スピーチを求められた、「読者が選ぶビジネス書グランプリ」授賞式の壇上で、著者である堀田秀吾は真っ先に感謝の言葉を口にした。
「僕ひとりの力ではなく、支えてくださった皆さんのおかげです」
本業は法言語学者の作家・堀田秀吾
ビジネスパーソンが「読むべき本」を選出する同グランプリは、今年で11回目を迎える。133冊のビジネス本がエントリーされる中、堀田の著書は6部門のうちの一つである「自己啓発部門」の1位に選ばれ、会場の衆目を集めていた。栄えある舞台である。
本の内容について話すでもなく、読者に支持された要因を分析するでもなく、粛々と関係者や読者に謝意を伝え続ける。その姿はどこか低姿勢で、良くも悪くも作家らしくない─ような気がした筆者は、授賞式を終えた彼に率直に疑問をぶつけてみた。
笑いながら返ってきた答えは、「だって僕の本業は学者ですから」。
堀田は普段、明治大学で言語学(法言語、心理言語)を教える教授として日々を送る。先生で作家。であれば、なおのことゴーマンな雰囲気があってもおかしくないのだが、どういうわけか堀田先生は“先生”らしくないのだ。
輪をかけて、受賞作『ハーバード、スタンフォード、オックスフォード… 科学的に証明された すごい習慣大百科 人生が変わるテクニック112個集めました』(SBクリエイティブ)は、発売から半年で56万部を突破するベストセラーである。今や書店で見ない日はないというほど、飛ぶ鳥を落とす勢いの一冊だ。腰が低くなるどころか鼻が高くなってもおかしくない。
「僕にとって本は舞台公演みたいなものなんですね。著者である僕は、いわば役者です。編集者は監督であり演出家。ブックデザイナーは舞台美術。出版社の営業や広報、書店員さんは集客を担う人々。そして、観客が読者の皆さんです。プロが集まって、舞台を輝かせてくれるわけですから、調子になんて乗れません(笑)。
特別な才能があるわけでもない僕がやれることは、与えられた仕事を謙虚に丁寧に果たすこと。皆さんのおかげでハッピーなものが生まれるわけですから」
彼の著書は、世界各国の研究機関が明らかにした科学的エビデンスをベースに、人生に役立つ知恵や習慣、生活に役立つテクニックを提言する。古今東西の論文を読みあさり、科学的根拠を収集する“エビデンス職人”。堀田は自らをそう呼び、エビデンスなくしてビジネス本作家としての自分は存在しえないと言い切る。
「取材をされるときは、いつも科学的なエビデンスに基づいて役立つお話をすることが多いんですよね。ですから、今回のように自分の半生について話す機会は新鮮……というか、エビデンスもなければ役にも立たないかもしれない。大丈夫かな?」
屈託なく笑って、誰よりも話しやすい雰囲気をつくり出す。
「僕はビジネス本をたくさん出しているのに、自分自身はビジネスマンとして働いたことがない。あらためて考えるとヘンな話ですよね。それに言語学を専門にしているのに、どうして専門外のエビデンスまで調べるようになったのか、普通に考えればおかしなことかもしれない」
取材をしている側以上に、されている側である堀田本人が誰よりもワクワクしているように見える。接すれば接するほど、“先生”らしくない。そのエビデンスが知りたくなった。
スピーチを求められた、「読者が選ぶビジネス書グランプリ」授賞式の壇上で、著者である堀田秀吾は真っ先に感謝の言葉を口にした。
「僕ひとりの力ではなく、支えてくださった皆さんのおかげです」
ビジネスパーソンが「読むべき本」を選出する同グランプリは、今年で11回目を迎える。133冊のビジネス本がエントリーされる中、堀田の著書は6部門のうちの一つである「自己啓発部門」の1位に選ばれ、会場の衆目を集めていた。栄えある舞台である。
本の内容について話すでもなく、読者に支持された要因を分析するでもなく、粛々と関係者や読者に謝意を伝え続ける。その姿はどこか低姿勢で、良くも悪くも作家らしくない─ような気がした筆者は、授賞式を終えた彼に率直に疑問をぶつけてみた。
笑いながら返ってきた答えは、「だって僕の本業は学者ですから」。
