《このたび、双方合意のもと離婚が成立いたしました。これからは、それぞれの人生を歩んでまいります》
3月10日、杉本哲太が自身のインスタグラムで、34年間連れ添った女優の神津はづきとの離婚を発表した。
「杉本さんは昨年還暦を迎えましたが、渋みを活かした演技で名バイプレイヤーとして活躍中。はづきさんは近年、刺繍作家として創作活動に軸足を置いています。これまで夫婦円満なイメージが強かっただけに、突然の熟年離婚に驚いた人も多かったようです」(芸能リポーター、以下同)
長年連れ添ってきた元夫婦だが、お互いの経歴は正反対といえるものだった。
「杉本さんは学生時代は暴走族に入っており、そこからロックバンド『紅麗威甦』のボーカルに。革ジャンにリーゼントという根っからのヤンキー。はづきさんは、父が作曲家の神津善行さん、母は昭和を代表する女優の中村メイコさんという“神津ファミリー”の次女で、いわゆる名門一家のご令嬢でした」
“マスオさん”状態で、肩身の狭い思い
知人を介した食事会で出会って交際に発展し、1992年に結婚。一男一女をもうけた。しかし、結婚生活は決して順風満帆ではなかったという。
「過去のインタビューによれば、結婚当初は夫婦ゲンカが絶えず、杉本さんは怒った勢いで電話の子機をよく投げていたそうです。そのため、はづきさん自身“結婚はハズレだった”と後悔したこともあったとか。一方、杉本さんも都内に自宅を建てるまでの約10年間は、はづきさんの実家に身を寄せて暮らすという“マスオさん”状態で、長らく肩身の狭い思いをしていたようです」
衝突を繰り返していたが、徐々に互いを尊重して“おしどり夫婦”と呼ばれるほどの仲になっていた。
「今年2月に、杉本さんは家族で暮らした家を出て、別の場所で暮らしているそうです。杉本さんも、はづきさんも離婚について、多くは語っていないので原因などはいまだわかっていません」(芸能プロ関係者)
“円満”といわれてきたふたりが、なぜ今この選択をしたのか。3月下旬、自宅から出てきた神津に記者が声をかけると、“少し待ってて”と言って家の中へ戻り、身だしなみを整えてから玄関先で取材に応じてくれた。
「離婚を切り出したのは、どちらからということでもなく成り行きなんです。彼は俳優としてもっと頑張りたいという気持ちが強く、私もこれから刺繍や執筆活動など創作に集中したくて。
子どもたちも立派に育ったし無理に家族であることを続けるより、別々になったほうがお互いにやりたいことを自由にできる、ということでこのような判断に至りました」(神津、以下同)
今はよいお友達、彼には感謝してる
穏やかな笑顔で離婚の経緯を語る神津。杉本への思いを聞いてみると、
「34年も一緒だったので今はよいお友達。こうやって自分が“今からまた新しいことをやろう”と思えるのも長年、彼と一緒にいれたからだと感謝しているぐらい。夫婦のときは、そんなこと言えませんでしたが(笑)」
思い切った決断をできたのも、昭和の芸能界を豪快に生き抜いた母の中村メイコさんの影響もあるようだ。
「母は“人生は喜劇”という考えで、とてもポジティブでした。私も身軽になった今、自分がワクワクすることを続けたいです! 元夫も同じ考えだと思います」
“おしどり夫婦”の看板をやっと下ろして、それぞれが自分の時間を取り戻そうとしているようだ─。
