高橋美清さん…1964年生まれ。日本テレビ『おはよう天気』や競輪番組で活躍した元フリーアナウンサー。2014年には歌手デビューを果たした。僧侶としては2011年に得度、2017年に比叡山延暦寺で修行を行い、2020年に天台宗照諦山心月院尋清寺を建立し住職に就任。

「親しくしていた人があることをきっかけに豹変するのを見ましたし、それによる私自身の精神の崩壊も、トラブルにより仕事が続けられなくなって、経済的な困窮も味わいました。苦しみも人間の汚さも全部知ったからこそ、仏様の元に呼んでいただけたのだと思います」

 そう話すのは、天台宗の僧侶・高橋美清さん。1989年より約30年にわたり競輪番組に携わった、フリーアナウンサーとしても知られている。

誹謗中傷、ストーカー被害の過去

「もともとはアシスタントを務めて、司会の古舘伊知郎さんが番組をお辞めになるとき、私を後任に推してくださって。公営競技の番組ではおそらく初めて、女性司会者に抜擢されました。ギャンブル色の強かった競輪のイメージアップに努め、競輪の仕事は私の人生そのものでした」(高橋さん、以下同)

 高橋さんが仏門に飛び込んだのは、度重なるストーカー被害と、想像を絶するネットでの誹謗中傷が原因だった。

「ある競輪選手から“死にたい”と相談を受けたのがきっかけでした。実は私は、祖父が僧侶だった縁から、僧籍を持っていて。だから“お坊さん、話を聞いてよ”と言われるとむげにできなかったんです。でも徐々にその人から執着されるようになり、フェイスブックを開いた瞬間に電話がかかってくるなど、四六時中監視が続き、怖くてたまらなくて……

 何百件にも及ぶ電話やメールが届き、中には殺害を予告する脅迫文も送られていたため、相手は2015年7月に逮捕される。だが本当の地獄はここからだった。

「逮捕前に彼は、私に対する事実と異なる内容のブログをアップ。競輪ファンはそれを信じてしまい、私への誹謗中傷が止まりませんでした。何より恐ろしかったのは、仕事で顔を合わせた関係者までもが、真偽を確かめず私を中傷したことです

 逮捕の翌月、選手が不慮の事故で亡くなり、バッシングは激しさを増した。

「死ねという書き込みはもちろん、動物の死骸が置かれる嫌がらせをされたり、中傷のビラが近所に撒かれたり。仕事を失い、人間不信になり知り合いとも連絡を断った私は追い詰められて、死ぬことしか考えませんでした」

どん底で決意した修行への道

 それでも生き続けられたのは、自分に与えられた“使命”を感じたからだという。

「中傷には“僧侶は人を殺さない。天台宗の僧籍を持っているとは認めない”というメッセージもあって、初めて怒りが湧いたんです。僧侶として命を絶つわけにはいかない。じゃあ生きて認めてもらおうじゃないかと。そんなとき、小学生の男の子がネットでいじめに遭い、自死したというニュースを見たんです。これは、大人が守っていかなくてはと思いました。当時の私は、生きながら死んだも同然。ならば新たな加害者を止めようと、比叡山延暦寺で修行に入り、本物の僧侶になろうと決めました。祖父の遺品の教本で見つけた、伝教大師最澄の言葉、一隅を照らす人になりたいと思ったことも理由です」

 事件から2年後、52歳で入った修行の道は過酷そのもの。14kgも痩せたという。

「千日回峰行などで知られる山岳修行は、つらく厳しいものばかり。捻挫した足をかばっていたら、逆足の骨にヒビが入ってしまったり、足の爪が剥がれてしまったりしましたが、生きて帰って誹謗中傷した人々と対峙してやる、という思いが私を奮い立たせました」

 2020年には新しい寺を建立。行きすぎた批判の怖さを訴える講演会や、手描き友禅で仏教の世界を伝える展覧会を行うほか、保護犬・保護猫活動、元女性受刑者への洋服支援なども行う。

「私に対して根拠のない批判をした方々ともお会いし、最後にはあなたのおかげで僧侶になれたとお礼を言えました。でも攻撃的な言動は人生を破壊し、命を奪うもの。言葉の重みを改めて考える社会であってほしいです」

高橋美清さん…1964年生まれ。日本テレビ『おはよう天気』や競輪番組で活躍した元フリーアナウンサー。2014年には歌手デビューを果たした。僧侶としては2011年に得度、2017年に比叡山延暦寺で修行を行い、2020年に天台宗照諦山心月院尋清寺を建立し住職に就任。
高橋美清さん…1964年生まれ。日本テレビ『おはよう天気』や競輪番組で活躍した元フリーアナウンサー。2014年には歌手デビューを果たした。僧侶としては2011年に得度、2017年に比叡山延暦寺で修行を行い、2020年に天台宗照諦山 心月院 尋清寺を建立し住職に就任。

取材・文/植田沙羅