2016年5月17日『喜劇 極楽町一丁目~嫁姑千年戦争~』制作発表での浜木綿子

 女優・浜木綿子といえば、どんな役とシーンが思い浮かぶだろうか? 宝塚の可憐な娘役、背中で泣く夜の女役、夫に三くだり半を突きつける痛快な妻役、息子のために奮闘するおふくろ役、事件を解決に導くスゴ腕の監察医……。これまで、さまざまな役を演じてきた浜さんが“仕事”という舞台を降りてから、今は自分の人生というステージを謳歌している。そんな浜さんの暮らしぶりをご紹介する連載第4回です。

 こんにちは。浜木綿子でございます。草木が芽吹き、心温まる大好きな季節の訪れです。

 今、放送中のNHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』には、孫の市川團子の出演が決まったようです。実は、私も大河ドラマに出演したことがあるんですヨ。むかーし昔の'65年に放送されました、緒形拳さんが秀吉役で主役をされた『太閤記』で、私は「おふく」という役でした。“おどり”が少しあったのを覚えております。息子の香川照之も何度か大河ドラマには出演いたしておりますが、'02年放送の『利家とまつ』では秀吉役を演じました。3世代で戦国時代の大河ドラマに出演ということになりますね。「三代続けば末代続く」ということわざがありますが、まあ!! 「念ずれば通ず」かしら……ねえ、みなさん!!

父は粋で風雅、母は厳しかったけど今一番逢いたい人

 ここで少し、私の両親のことを─。

 父の忠次は初代大阪市長の甥っ子で、とにかく多趣味な人でした。3歳から琵琶を習って、和も洋も楽器は何でも弾けましたが、ハープだけは弾いていなかったらしいです。私は楽器が苦手。父からも「阿都子(編注:浜さんの本名)は下手!! あんたは歌でいきなさい」と、よく言われていました。本当に楽器はヘタクソだったんです。

 母の照子もお琴やおどりなどの習いごとをしており、その場所がふたりを結びつけたとか。父のほうが大好きで、結婚できなかったら死ぬと言われて、仕方なく母は一緒になったのに、浮気もしてましたね。ダメですネ、コレは!!(笑)

 母は「お帰りなさい」と必ず玄関で出迎える“明治の女”でした。父は子どもに必ず、お土産を忘れませんでしたね。ケーキやお寿司。でも夕飯の後ですから、母は「もう食べられませんよ、みんなで夕飯はいただきましたから」と、ピシャリと言って。

 そんな父は、'96年に89歳で亡くなりました。ある日、父と一緒に病院へ向かう車の中で「なんでボクの人生、こんなに短いんやろなぁ……」と言うので、私は思わず「お父さん、もう十分じゃないの」と言ったのを覚えています。父は黙っていました。いい意味で言ったつもりですが、私はこれが、いつまでも気になっています。

 父の最期は、長唄やお経を供えて静かに逝ったようです。母と駆けつけましたが間に合いませんでした。とにかく父は、粋で風雅な人でした。

右から在りし日の母、姉、父と、抱っこされた2歳の浜木綿子さん(本人提供)

 母は'10年に99歳で亡くなりました。肌は色白で、声は私とよく似ていましたかしら。厳しい母でした……。が、今一番、逢いたい人です。

 母方の先祖は14代将軍・徳川家茂の家老。家茂の面倒をよくみていた人です。家茂が21歳で病没された後に長野の山をいただき、その土地を小作人たちに分け与えたそうです。戦時中、私は長野に縁故疎開ができましたのも、そのようなご縁がありましたから。

 人とのご縁というのは大事ですよね。私が宝塚を退団して東宝に移籍するきっかけは、劇作家の菊田一夫先生との出逢い。菊田先生は「人との出逢いが人生を根底から変えることがある」とおっしゃっていました。私は今でも東宝と「精神契約」の所属生と言っています。

 多くの方から教えていただいた大事なことは山ほどあります。常に思いとどめていますのは「生涯、一年生」「人から教えを乞う」ということ。これは團子にも常に言っております。若いころからチヤホヤされますと図に乗ってしまいます。それではダメ。「傲岸不遜な人間には絶対になるな!!」と。

 私は結婚して、出産もいたしましたが、別離もありました。でも、結果的に私は今、幸せですから、これでよかったのだと思っております。ただ「生まれ変わったら母のような専業主婦になりたい」と、ずっと思っているのです。来世って本当にあるのかしら……。みなさんは、どう思われますか?

─では、またね。

※人とのご縁を大事にする浜さんのエッセイは隔号に掲載予定。次回は3/24(火)発売号です!