「より良く生きるためにも、いつか自分は死ぬということを意識し、やり残したことはないかよく問うて、自分らしい人生を送っていただきたいです」
そう話すのは、臨済宗妙心寺派の僧侶・松山照紀さんだ。尼僧が建立した松壽山不徹寺は、悩める女性の駆け込み寺として知られる。ここで庵主を務める松山さんもまた、波瀾万丈の人生を歩んできた。
離婚、病、介護を越えて仏門へと……
20歳で学生結婚し、出産。その後、離婚を経て看護師になり、祖母・母・2人の娘という一家5人の生計をひとりで支えてきた。
「置かれた状況の中で一生懸命生きただけですよ。幼い子どもがいると就職すら難しく、生きる手段として看護師を選んだだけ。働きながら准看護師の資格を取ろうと、朝5時半には家を出て、病院での勤務や実習、夜学で勉強もしました。その合間には子育てと、認知症の祖母の面倒も見ていたので、当時の自分はいつ寝ていたのか、記憶にありません」(松山さん、以下同)
そんな中でも休日はホスピスでボランティアを行うほか、死生学の学者であるアルフォンス・デーケン氏のセミナーに赴くなど、精力的に動き回った。
「特にインドにあるマザー・テレサが立ち上げた慈善施設を訪れ、死に直面する人々は何を思い、望むのかを見届けたのは印象深いです」
人種や地位や信仰する宗教にかかわらず、瀕死の状態にある人々を看取る施設。そこで目にしたものは、大きな気づきとなった。
「人々は最期に、人間愛を求めているのだと思いました。どんな自分であろうと無条件に受け入れてくれる場所。そこにいる安心感を、彼らから感じました。ただ、死に対する思いなどは日本と異なる点も多く、文化・民俗学・哲学・宗教・医学など、もっと膨大な勉強をしなければ、死生学は学べないなと」
やるか、やらないか─選んだ仏の道
しかし33歳のとき、病に蝕まれる。
「結核性両側性胸膜炎を患いました。半年ほど入院する間も、死生学の学びなど、やり遂げたいことすべてが止まるのがストレスで……」
退院後は正看護師の資格も取得。それから平日は大学で民俗学を学び、休日は有料老人ホームで働いた。
「哲学や地質学も学び、卒業論文ではマタイによる福音書をテーマにしました。でも自分としては納得のいかない仕上がりになり落ち込んでしまいました。そんなとき、地元のお寺に立ち寄ると、座禅会を行っていたんです。座禅でもすれば気が晴れるかなと、通い始めました」
10年にわたり寺へ通うも、仏門に入るつもりはなく、離島で自然死の看取りを学び働きながら続けていた。出家を決意したのは、48歳のとき。
「きっかけはなく、ただふっと直感に従ったというか。しんどいと思うこともなく、淡々と日々を繰り返し、3年半修行を積みました。それからさまざまなお寺を巡りましたが、不徹寺の山門を跨いだ瞬間、なぜだか“ここだ”と確信したのです。私はいつも目の前にあることを、やるか、やらないかで選ぶ。どんな人生の岐路も直感が示す方向に進んできただけなんです」
現在は、悩みを抱える女性の話に寺で耳を傾け、講演会では死への向き合い方を説く。
「多くの女性は子どもや親、夫への不満や心配事を口にするばかりで、自分の問題と向き合っていません。相手を変えようとしても状況は変わらない。まずは過去の後悔も含めて自分を認め、今にフォーカスしようと伝えます。今を積み重ねれば、未来を見据えられる。するといくつになってからでも人生はやり直せるし、命がある以上、まだまだ無限の可能性があるとわかるはずです」
取材・文/植田沙羅
