槙原寛己氏(左)と高橋尚成氏

 元巨人の槙原寛己氏が3月16日、同じく巨人OBの高橋尚成氏のYouTubeチャンネルに出演。現役時代の投手コーチにまつわる舞台裏を明かした。指導者への打診を断った理由や、伝説となっている主力選手とさるコーチの“確執事件”の内幕にも触れ、ファンも興味津々だったようだ。

「今でもユニフォームを着たい」

〈【本音】尚成が告白する巨人現場復帰への思いとは!? 槙原さん「防御率良すぎて○○に…」巨人歴代No.1投手コーチは誰?〉と題した今回の動画は、「なぜ2人は指導者にならないのか」という話題からスタート。

 槙原氏は、引退直後に解説者としてのレギュラー番組を持っていた事情を明かし、「椅子取りゲームのような世界で、席を空けたくなかった。当時はラクな生活がいいと思ってしまった」と回顧。実際にコーチ就任のオファーがあったと言い、「40代で受けておけば、60過ぎた今、違ったキャリアがあった。すげえ失敗したなと思ってます」と、現場復帰を選ばなかったことを痛恨の極みとしている。

 一方、50歳になった高橋氏は「今でもユニフォームを着たい」と即答。現在はアメリカで心理学などの研鑽を積んでおり、いつ声がかかってもいいように準備を怠らない姿勢を見せた。

「投手コーチをテーマにした議論で共通していたのは、一軍の投手コーチは技術指導というより精神面のケアや雰囲気づくりが大事だという点です。高橋氏は現役時代、どうしていいかわからないほど絶不調となった際に当時の斎藤雅樹コーチから『とにかくコンディションを整えなさい。それからスタートすれば絶対いい方向に向かっていく』と助言を受けて救われたことを述懐。

 槙原氏も、久保康生コーチが2024年に菅野智之を立ち直らせたり、日本一の実績を持つ田中将大と深い信頼関係を築くことで昨年終盤に復調させたりしたことを評価していました。実績のある投手ほど、細かい理屈より心の支えを求めるもので、指導者が選手に寄り添い、力を発揮しやすい土壌を整えられるかどうかがチームの命運を分ける鍵となる。高橋氏が現在アメリカで心理学を学んでいるのも、まさにそうした現代的なマネジメントの必要性を痛感しているからではないでしょうか」(スポーツ紙記者、以下同)

 そんななか、槙原氏が名前を挙げた名コーチが、第一次長嶋政権や王政権を支えた中村稔氏だった。

「当時の巨人投手陣は防御率がとてもよく、槙原氏によれば、中村氏は『だんだん体が反り上がり、背中に支え棒が入っていると言われるほど堂々と歩いていた』と言います。打撃コーチからも反り返っているのを冷やかされるほどチームの状態がよく、槙原氏は『余計な口出しをせず、楽しく野球ができる場を作ってくれた』と、中村氏の“空気作り”を絶賛していました」

 しかし、すべての指導者と選手が良好な関係だったわけではない。槙原氏の口からは伝説の“和解ゴルフ”についても語られている。

最後まで険悪なままだった2人

「動画内では名前は伏せられていましたが、これは当時球界を騒がせた『西本聖と故・皆川睦雄コーチ』の根深い対立問題の話です。西本氏と皆川氏は練習方針を巡って修復不能な状態に。1989年に西本氏が出版した『さらば巨人軍』という告白本では、皆川氏との確執が赤裸々に語られています。

 当時、球団もなんとか2人を和解させようと、ゴルフであえて同組にした。ただ、その現場を知る槙原氏によれば、ティーショットから2人の打った球は逆方向に飛んでいき、結局、互いに一言も交わさず、最後まで険悪なままだったそう。西本氏はその後、中日に放出され、新天地で20勝を挙げて巨人を見返すこととなりました」(スポーツ紙デスク)

巨人・阿部慎之助監督

 ネット上では「コーチは、教えるじゃなく、聞かれたら答えられる人が必要」「槙原さんの指導する姿は見たかった。今の巨人にあの明るさは必要」「尚成さんは海外で心理学まで学んでいるなら、理論派として早く入閣してほしい」といった声が聞かれる。

 開幕直前にエースの山崎伊織が故障で戦線を離脱するなど、さっそく先発ローテーションの再編を余儀なくされている巨人。選手とどんな関係性を築いていくのか、投手コーチの役割はことさら大きくなりそうだ。