医学の進歩によって、さまざまな病気の治療法が確立されてきた一方で、今なお原因や治療法が明らかになっていない病気もある。国の指定難病は348疾病(2025年4月時点)に上るが、そのほかにも患者数の少なさなどから、指定難病に含まれていない希少疾患が存在する。そのひとつが「ROHHAD(ローハッド)症候群」だ。
原因は不明で、症例は世界でも200例ほど。ROHHADとは主な症状の頭文字をとった名称で、RO=Rapid onset Obesity(急性発症肥満)、H=Hypoventilation(低換気)、H=Hypothalamic(視床下部)、AD=Autonomic Dysfunction(自律神経機能不全)を指す。
急激な肥満や、呼吸がうまくできなくなる低換気、ホルモン異常のほか、斜視や乱視、体温調節障害、消化器の不調など症状は多岐にわたる。そのため診断が難しく、病名が確定されないまま見過ごされてしまうケースも少なくない。
見過ごされやすいサイン
渡辺瑚々(ここ)ちゃん(6歳)の母・未来さんが、娘の成長の中で最初に違和感を覚えたのは、便秘や斜視といった症状、そして急激な肥満だった。
「偏食傾向で、お菓子も好きじゃない。太るようなものを特別食べているわけでもなく、それまではどちらかといえば痩せ型でした。それが1歳を過ぎたころから急激に体重が増え始めて、2歳のころには持っている服がすぐ入らなくなってしまいました」(渡辺未来さん、以下同)
シングルマザーで心配性だった未来さんは、気になるたびに病院へ足を運んだ。だが、幼い時期ということもあり、「成長の過程でもあるので、様子を見ましょう」と言われることが続いたという。
そんなある日、瑚々ちゃんに異変が起きる。40度近い発熱が続き、意識不明となって大学病院へ救急搬送されたのだ。重度の肺炎と診断され、治療によって意識は戻ったものの、医師からは入院しての検査をすすめられた。
検査結果が出るまでには時間がかかるため、3歳の誕生日に一時退院し、自宅で様子を見ることになった。しかし退院から数日後、血中酸素濃度が低下し、再び入院。そのとき初めて、医師から「ROHHAD症候群の疑いも考えられる」と告げられた。
「初めて聞く病名で、インターネットで調べてもほとんど情報がありませんでした。海外のサイトを見ると、亡くなった子どもの写真があったりして……。すぐに死んでしまうのではないかと思って、絶望しかありませんでした。眠れない日が続き、最初は両親にも話せなかったです」
大きく変わった日常
渡辺さん親子に、さらなる試練が襲う。再入院後、瑚々ちゃんは呼吸が不安定な状態が続き、呼吸管理のため気管切開の手術に踏み切った。
しかしその後、発熱に対して投与された解熱剤によってアナフィラキシーショックを発症。脳に十分な血液や酸素が行き渡らない状態が続いたことで、瑚々ちゃんは言葉を発したり、自分の意思でうまく身体を動かしたりすることができなくなってしまった。
「瑚々はしゃべり出すのが早くて、とてもおしゃべりな子どもでした。おませで大人びたところもあって、これまで私が瑚々に支えられてきた面もありました。それだけに、とてもショックでした」
その後の抗体検査を経て、3歳5か月のとき、瑚々ちゃんはROHHAD症候群と診断された。
つらい現実のなかで、未来さんが前を向くことができたのは、両親の理解とサポートに加え、同じ小児科病棟で子どもを看護する母親たち、そして『ROHHAD症候群患者家族会(一般社団法人ローハッドJAPAN)』の存在だった。
「症状は違っても、病気の子どもを思う気持ちは同じです。『障害があっても大丈夫だよ』『こっちの世界も楽しいよ』と明るく声をかけてもらいました。
家族会にコンタクトを取ってみると、酸素やマスク型呼吸器を使いつつ学校に通ったり、スポーツをしたり、中にはアルバイトをしている子もいて、救われる思いでした。ちょっとしたことでも相談できて、とても励まされました」
現在、瑚々ちゃんは自宅のベッドで一日の大半を過ごし、24時間、人工呼吸器を装着している。栄養は鼻からチューブを通して胃に注入。寝返りができないため、定期的な体位交換のほか、痰の吸引、部屋の湿度や温度を保つことなど、日常的にさまざまなケアが必要だ。
「訪問看護やヘルパーさんの手も借りながら、医師にも24時間相談できるよう対応していただいています。私自身、一時期ストレスで太ってしまったのですが、もともと喘息や股関節の疾患もあるので、自分も健康でいなければと、食事や運動に気を配るようにしています」
瑚々ちゃんは、聴覚や視覚、触覚などに大きな異常はないという。言葉や身体を使ったコミュニケーションは難しいものの、表情で意思を伝えることができる。
この春、瑚々ちゃんは支援学校の小学部に進学。同世代の子どもたちがいる学びの場が刺激になることを願い、あえて通学を希望し、教育委員会に働きかけた。
「他県では珍しくない話ですが、私たちの自治体や学校では呼吸器をつけながらの通学は初めて。ほかの障害がある子どもたちも通いやすくなってほしいですね」
こうして瑚々ちゃんは、車いすで毎日通学する道を切り開いた。
運命を切り開く強さ
「これからもさまざまなことがあると思いますが、瑚々は何度も命の危機を乗り越えてきた強い子です。すべては瑚々自身が決めている気がしているので、その手助けをするのが私の役割だと思っています」
未来さんは、家族会の活動にも積極的に参加し、SNSでの発信など広報活動も担っている。
「絶望と孤独の中にいたとき、私が救われたように、ひとりでも安心できる家族が増えてほしい。そして何より、お医者さまに『ROHHAD症候群』という病気を知ってもらいたいんです。知ることから始まり、研究に携わる人が増え、治療法につながっていけばと願っています」
希少疾患だからこそ、多くの人に認知が広がることが希望への第一歩になる。
「将来は、私の手がなくても楽しく生きてほしい。毎日、ひとつでも楽しいと思えるような、そんな人生を送ってほしいです。でも、さまざまな治療が結びついて、いつかまた瑚々とおしゃべりできたらとも思っています。
その日のことを考えると、しゃべれなかった分、ずっとしゃべっていそうな気もして。すごく楽しみですが、ちょっぴり怖い気もしますね(笑)」
取材・文/小林賢恵
