江國香織さん 撮影/週刊女性編集部

 直木賞受賞作『号泣する準備はできていた』をはじめとする作品で人の孤独や揺らぎを静かに描き出し、絵本やエッセイ、翻訳なども手がけ多くの読者を魅了し続けている江國香織さん。2年ぶりの長編となる『外の世界の話を聞かせて』は、とある過去を持つ大人たちと、ひとりの女子高生の視点が交錯しながら物語が展開していく。

絵本講座に通った場所がモデルに

 物語は女子高生の陽日のパートから始まり、舞台は私設図書館の「南天文庫」。陽日が3歳のころから通い、多くの大人や子どもが集まる場所だ。江國さんいわく、南天文庫にはモデルとなった場所があるそうだ。

「今はもうなくなってしまったのですが、昼間は子どもたちに開放し、夜は大人向けの絵本や児童書に関するセミナーを開いていた、“南天文庫”のような場所があったんです。私はそこの絵本講座に通っていて、“子どものころにここに来ていたら楽しかっただろうな”と思っていました」

 その場所を知ったのは、20歳のころのアルバイトがきっかけだったという。

「アルバイト先の本屋さんでは時々、谷川俊太郎さんや安野光雅さんといった方々をお招きして小さなトークショーを開いていたんですね。

 南天文庫のモデルになった施設の方が講師でいらしたとき、お話を聞くうちに文学観が変わるような衝撃を受け、すぐに絵本講座に申し込みをしました。その講座に通いながら小説を書くようにもなりましたし、私にとっては大きな意味のある場所だったんです」

 南天文庫の主宰者であるあやめは幼いころ、「ピンクの家」と呼ばれる元公民館で、3家族による共同生活を送っていた。

「仕事で四日市市に行ったとき、ピンク色の元公民館だという建物を見て、“ここにみんなで住んだら楽しそう”と思ったんです。

 私はムーミンのお話が好きで、個性豊かな住人たちが共存する“ムーミン谷”のような話をリアルな人間版で書きたいとも思っていたんですね。自由な大人たちの気配を持った、ピンクの家に集まっていた子どもたちのその後を描いた今回の小説は、ちょっとムーミン谷っぽいかなと思っています」

 大人になったあやめは母親が開いた南天文庫を手伝い、母親が他界後はひとりで切り盛りをする。あやめのパートには次のような記述がある。《あやめはこれまで自分が不得手な現実の諸問題─規則正しい食事の習慣、近所づきあいや親戚づきあい(中略)といったわずらわしいことの一切合財─を、すべて母親に頼っていた》

「あやめは大人がやらなければならないことをやらずに生きていて、そういう意味では箱入り娘なんですよね。でも、それは必ずしも悪いことではないと思うんです。あやめは世間知らずで、だから外の世界の話を聞きたいのだと思います」

 あやめはしばしば陽日に「外の世界のことを話して」と乞い、陽日は学校や「サイゼリヤ」のことなどを話す。

「あやめはたぶん、話を聞いた場所に行ってみることはしないんですよね。あやめにとって陽日の話は、自分の人生とは関係ない物語のようなものなのでしょう」

『ティモレオン』、『フェア・プレイ』、『おれの墓で踊れ』など、陽日が南天文庫で読む本のほとんどは江國さん自身が読んできたものだという。

「“陽日に何を読ませようかな”と思いながら、自分の本棚から選んだりもしていました。陽日が読んだ本に読者の方が興味を持ってくれたらいいな、とも思っているんです」

旅行をするように本の中に旅をする

 陽日のパートでは、ツナサンドイッチ、にんじんごはん、ミートボールといったお弁当を食べる場面が描かれている。江國さんは、自身の学生時代を思い出しながら、陽日のお弁当を考えたそうだ。

江國香織さん 撮影/週刊女性編集部

「栄養バランスや彩りを考えて毎日お弁当を作るのって、本当に大変なことだと思います。私が中高生のころに母が作ってくれたのは、ほうれん草のおひたしとか根菜の煮物とか、全体的に茶色いお弁当でしたね。ちなみに、私がミニトマトの存在を知ったのは中学時代で、お友達のお弁当がきっかけでした(笑)」

 ムーミン谷のように、本作には多くの人々が登場しながら物語が進んでいく。そのうちのひとりが、あやめとともにピンクの家で育った真実子だ。諸事情によって戸籍上の年齢と実年齢に5歳の差があり、結婚は4度目という経歴で、現在は火葬場の接待係として働いている。

「彼女の職業が、この小説の支えになっていると感じています。普段は考えないけれど、火葬場ってちょっと特別な場所ですよね。大切な人を最後に見送る場所。

 そこに一人だけで来る人もいるだろうし、骨を拾わずに帰る人もいるだろうし。火葬場独特のモノトーンのような感覚や不思議さを今回、小説に書くことができてよかったと思っています」

 物語を読み進めるうちに、おそらく誰もが自分の中にも“外の世界”と“内側の世界”があることに気づくだろう。

「外と内(中)の概念っておもしろいですよね。本の中と外とか、家の中と外とか、どこを見ても境目だらけです。でも私は、全部がつながった物語のような気もしているんです」

 そんな江國さんにとっての“内側の世界”とは?

「私はお風呂が好きで、午前中はずっとお風呂で本を読んでいます。そこだけは完全に自分だけの世界ですし、私にとってはお風呂が内側に近い場所かもしれないですね」

『外の世界の話を聞かせて』では、南天文庫のほかにインドネシアや夜の飲食店、昔のピンクの家などさまざまな場所が舞台となっている。

「本を読むことは旅行に似ていて、居ながらにして違う場所に行くことができると思っているんです。本書を手に取って、『外の世界の話を聞かせて』の中に出かけてもらえたらうれしいです」

最近の江國さん

「ここ4~5年ほどヨガにはまっていて、今日もこのあと行きます。あと、相変わらず本ばかり読んでいて、最近はあまり読まないタイプの本にも手が伸び、書評で知った『自分とか、ないから。―教養としての東洋哲学』を読みました。おもしろかったです。普段読む本は、本屋さんで気になったタイトルのものを、ジャケ買いみたいに選ぶことが多いです」

江國香織(えくに・かおり)/1964年、東京都生まれ。2002年『泳ぐのに、安全でも適切でもありません』で第15回山本周五郎賞、'04年『号泣する準備はできていた』で第130回直木賞、'07年『がらくた』で第14回島清恋愛文学賞、'10年『真昼なのに昏い部屋』で第5回中央公論文芸賞、'12年『犬とハモニカ』で第38回川端康成文学賞、'15年『ヤモリ、カエル、シジミチョウ』で第51回谷崎潤一郎賞を受賞。『きらきらひかる』『彼女たちの場合は』『ブーズたち鳥たちわたしたち』など著書多数。

取材・文/熊谷あづさ