秋篠宮ご夫妻の次女、佳子さまは3月12日、東京・元赤坂の赤坂東邸で、「世界青年の船」に参加している、日本をはじめ、ギリシャ、ニュージーランドなど12か国の代表らと懇談した。
「世界青年の船」は国際交流事業のひとつとして、日本と世界各国の若者たちが船で共同生活をしながら、訪問国の人々とも交流を深めるもの。佳子さまは出席者たちに、活動内容などについて熱心に尋ねていた。
慰霊大法要にご臨席の秋篠宮皇嗣同妃両殿下
《秋篠宮皇嗣同妃両殿下は、東京都慰霊協会が主催する「都内戦災並びに関東大震災遭難者春季慰霊大法要」にご臨席になりました。慰霊大法要では、開式の辞に続いて読経が行われ、追悼の辞が述べられました。会場にはおよそ170名のご遺族や関係者の方々が参列されました。
両殿下は、お一方ずつ御位牌の前で焼香し、静かに手を合わせられ、戦災や関東大震災で亡くなられた方々を深く悼まれました。東京都慰霊堂は、戦災や関東大震災合わせて約16万3千柱のご遺骨が納められており、慰霊大法要は、毎年、東京大空襲の3月10日と関東大震災の9月1日に、二度とこのような大惨事が繰り返されないことの願いを込めて、仏式にて執り行われています。
今年は、東京大空襲があった昭和20(1945)年から数えて81年目にあたり、また、関東大震災があった大正12(1923)年から数えて103年目にあたります》
多くの犠牲者が出た1945年の東京大空襲から81年となる3月10日、東京都墨田区にある東京都慰霊堂で、「都内戦災並びに関東大震災遭難者春季慰霊大法要」が営まれ、秋篠宮ご夫妻が参列した。宮内庁のホームページでは大法要の様子などをこのように紹介している。
昨年は戦後80年という大きな節目の年だった。昨年11月30日、秋篠宮さまが還暦の誕生日を迎える前に行われた記者会見で、次のように語った言葉が改めて深く思い出される。
「国内外での印象に残った出来事というと、(略)やはり戦後80年がたったということがあると思います。この節目の年に当たり、いろいろな展示会ですとか催しが行われ、また報道などでも特集の記事が組まれたりしていました。改めてそれらによって先の大戦へ思いを馳せ、また今の平和な世の中が継続していることの大切さというものを考えるきっかけになったのではないかと思います。
ただ、この一方で、先の大戦のことについては、節目の年だけに思い起こせばいいというものではなくて、これが今年は80年ですけれども、81年であっても、82年であっても、折々に思い起こして、過去に学びながら、二度と同じことを繰り返してはいけないということを、一人ひとりが確認することが大事なのではないかと考えました。
今、日本は平和な状態が続いているわけですけれども、海外に目を向けると、いまだに各地で武力紛争が起こっております。ロシアによるウクライナ侵攻は今も継続していますし、イスラエルとパレスチナの武力紛争は停戦に至ったものの、その合意が守られることが求められております。各地の紛争で市民が犠牲になり続けていることには大変心が痛みます。早期に停戦にこぎ着け、そして、またその合意が守られることを願っています」
秋篠宮さまの戒め
戦後80年の大きな節目に限らず、毎年、戦争の悲惨さを思い起こし、二度と過ちを犯すことがないようにと秋篠宮さまは戒めたのだった。
今年2月末、アメリカとイスラエルが共同でイランを攻撃した。このように、世界で戦火が広がりつつある今、私たちには戦争を止める具体的な行動がより求められているのかもしれない。
秋篠宮ご夫妻は3月15日、京都市左京区の平安神宮で行われた創建130年を祝う祭典に出席している。報道によると、同神宮からの依頼を受けて私的に訪れたもので、ご夫妻は、玉串を捧げて拝礼した。
祭典には、秋篠宮さまの妹である伊勢神宮祭主の黒田清子さんら約500人が参列したという。その後、ご夫妻は同市内のホテルで開催された記念式典に出席し、秋篠宮さまは「日本の文化のふるさとである京都の美しい伝統を守り、後世に引き継いでいかれることを祈念します」などと挨拶した。
2005年11月15日に清子さん(紀宮清子内親王殿下)と黒田慶樹さんが結婚して、今年で21年目となる。結婚当時、清子さんは36歳だった。
そして、今年4月17日は、慶樹さんの61歳の誕生日であり、翌18日は、清子さんの57歳の誕生日に当たる。慶樹さんは、秋篠宮さまと学習院初等科以来の親友で、清子さんとも幼なじみ同然の間柄だった。さらに二人の結婚には、秋篠宮ご夫妻が深く関わっていたこともよく知られている。
結婚した前年の2004年12月30日、婚約内定が宮内庁から正式に発表され、二人は記者会見で交際の経緯やプロポーズの言葉などを明かしている。
「昨年(2003年、筆者注)の1月に秋篠宮殿下が主宰され、亡くなられた知人を偲ぶテニスと懇親会が赤坂にて行われた際に、出席した懇親会で久しぶりに黒田さんとお会いしました。
私が小学生のころは、お背が高くていつもまじめなお顔をしていらっしゃる方という印象が強くございましたが、しばらくぶりにお会いして、とても温かな笑顔で人々の中に入っておられる姿が心に残り、お話も楽しくいたしました。それからは主に秋篠宮邸でお会いすることが多くございました(略)」(清子さん)
─プロポーズの言葉は、どのような状況で?
「時期は今年(2004年、筆者注)初めであったかと存じます。私から宮さまに『私と結婚してくださいませんか』と申し上げました。場所は秋篠宮邸で、確かお茶を頂いていたときであったかと存じております(略)」(慶樹さん)
「お返事はその場でお受けする旨を申し上げました。(略)秋篠宮両殿下は基本的に場所を提供なさるというお立場に徹され、二人のことについては立ち入らず静かに見守ってきてくださいました(略)」(清子さん)
佳子さまは叔母にあたる清子さんのことを、小さいころ、「ねぇね」と呼んでとても慕っていた。
2006年11月、秋篠宮さまの41歳の誕生日記者会見に同席した紀子さまは、清子さんを近くで見て育った佳子さまについて次のように語っている。この当時、佳子さまは学習院初等科6年生だった。
「娘たちは、内親王としての紀宮さまが結婚されるまでのお姿を近くで見ておりました。紀宮さまが一つひとつのお仕事を大切に丁寧にされていたことを学びながら、娘たちが少しずつ、担う役割に対して理解を深めてくれればと思っております」
佳子さまは内親王時代の黒田清子さんに多くを学びながら、「令和」という新しい時代の内親王として、国民の期待に応えながら、これからも活躍を続けることだろう。充実した日々を積み重ねる先に、結婚という次のステップが用意されているのではなかろうか。
<文/江森敬治>
