「医師としてこれまで何度もがんの治療に携わり、患者さんに“つらいかもしれませんが、命を守るためですから……”と、言ってきました。でも、自分が治療を受ける立場になったら、怖くて逃げ出したいと思ってしまった」
そう語るのは、医師で医療ジャーナリストの森田豊さん。現役医師として診療に従事しつつ、メディア出演や講演会など、幅広く活躍。多忙な日々を送ってきたが、毎年受けている検診でたいした異常はなく、大病の経験もなかった。異変が起こったのは、昨年7月。ゴルフ中に息切れや動悸を感じた。
一時的な異変だと信じたかった
「脱水と疲れかなと思い、水分摂取をして。帰宅後は通常どおり仕事をこなしていました」(森田さん、以下同)
それから10日ほどたったある日、朝から強い疲労感を感じ、循環器内科、消化器内科、泌尿器科などのクリニックを受診。異常な所見は指摘されなかったが、自分のクリニックでの血液検査で赤血球、白血球、血小板の減少という異常値が夕方に判明。夜になると息切れ、動悸、ふらつきが強くなり、歯磨きの際に歯肉出血もあったため、血液内科に電話で相談し、救急外来へ。応急処置として血小板と赤血球を補うための輸血を受けた。
「この時点で、自分の身体に異常事態が起きている。仕事を休んでしっかり治さなければいけないと感じていました。一方で、これはおそらく、当時服用していた睡眠導入剤など、内服薬による薬剤性の一時的な病態で、服薬を中止すれば元に戻るだろうと信じたい気持ちもあって。白血病の可能性も頭をかすめましたが、まさか自分が……と、その方向には考えないようにしていました」
だが希望的観測は打ち砕かれてしまう。骨髄生検などの精査の結果、告げられた病名は、急性骨髄性白血病だった。
「診断結果は冷静に受け止めました。家族は驚愕していましたが、20代と30代の二人の息子は医療関係の仕事に就いていることもあり、今後の治療についてなど、さまざまな情報を集めてくれました」
入院までは、仕事の調整などをこなすことに集中していたが、入院が決まり、主治医から治療計画が提案されると、一気に葛藤や不安が湧き上がったという。
ここで人生を終えても…移植には迷いがあった
急性骨髄性白血病の治療は、体内の白血病細胞を死滅させるための抗がん剤投与、すなわち寛解導入療法や地固め療法などの化学療法が主軸となる。これに加え、健康なドナーの骨髄や末梢血などから造血幹細胞を採取し、点滴で患者に移植する造血幹細胞移植が行われることもある。抗がん剤治療のみで完全寛解に至る例も少なくない。しかし森田さんの場合、検査結果から再発リスクが高いと判断され、長期生存のためには抗がん剤治療に加えて造血幹細胞移植が不可欠である、というのが主治医の見解だった。
骨髄移植をするには患者と提供者(ドナー)のHLA(白血球の型)が適合しなければならない。そこでまず骨髄バンクでドナーを探したが、完全にマッチする登録者は見つからなかった。そのため、完全にはマッチしないドナーからの移植、またはHLAが半分だけ適合する血縁者(親子、兄弟姉妹など。森田さんの場合は息子が該当)からの「ハプロ移植」のどちらかを選択をすることに。
「実は当初、移植を受けるべきか、かなり悩みました。ドナーも数日間の入院の必要があるので、忙しい息子を巻き込みたくないという思いがありましたし、半分しかマッチしていない移植ではGVHD(免疫による合併症)のリスクもある。それに、数年前の白血病治療パンフレットには“移植は55歳までが目安”と書かれており、還暦を超えてからの移植は難しいのではないかと私は考えていました」
さらに、無菌室での数か月の入院などを想像して前向きに考えられなくなっていた。
「62歳までの自分の人生を振り返ると、全力で駆け抜けてきて後悔はない。このまま移植を受けずに人生を終えてもいいかな……という気持ちにも、しばしばなりました」
しかし、その思いを口にすると、周囲の誰もが大反対。
「息子たちは、“お父さんともっと話したい”と泣いていました。そんななかで妻だけは、“あなたのやりたいようにしなさい”と言ってくれて。その言葉で、われに返りました。結局僕は、治療が怖かっただけの弱虫で、自分のことしか考えていなかったと猛省しました」
その後、担当医からの説明で、現在では完全にマッチするドナーからと、半分マッチする血縁者とで、移植後の成績はほとんど変わらないことがわかった。また、自ら医学論文を読みあさったところ、60代~70代の移植でも、高い確率で寛解になることが判明。
「医学が大きく進歩したタイミングで罹患したのも、医療者としてまだやるべきことがあるという意味があっての幸運だったのかなと」
死を覚悟し遺書を残すも移植後はスピード回復
8月に入院し、寛解導入療法は、一日おきに3回点滴で行われた。使用したのは近年日本でも承認された薬剤で、副作用は人によって異なるが、森田さんは38度を超える発熱が6日間続き、強い疲労感や下痢があったという。
「毎夜、明日は生きて目覚めないかもしれないと考えてしまい、家族に遺書のような手紙を書いたり、スマホでビデオメッセージを撮ったりしていました」
つらさはあったものの薬の効果は高く、9月には一時退院。1回の初回寛解導入療法で寛解となった。それでも移植は必要なため、同じ薬で量を少なめに投与する地固め療法を経て、11月に息子さんからのハプロ移植が行われた。
「息子の一人がドナーに決まって、ウイルス感染などのリスクを避けるために夏休みの海外旅行をキャンセルしたり、禁酒もしてくれました」
移植の日程が決定し、ドナーの末消血幹細胞採取が行われ、森田さんは移植の前処置として10日ほど前から抗がん剤投与や放射線照射を受けた。
「この治療によって、自分自身の造血機能がなくなるため、僕はウイルス感染しやすい状態になります。もしこのタイミングでドナーが何かしらに感染してしまうと、移植提供ができなくなるので、息子は非常に緊張しながら日々を過ごし、大変だったと思います。家族全員で頑張ってくれました」
そのかいあってついに迎えた移植では、ドナーとなった息子さんの血液は幹細胞の数が非常に多く、通常移植に用いる細胞数の約2倍あったという。おかげで移植後、短期間で生着。移植から退院までは1か月半から2か月要するといわれていたなか、移植後18日目にスピード退院となった。
退院後も、感染症対策や合併症予防のため、生魚や発酵食品の摂取を避けるなど、ある程度生活に制約はあるものの、移植後2か月が経過した取材時に元気な様子を見せてくれた森田さん。経過観察を行いつつ1年乗り切れば、3年、5年後もほぼ命を落とす心配はなくなる。
「家族、医療スタッフ、SNSを通じて激励してくださった多くの方々に感謝しかありません。ただ、治療効果を高めた一番の要因は、自分自身が生きよう、必ず歩いて家に帰るぞと意欲を持てたことだと思うのです。ですから、いま病気と闘っている方も、どんな状況でも諦めないでほしい。白血病は不治の病ではないということを、僕が“代表”となって証明していきたいと思っています」
取材・文/當間優子
