「復興を遂げた気仙沼を、とにかく見に来てほしい。風化を防ぐにも、町を元気にするにも、全国からみなさんが遊びに来てくれることが何よりありがたいんです」
そう語るのは、宮城県気仙沼市出身のマジシャン、マギー審司さん。震災直後、マギーさんは市内に住む両親や弟の安否もわからず、ふるさとの町が燃える様子を東京からテレビで見守るしかなかった。
祖母と叔母を亡くすも泣くこともできず
気仙沼市では、港に複数あった漁船用燃料タンクの油が津波で流出し、広範囲にわたり「津波火災」が発生。瓦礫で消防車が思うように動けず、延焼が広がっていた。
「気仙沼に帰ることができたのは1か月後。車に衣類や食料を積み、芸人仲間のドロンズ石本さんと一緒に向かいました。車が仙台市を過ぎ、石巻市に入ったあたりから突然景色が変わったんです。変わり果てた様子に、声を失いました」
震災では祖母と叔母を亡くしたが、「もっと大変な人もいるんだ」という思いから、泣くこともできなかった。自宅も家族も無事だった人、両方とも失った人、同じ町に住んでいても、被害の状況は人によってまったく違った。
「生きる気力を失うほどの過酷な状況に置かれた人もたくさんいます。でもなんとか踏ん張れたのは、あまりにも被害が大きかったゆえに、自分と同じような境遇の人が周りに必ずいたから。自分だけじゃない、一人じゃないから、生きてこられた。被害にあったすべての東北の人に対して、今生きてくれてありがとう、と言いたいです」
マギーさんは震災直後から幾度となく現地入りし、人々と交流を続けてきた。
「避難所で『手品を見せて』と言われたとき、こんな状況で不謹慎なんじゃないかと躊躇しました。でも、久しぶりに笑ったよ、という声がうれしくて。自分にやれることは全部やろう、と思ったんです」
震災後しばらくすると、炊き出しなどで避難所を訪問する芸能人が増えてきた。励まされる被災者がいる一方で、5~6人規模の小さな避難所では「ここには誰も来てくれない」と悲しそうにしているお年寄りもいた。
それを聞き、マギーさんは市内にあった大小70以上の避難所をすべて回ることにした。東京に戻ると、街頭募金やチャリティーを通じて支援金を集めた。
「避難所でいろんな方とお話しすると、今本当に欲しいもの、足りないものが見えてくるんです。服は十分あるけど下着類が足りないと言われて、女性用のパンツやブラジャーを買いに行ったことも。種類が多くて難しかったけど、なるべく豊富なサイズがそろうように選びました」
幸せは人にどう見られるかじゃない
4、5月も冷え込みが続く気仙沼では、電気がなくても使える湯たんぽが喜ばれた。夏に向けて「殺虫剤を多めにそろえてほしい」という声にも応えた。生活物資がある程度行きわたったあとは、被災した母校にエアトランポリンを寄贈。子どもたちの喜ぶ姿に、大人も自然と笑顔になった。
「みなさんの厚意で集まったお金ですから、1円も無駄にしたくない。どうやって“生きたお金”として使うか。そればかり考えていましたね」
震災後しばらくたつと、気仙沼でも仮設店舗で営業を再開する店が増えてきた。それまで支援物資は主に東京で購入して気仙沼に運んでいたが、それだと被災地にお金を落とせない。店が再開してからは、気仙沼での買い物を優先した。
「例えば座椅子を必要としているお年寄りがいたら、ネット注文などではなく気仙沼の日用品店で買う。これだと、募金を気仙沼で使えますから」
1年、2年たち復興が進むと、支援の形も変わってくるように。
「頼めばやってくれる、必要なものはもらえる、という癖がついて、自立できないのはよくないという話が地元から出たんです。そこで“おもてなしされようツアー”を考えました」
気仙沼には古くから「おもてなし」の精神が根づいている。一方的に支援するばかりでなく、逆に気仙沼の人におもてなししてもらおう。そんなユニークな試みだ。
「気仙沼にはおいしいものがいっぱいあります。旅人を迎える現地のみなさんは張り切って料理をして、精いっぱい振る舞ってくれました。気仙沼で食べて、泊まって、その旅行代金を気仙沼に払う。ごく普通のツアーだけど、それができない状況でしたから。ものを配るだけが支援じゃないと改めて気づかされましたね」
趣味のボウリングを生かし、震災後から定期的に東京で開催してきたチャリティーボウリング大会は、延べ100回以上。震災は、自分の人生観を大きく変えたと考えている。
「ステージで爆笑をとって、テレビにたくさん出て、忙しく過ごすことが幸せなんだとずっと思っていました。でも、自分の子どもが生まれて、初めて抱っこしたときにそれ以上の幸せを感じることができたんです。
人はいつ死ぬかわからない。震災でそれが身に染みてから、無理に仕事を詰め込むよりも家族との時間を大切にしたいと思うようになりました。世間からは、あいつ最近テレビで見ないな、って思われてるかも(笑)。でも幸せって、人にどう見られるか、じゃないと思うから」
気仙沼市では、2021年にすべての仮設住宅が解体・撤去された。新しく生まれ変わった港町で、地元の人々は語り部活動などを通じ、震災伝承の取り組みを次の世代へつなごうとしている。もう15年、まだ15年。マギーさんはこれからも、ふるさととともに歩みを続けていく。
手品師、お笑いタレント。マギー司郎の弟子。「みやぎ絆大使」や「みなと気仙沼大使」を務め、地元である宮城県のアピールに貢献。
取材・文/植木淳子