堀田は普段、明治大学で言語学(法言語、心理言語)を教える教授として日々を送る。先生で作家。であれば、なおのことゴーマンな雰囲気があってもおかしくないのだが、どういうわけか堀田先生は“先生”らしくないのだ。
発売から半年で56万部を突破するベストセラー
輪をかけて、受賞作『ハーバード、スタンフォード、オックスフォード… 科学的に証明された すごい習慣大百科 人生が変わるテクニック112個集めました』(SBクリエイティブ)は、発売から半年で56万部を突破するベストセラーである。今や書店で見ない日はないというほど、飛ぶ鳥を落とす勢いの一冊だ。腰が低くなるどころか鼻が高くなってもおかしくない。
「僕にとって本は舞台公演みたいなものなんですね。著者である僕は、いわば役者です。編集者は監督であり演出家。ブックデザイナーは舞台美術。出版社の営業や広報、書店員さんは集客を担う人々。そして、観客が読者の皆さんです。プロが集まって、舞台を輝かせてくれるわけですから、調子になんて乗れません(笑)。
特別な才能があるわけでもない僕がやれることは、与えられた仕事を謙虚に丁寧に果たすこと。皆さんのおかげでハッピーなものが生まれるわけですから」
彼の著書は、世界各国の研究機関が明らかにした科学的エビデンスをベースに、人生に役立つ知恵や習慣、生活に役立つテクニックを提言する。古今東西の論文を読みあさり、科学的根拠を収集する“エビデンス職人”。堀田は自らをそう呼び、エビデンスなくしてビジネス本作家としての自分は存在しえないと言い切る。
「取材をされるときは、いつも科学的なエビデンスに基づいて役立つお話をすることが多いんですよね。ですから、今回のように自分の半生について話す機会は新鮮……というか、エビデンスもなければ役にも立たないかもしれない。大丈夫かな?」
屈託なく笑って、誰よりも話しやすい雰囲気をつくり出す。
「僕はビジネス本をたくさん出しているのに、自分自身はビジネスマンとして働いたことがない。あらためて考えるとヘンな話ですよね。それに言語学を専門にしているのに、どうして専門外のエビデンスまで調べるようになったのか、普通に考えればおかしなことかもしれない」
取材をしている側以上に、されている側である堀田本人が誰よりもワクワクしているように見える。接すれば接するほど、“先生”らしくない。そのエビデンスが知りたくなった。
4歳上の兄と比べてばかりの日々
1968年、堀田は熊本県八代市に、2人兄弟の次男として生まれた。父は広告代理店に勤め、母はモデルとして活躍していた。彼自身、端正な顔立ちをしているが、「4歳年上の兄と比較されてばかり。兄は容姿端麗で勉強もできれば絵もうまく、足も速かった。僕は、落ち着きがないダメな弟として見られていたから、褒められた記憶がない。コンプレックスだらけの子ども時代です」と苦笑する。
「その影響でしょうね、僕は今でも褒められるとモヤモヤするんです。褒められるのが苦手。ただ、ダメだった自分を知っている人から褒められるのはうれしい。面倒くさい人間です」
なぜそう思ってしまうのか気になったという堀田は、のちのエビデンス職人らしく「科学的根拠を調べた」という。すると、人間には過去のダメさを知ったうえで褒められると、うれしいと感じる傾向があることがわかった。
「自分のことをひねくれ者だと思っていたんですけど、根拠があるとわかって、少しだけ安心しました。エビデンスって、不安を取り除いてくれたり、何かを後押しする力になる。僕の本がウケているのも、そうした理由からだと思うんですね」
褒められることは少なかったが、堀田は父親のことを尊敬のまなざしで見ていたという。
「GIVEの人でした。武士は食わねど高楊枝じゃないですが、損得勘定で動かない人。少なからず自分にも影響を与えていると思います」
父の仕事の関係で埼玉県坂戸市に引っ越した堀田少年は、中学2年生のときにロックンロールにドはまりする。ラバーソールを履いて、髪はツンツンに逆立てた。不良ではないが、やんちゃ。「勉強もしないでギターばかり弾いてました」と懐かしそうに笑う。
