けてきた。そのなりふり構わない姿勢が無党派層を含めた支持へと結実したとみられる。
森下が政治の道を選んだ“原点”
ネット上にも、「元タレントという肩書きに頼らず、本気でやっているのが伝わってきた」「“辻立ちクイーン”と呼ばれるほどの地道さが、最後にものを言った」「追い風はあっても、勝因は本人の努力」と評価する声が相次いだ。
森下氏は2023年に『週刊女性PRIME』のインタビューに応じた際、政治の道を選んだ原点についてこう語っている。
「芸能界では政治的な発言ができませんでしたが、昔から政治には興味がありました。旅番組などで日本中を回るなかで、この国の良さを実感する場面がたくさんあった。地域や出会った方々に、何か恩返しがしたいという気持ちが強くなっていったんです」
愛知県出身の森下氏が、縁もゆかりもなかった宮城県から出馬した理由には、東日本大震災の存在が大きかったという。
「震災から10年がたった年に、風化させないために自分にできることは何か、と考えました」
新天地・宮城での生活は、新鮮さと同時に厳しさもあったという。初年度の街頭活動を振り返り、「今思えば本当に必死でした」と苦笑。
「5月ぐらいまで寒くて、スピーカーの電池が寒さでダメになることも。とにかく着込んで、毎日立っていましたね」
夏には強烈な日差しで、日焼けがヤケドのようになり、慌てて病院に駆け込んだことも。
「そのおかげで名前を覚えてもらえたり、声をかけてもらえるようになった。今振り返ると、頑張ったかいはあったなと思います」
芸能界の経験は「無駄ではなかった」
そんな森下氏の宮城での生活を、陰で支えてきた存在がいる。20数年ぶりに同居することになった母親だ。引っ越しのタイミングは、コロナ禍の緊急事態宣言下。思うように生活が成り立たず、心身ともに追い込まれた。
「スーパーも時短営業で、活動が終わっても食べるものがない。毎日コンビニで済ませていたら、1か月で周りが心配するほど痩せてしまって……。これはもう無理だと思い、母に“助けてください”とお願いしました」
人に頼るのが苦手だったという森下氏のSOSに、母親はすぐ応じ、生活面から精神面まで全面的にサポート。
「母には本当に感謝しかありません。祖父や叔父も町議会議員だったので、母からは『血は争えないね』と言われることもあります。政治の話をすることも多く、いろいろな意見をもらっています」
宮城に移ってから、夜の過ごし方も一変したという。
「東京では夜ごはんは外が当たり前で、誘いも多かった。でも今は夜10時には真っ暗。母も早く寝るので、私も自然と早寝になります。夜ふかしといえば、携帯で漫画を読むくらいですね(笑)」
芸能界での経験をこう振り返る。
「“人との距離感が近いね”と言っていただくことがあります。もともとは引っ込み思案でしたが、芸能界で多くの人と接した経験が、今の活動にも生きている。すべての経験は無駄ではなかったと感じています」
小選挙区初勝利という結果は、決して一朝一夕に得られたものではない。宮城で積み重ねた時間と、人とのつながり、そして支えてくれる“パートナー”であり”戦友“である母の存在が国政の舞台へと押し上げた。
