「神様は、私に暇を与えないなぁ」
2025年5月。医師からステージ3の肛門管がんを告げられたとき、アオキシャナさんの胸に浮かんだのが、この言葉だった。
子育て一段落と思った矢先に…
47歳。2人の子どもの子育てがひと区切りを迎え、ようやく自分の人生を考え始めた矢先の出来事。そして、その“子育て”は決して平坦な道のりではなかった。
シャナさんは、24歳で結婚し長女を出産。27歳で長男を授かったが、その子は1歳8か月のときに、重度の知的発達障害と診断される。
「私自身、実母の育児放棄や、スコットランド系アメリカ人の父親からのDVを受けて育ったため、“親”の概念がわからないままの子育て。さらに夫の実家で同居していたことも重なり、プレッシャーを感じる日々でした。健康に産んであげられなかったことで、自分を責めることも多くありました」(シャナさん、以下同)
癇癪を起こし、奇声や大きな声を出す、自分の便をこねるなどの排便遊び、自分の身体を叩いたり、物を壊すといった「強度行動障害」もあった。暴れる息子に将来の不安を感じ、何度泣いたかわからない。そして、教育観の不一致で離婚を決意し、シングルマザーとなった。しかし「下を向いて子育てしたくない」という思いで、子どもに向き合い、一歩ずつ歩んできた。
「保育園では、最初から息子の障害をオープンに。息子の特性やどういうことが困るかを伝え、保護者や先生にわかりやすく伝えることで園児にも共有した。例えば、『廊下を走らないで』の否定ではなく、『廊下は歩いてね』とお願いする呼びかけや張り紙。『こうするとわかりやすい』という流れが園の中でも広まりました」
その後の小学校入学時も、入学説明会で公表。同級生や保護者、先生に息子の特性や、発達障害を知ってもらうことからスタートした。
「支援級や放課後に遊びに来てくれる子も多く、運動会などのイベントでも自主的にサポートしてくれる子も出てきました。また、家庭で発達障害が話題に出たら話せるように、息子の名前をつけた『りょうちゃん通信』を作って配布をしたりもしました」
成長の過程で、できることは少しずつ増え、暴れることも減っていった。
それから、シャナさんは息子との日常を、インスタグラムやブログで発信。経験に基づいた、子どもの“個”を大切にする子育てについて、コーチングや、全国で講演会も行うように。落ち着いた時間が増え、息子が20歳になり、いよいよグループホームで暮らす準備を整えていた中で、医師からステージ3のがんが告げられた。
「でも、いつかこういう日が来ると思ってもいました。実は母も祖母も60代でがんで亡くなっているんです」
不在の日に備えて準備期間
息子が20歳になるまでにグループホーム入居を目指したのも、“その日”に備えてだった。心の自立のために長い年月をかけて積み上げてきた苦手の軽減である。
「他人の部屋に入らない、物を勝手に使わないなどを根気よく伝え、家族と離れて暮らす環境にも慣れるように、小学生のときからずっとショートステイの経験もさせてきました」
だから、がんの宣告を受けても、息子はゆっくりでも成長していると信頼していた。
「4月に息子がグループホームに入所したら、自分のルーツであるスコットランドを含め、イギリス旅行を計画していましたが、息子の入所が7月にずれ、断念。そのタイミングで、ひどい腰痛と激痛に襲われ病院へ行ったことで、がんが見つかりました。新型コロナの流行までは検診も受けていましたが、当時は息子と娘と日々の暮らしで精いっぱい、病院に行くのも後回しに。
亡くなった祖母は、喉頭がんの痛みでしゃべることができず、筆談で『つらい』と訴えていました。その闘病の様子を幼少期に見ていたこともあり、抗がん剤治療に抵抗感がありました。しかし、医師から『治療しなければ余命3年』と言われ、治療をすることに。最初は不安もありましたが、何も知らないからこそ怖くなるんだと考え、自分でも調べて学び、納得をして闘う覚悟を決めました」
医師からも詳しく説明を受け、さまざまな薬があることを知りセカンドオピニオンをとり、納得した上で治療に取り組む決意をした。
便の出口である肛門管にできたがん。リンパへの転移もあった。33回の放射線治療が始まる。デリケートな部位だけに副作用の痛みは、言葉に表せないほどだった。
痛いと叫び続けるとそれにも飽きてくる
「鎮痛剤は上限まで使い切りましたが、焼かれるような痛みで、下着もはけない状態なんてことも。痛いときは、思いっきり叫んで我慢しないようにしていました。ただ抗がん剤の副作用が想像以上にキツく、お腹をすぐ下し、トイレが近くなるので、外出中は不安と常に隣り合わせでした」
しかし、少しでも気分よく過ごせるように、脱毛した頭にターバンを巻いて通院のおしゃれを楽しみ、食べたいものがあれば少しだけでも口にするようにしていた。
「焼き肉を食べたいときは、1枚しか食べられなくても食べます。後でお腹が痛くなったとしても、自分の小さな願いや思いを置き去りにしないようにしています」
子育てについて発信していたSNSで、自らのがんと、闘病についても包み隠さず公表している。
「SNSを通してポジティブに感じてくれる人も多いのですが、私自身は全然ポジティブじゃないんです。ただ、落ち込んだら、とことん落ち込んでいいと思っています。叫んで弱音を吐き、自分の心をそのまま出すこと。でも『痛い、痛い』とずっと言い続けていても、だんだん叫ぶのにも飽きてくるんです。そうすると、『自分はどうしたい? 次にどうする?』ということも見えてくるんですよ」
シャナさんは自身を“ネガティブ”と言うが、その言葉には、熱いエネルギーが満ちている。
「息子は私の病気を完全に理解していませんが、好きなアニメの『手術をする』というシーンを覚えていて、なぐさめてくれようとしたりもします。ジブリやディズニーのDVDは擦り切れるほど見ていて、それらのシーンを重ね合わせ、物事を息子なりに理解して楽しんでいます」
シャナさんの闘病の日々はまだ続く。目下の目標は、今年11月に計画している、23歳の娘との旅行だ。
「娘は障害のある弟がいる、いわゆる“きょうだい児”です。ですが、我慢や孤独感を与えないように必死に接してきたつもり。それでも不十分だったと思います。娘との時間をもっと持ちたいと思っていた矢先の、がん告知でもあったので。娘もディズニーが好きで、ラプンツェルの映画のシーンにあった、ランタンが宙に舞う、タイの『コムローイ祭り』に必ず行こうと約束しています。息子につきっきりで、十分な時間を娘に取ってあげられなかったから、今はランチを一緒にする時間も大切にしていきたいですね」
どんなときでも、人生を楽しみ、その瞬間の喜怒哀楽を大切にするシャナさん。彼女の生きる姿勢に触れ、「今、日々を後悔なく過ごせているのか」と、自分自身に問いかけてみたくなる。
取材・文/小林賢恵