遠目から見ても目立つ堀田少年は、東京で某有名音楽プロダクションからスカウトされると、ますます音楽にのめり込むようになったという。
「当時は、音楽の世界で成功することしか考えていなかったです」
毎週金曜夜7時、地元・坂戸からレッスン場のある東京まで通った。共にレッスンを受けていた仲間が次々とデビューが決まっていく中で2年半たっても、堀田にはその兆しが見えなかった。現実は甘くはなかった。
「僕よりもうまくてカッコいい人がたくさんいました。だけど、彼らでさえ売れない。一方、僕はデビューすらできていない。自分には才能がないんだなって気づきました」
この時代、交流のあったタレントのひかる一平さんが振り返る。
「僕がアイドルだったときに、秀吾と出会ったのかな。とにかく音楽が大好きで、人懐っこい子でした(笑)。懐いてくれていたから、ずっと覚えていたんです」
ずっと覚えていた─。夢破れて芸能活動とは縁が切れた堀田は、その後、ひかるさんとの交流がなくなる。ところが、
「彼から、『一平さん、本を出したんです。僕のこと覚えてますか?』と共通の友人を介して連絡があった。音楽の世界を目指していた子が、明治大学の教授になっていたと知ってビックリです(笑)。会うと昔のままで、人懐っこい秀吾のままでした」(ひかるさん)
30年以上、時はたっていたが、あのころのようにすぐに打ち解けた。
「僕が事務所を立ち上げるときも、秀吾は手伝ってくれて。今ではすっかり持ちつ持たれつで、お互いに何かあれば助け合う関係。それにしてもあの秀吾が、大学の先生になるなんて夢にも思わなかったなぁ」(ひかるさん)
父親の熱弁から英文科を目指すも……
ロックなステージ衣装を着ていた青年が、今では白衣を着ているのだから、人生何が起こるかわからない。どうして学問の世界を目指そうと思ったのか? 堀田に尋ねると、
「レッスンに通いながら、高校では機械科の生徒として勉強していました。『俺はロックンローラーになるんだ』って息巻いていたから、作業着を着ることに抵抗しながら(笑)。音楽で通用しないことがわかると、機械科を生かして工場へ就職するか、ほかの道を探さないといけなくなりました。父親に相談すると、『これからの時代は英語だ』と熱弁されて、大学の英文科を目指せと助言されました」
乗り気ではなかったが、いざ英語と向き合ってみると妙に水が合った。高校2年生の終わりから英語だけはぐんぐん成績が伸び、そのかいあって一般的な私立大学の英米文学科へ進学することが決まった。
「ところが、英米文学科ってシェークスピアをはじめとした英米文学を学ぶ学科なんですね。僕は英語を学べる場所だと思っていたのに、文学を学ばないといけない。素養も教養も、豊かな心も持ち合わせていないロックンローラーだった僕が文学なんて理解できるわけない。聞いてないよ!って(笑)」
次第に大学へ行く頻度は減り、バイト漬けの日々を送るように。肉体労働系のアルバイトをすることも少なくなく、ガテン系のバイト先の社長に気に入られすぎて、ブルドーザーの免許まで会社持ちで取らせてもらったという。
「ガテン系のバイトをしていると、外国人労働者がたくさんいた。僕は英語がそこそこ話せたから、彼らとのコミュニケーション係を任された。これが面白くて。誰かに褒められたり、感謝されたりすると、やる気が出て、パフォーマンスが上がる─これは科学的にも明らかになっているのですが、まさに身をもって体感した。もっと英語を学びたいという欲求が強まっていったんですね」
気持ちが上向きになると、それまで気がつかなかったものに気がつくようになる。あらためて大学の授業を受けてみると、“言語学”なる学問があることを知った。言葉が科学的分析の対象になるなど想像もしていなかった。
「講師の先生と駅まで一緒に帰った日があったのですが、話しているとアメリカから帰ってきたばかりで言語学を教えていると。僕はミーハーだから、『カッコいいな』と思って、3年生になったときに、そのままその先生のゼミ生として学ぶようになったんです」
“間違えて”名門大学に留学した!?
小さな興味から扉を叩いた言語学だったが、学び始めると「面白すぎて!」と、堀田はまるで学生時代に戻ったかのように目を輝かす。
「高校時代に機械科だった僕の頭は、すっかり理系マインドになっていた。言語学って、言語を数学的に分析する学問なんですね。文系の学問のように思われるかもしれませんが、“現代言語学の父”と評されるノーム・チョムスキーによって、文系だけの世界から、経験科学としての理系の学問に変わった。
僕にはそれが面白くて、もっと学びたいと思うようになった。本格的に学ぶならどこだろうと思っていろいろ探していると、シカゴ大学が言語学研究で有名らしい。申し込んでみたら合格の通知が届いたので、勢いに任せて留学することを決めたんです」
シカゴ大学の言語学部は、アメリカで最古の、歴史ある言語学科の一つで、教授陣は世界的に有名な研究者たち。このことを堀田は“ぼんやり”としか認識していなかったという。加えて、
「修士を取るつもりで留学したのに、『シカゴ大学には博士課程しかない』ことが現地に行ってからわかった。1年間ほどで帰国して、英語の教員をやろう─僕はその程度の考えで留学したのですが、何から何までわかっていなかった。身から出た錆とはいえ、これは大変なことになったなと」
シカゴへやってきた大学院生は、堀田を合わせ12人いた。日本からの学生は、東京大学をはじめ名門校の大学院を修了するほどの筋金入りばかり。「自分でも場違いだと思いました」。極度の緊張にさらされたのは言うまでもない。
「ものすごい不安ですよ。ですが、不安だと考えるから脳はさらに不安を後押しする。解釈を変えて、“不安だけどワクワクする”と捉え直すと、脳は『ワクワクしているんだな。だったらポジティブな信号を送ろう』と後押しする。脳って単純なんです。解釈を変えるだけで、人間は信じられないパワーを生み出すことができる」
これを示すハーバード大学のブルックス教授の研究がある。300人の被験者を対象に、「採点つきカラオケ」「2分以上の人前でのスピーチ」「数学のテスト」といった課題を行い、その際、
1. 「私は不安だ」
2. 「私はワクワクしている」
3. 「私は落ち着いている」
4. 「私は怒っている」
5. 「私は悲しい」
この1~5を声に出してから行うグループに分けてみた。すると、2のグループは、カラオケでは正確性が上がり、スピーチでは説得力や能力、自信、持続性などの評価が向上。数学のテストでは最も好成績を残したそうだ。自分のストレス反応を、「楽しくなってきた」とポジティブに捉え直したことで、17〜22%ほど成績が良くなったというから、堀田が言うように“解釈次第”でパフォーマンスは変わるのである。
テストに受からなければ退学
「せっかくシカゴまで来たんだから不安にさいなまれるのはもったいないじゃないですか。といっても、1年後のテストに受からなければ退学になるので死に物狂いで勉強するしかない。
もし、どう勉強していいかわからないという人がいたら、自分が尊敬する、カッコいいと思える人のマネをしたらいい。日常の習慣から勉強方法までコピペする。これもペンシルベニア大学の研究で明らかになっていることです(笑)」
幸い、周りには自分よりも言語学に精通する留学生がたくさんいた。堀田は、彼らの行動をマネして自らにハッパをかけ続けた。コピペされた一人で、現在、豊田工業大学外国語研究室教授の原大介さんが証言する。
「顔合わせのとき、秀吾はベースボールシャツを着ていたのですが、悪い言い方をすれば、『ずいぶんチャラい留学生がいるな』と思いました(笑)。ところが話すと、なんとも愛嬌がある。彼は留学生の中で最年少だったから放っておけないところがありました」
ひかるさんのときもそうだが、長い付き合いのある旧友は、堀田に対して親しみを込めてファーストネームで呼ぶ。そのニュアンスは“秀吾”というよりも“シューゴ”。この呼称ひとつを取っても、堀田の人柄が表れている。
「秀吾は修士課程を飛ばしてシカゴに来たわけですから、客観的に見れば無謀ともいえる挑戦だったと思います。深夜の2時、3時に彼の部屋へ様子を見にいくと、一生懸命勉強していました」(原さん)
12人いた同級生は、厳しさのあまり6人が退学を余儀なくされた。アメリカのサバイバルレースは日本の比ではなかった。嫌でも机に向かわざるを得ない環境をつくり出すため、堀田は寮のベッドを破壊。勉強して疲れたら、そのまま机で寝るという生活にして自らを追い込んだ。
「シカゴのチャイナタウンに、『セブントレジャーズ』というレストランがありました。深夜に車を飛ばして、そこでラーメンを食べるのが数少ない僕たちの息抜きでした。お互いによく食らいついていたと思います」(原さん)
設けられた3つの大きなテストと論文審査をすべてクリアした堀田は、1999年、シカゴ大学言語学部博士課程を修了した。言語学の世界における最難関の一つであるシカゴ大学で、学士から修士を飛ばして博士をつかみ取った。堀田が優しい口調で語る。
「自分の限界を勝手に設定しないほうがいいと思うんですね。僕は博士になろうなんて考えてもいなかったわけですから」
かつての夢はロックミュージシャンだった。
「いろいろな出会いや環境によって想像もしていなかった道がひらかれる。そうした可能性があるかもしれないのだから、自分の限界を決めつけるのはもったいない」
初のビジネス本が15万部超のヒットに
言語学の博士号を取得した堀田は、2000年から立命館大学法学部の助教授として教壇に立つようになった。前出の原さんは、堀田の長所についてこう付言する。
「法学部に在籍しているということで、彼は法言語学の研究を始めます。それで再びカナダに留学する。他分野に手を伸ばすというのは、本当に大変なことなんです。ところが秀吾は、法律と言語学を結びつけ始めた。これは同業者として想定外だった」
当時、法言語はここ日本では未開の分野だった。このことを堀田に質すと、「新しい環境で法学という面白い分野に出合ったので、掛け合わせたら面白そうだなって。それくらいの軽い気持ちです」と事もなげに言う。シカゴへの留学もそうだったが、この「とりあえずやってみる」という姿勢が堀田の最大の武器なのだろう。
「やってみてイヤだなと思ったらやめればいいだけですから。興味を持つことがいちばん大切。それがないと何も始まらない」
ビジネス本を書き始めた理由も、まさにこの点にあるという。
「言語学や法言語の面白さを伝えたくて専門書を書いたのですが、一般の読者層には届かない。それで、より、かみ砕いたわかりやすい本をつくりたいと思ったんですね」
できあがった一冊、五百田達成氏と共著で世に送り出した『特定の人としかうまく付き合えないのは、結局、あなたの心が冷めているからだ』(クロスメディア・パブリッシング)は、15万部を超えるヒット作となり、堀田の名は出版業界に知れわたることになる。
「その後もありがたいことにオファーをいただくものの、当時はコミュニケーションの本が今のように売れ筋ではなく、僕の本は鳴かず飛ばずが続いて。それで、言語学や法言語の枠を超えて……といっても、心や脳の仕組みとして研究する学問なので、まったく無関係というわけではないのですが、行動経済学や心理学などの論文も調べるようになった。
幸いにも、僕は研究者なので世界各国の論文にアクセスできる環境がある。科学的根拠をもとに、元気になる方法やパフォーマンスを上げる習慣を伝える……“エビデンス職人”が誕生したというわけです(笑)」
本人は冗談っぽく話すが、同じく研究者である原さんは「考えられない」と話す。
「自分の分野ではない論文を読んでファクトを集める。僕がそれをやれと言われたら、遠慮しますと言うでしょう(笑)。だけど、彼は損得ではなく、『やりたい』という気持ちで本をつくっている。それでいて、法言語の分野においても、論文を書けば博士号を取得できる段階にいる。本業である研究者としても一切手を抜いていない。普通じゃできないことをしている」(原さん)
人気作家で、日本の法言語学の第一人者。なのに、まったく偉ぶった雰囲気がない。当の本人ですら、「何ででしょうね? 落ち着きがないだけじゃないですか?」と、まるで人ごとである。しばし、中空を見ていた堀田が思いついたように口を開く。
「僕の中高生時代がロックンローラーだったってお話ししたじゃないですか? 学校に呼び出されることも少なくなかったのですが、中学生時代の恩師である澤田先生は、どういうわけか、いつも僕に優しかった。その原体験が今もずっと大きな財産になっている。こういう人間になりたいなって」
ファーストネームで呼ばれる教授
当時のことを、堀田が通っていた坂戸市立北坂戸中学校で教壇に立っていた澤田忠義さんに聞いてみると─。
「堀田は、とにかく気になる生徒でした。品行方正な生徒とも仲良くなるし、素行が悪い生徒とも仲良くなる。誰とでも分け隔てなく友達になる子でした」
あるとき、堀田が友人のことを英語で形容する課題を求められた際、「ヒーイズハッピーガイ!」と表現したときがあった。
「何とかひねり出した表現でしたが、澤田先生はとても褒めてくれた。職員室でほかの先生にまで、『堀田の表現は面白い』って言っていたらしくて。今考えると、僕の英語の原点だし、教職者としてそういう姿勢を大事にしたいと思える出来事だった」
卒業して8年がたったころ、何の前触れもなく、堀田から澤田さんに電話がかかってきたという。
「『澤田先生、覚えてますか? 堀田です。僕は今、シカゴ大学で英語の勉強をしているんです』と連絡してきてくれた。うれしかったですね。それから再び彼と交流するようになって、今でも定期的に会っています」(澤田さん)
澤田さんは忘れられないことがあると話す。
「私たちの母校、北坂戸中学校は2011年に閉校しました。そのとき、堀田が『お別れ会をしましょう』と提案し、学校のOB、OGを集め、幹事をしてくれたんですね。閉校間際の校舎にたくさんの卒業生が集まって、本当に良い思い出になりました。堀田は、そういう子です」
誰かがハッピーになるために、自らが率先して動く。その姿勢は、ゼミを持つ明治大学でも変わらない。現在、「堀田ゼミ」は学内屈指の人気を誇り、堀田のもとで学びたいという学生は後を絶たない。本人は、「学生たちが優秀なだけです」と頭をかきながら謙遜するが、ゼミ生の一人はこう話す。
「四次元ポケットから『こんな話があるんだよ』って教えてくれる“知識のドラえもん”のような先生です。授業をしているときも、本人がいちばん楽しそうだから、私たちも楽しくなる(笑)。先生というよりもプロジェクトリーダーのような存在」
学生たちは、堀田のことを“秀さん”と呼ぶ。その関係性がうらやましく、「こういう先生に出会えていたら、もっと勉強は楽しかっただろうな」と、筆者は思った。
「アメリカでは先生のことをファーストネームで呼ぶことは珍しくない。僕らは共に学び合うチームであり仲間です。これは本をつくるときも変わりません。先生が、著者が偉いわけじゃない。みんなの力があって良いものが生まれる。ですから、堀田ゼミや、僕の本がすごいのではなく、関わってくれるみんなが素晴らしいからなんです」
誰かの幸せを願うことが、自らの幸福度を高めるというアイオワ州立大学の研究がある。堀田の言動を見ていると納得だろう。
「自分を誰かと比べるのではなく、比較するべきは過去の自分のほうがいい。隣の芝生を見てもストレスや不安を抱えるだけ。自分ができることを粛々とやっていく。それが習慣ですよね。少し前の自分にはできなかったことができるようになるだけでハッピーじゃないですか?」
立命館時代、堀田は教え子たちと『ハッピネスチェイサーズソサエティ』という会を設立した。その意味は、「幸せをつかみ取る会」。一人では幸せはつかめないことを知っているから、堀田秀吾には“壁”がない。
<取材・文/我妻弘崇>

