「こんにちは、加藤諦三です。変えられることは変える努力をしましょう。変えられないことはそのまま受け入れましょう。起きてしまったことを嘆いているよりも、これからできることを、みんなで一緒に考えましょう」
『テレフォン人生相談』で出演を続ける社会心理学者の加藤諦三
家事の合間にリビングやキッチンのラジオから、あるいは運転中のカーラジオから─。このフレーズを耳にしたことがある人は少なくないだろう。
北海道から沖縄まで全国23局ネットで放送されている『テレフォン人生相談』。今年で放送62年目を迎えるニッポン放送の最長寿番組で、高い聴取率を維持し続けている。現在、日替わりで番組進行を務める5人のパーソナリティーの中で、社会心理学者の加藤諦三さんは最も長く出演を続けている。実に半世紀以上にわたり、現代人の生きづらさや不安、苦悩に寄り添う言葉を届けてきた。
「時代とともに表面的な悩みの内容は少しずつ変化してきましたが、根元の部分はほとんど変わりません。親子関係の問題は約3000年前のギリシャ神話の時代から、相続問題は約2000年以上前の旧約聖書にも見られますから」
やわらかな笑顔でそう語る。電話の向こうの相談者と向き合う際に心がけているのは、相談者自身に“悩みの本質”に気づいてもらうことだ。
「例えば、子どものことで悩んでいます、姑のことで悩んでいます、と言っていたとしても、その根底に自分自身の問題や夫婦関係の問題が潜んでいることがある。その人が抱える本当の悩みを会話の中で見つけていくことが、この番組の醍醐味です。相談者の言葉にそのまま答えるだけでは、これほど長く続く番組にはならなかったでしょうね」(加藤さん、以下同)
ネットが普及した現在も、番組のスタイルは放送開始当初からほとんど変わっていない。週に2回の相談受付日に専用電話を開放し、かかってきた電話はいったん、約10人の専属スタッフが受け付ける。スタッフの中には、50年近くにわたり、リスナーの相談に耳を傾けてきたベテランもいる。
加藤さんをはじめとするパーソナリティーと回答者はスタジオで待機しているが、相談内容や相談者の情報は事前に一切知らされない。収録開始と同時にスタジオへ電話がつながり、その瞬間に初めて相談者と向き合う。いわば、ぶっつけ本番だ。
「事前に情報があると、どうしても先入観が生まれてしまう可能性があります。私たちと相談者は同じ条件で、あくまで対等でなければならない。そのため、この原則は守り続けているんです」
相談部分の放送時間は約14分だが、実際の収録時間はそれ以上。あまりに自然なやりとりのため、リスナーの多くはこれが編集されたものだとはとても信じられないかもしれない。
「相談は1時間以上になることも珍しくありません。相談者に気持ちよく納得してもらうことが目的ではなく、本当の意味での気づきを得てもらいたい。だからこそ、こちらも真剣です。収録を終えた後は、心身共に消耗しきっていますね」
“混沌の時代”若者たちのカリスマ的存在に
加藤さんが初めてラジオのパーソナリティーを務めたのは、文化放送の深夜番組『セイ!ヤング』。20代で著した『俺には俺の生き方がある』(大和書房)が若者の間でベストセラーとなったことで、白羽の矢が立った。'70年代初頭、番組は10~20代の学生を中心に爆発的な人気を誇り、加藤さんや、みのもんたさん、土居まさるさんら曜日ごとのパーソナリティーはスター的存在となった。
「当時は20代後半で、早稲田大学理工学部で社会学の助教授を務めていました。高田馬場のキャンパスで授業が終わるのが夕方5時半ごろ。放送のある日は夕食をとる時間もなく、四谷三丁目駅近くにあった文化放送のスタジオへ急いで向かっていました」
当初、局からは「小学生にもわかるような話をしてほしい」と求められた。だが加藤さんは「いや、僕は自分が話したいことを話すよ」と返したという。
「当時、大学では社会思想の講義を担当していました。その内容を、ラジオでもそのまま話すことにしたんです。手書きの講義ノートをめくりながらマイクに向かって語ると、若者たちがとても熱心に聴いてくれました」
リスナーから届いたハガキの中で、今も忘れられないものがある。
「俺は自殺することに決めた、という内容で、実行予定日まで書かれていました。その手紙をそのまま番組で紹介したんです。すると翌週には、多くのリスナーから手紙が寄せられました」
死んじゃダメだ、一緒に生きよう、といった励ましの内容だった。自殺予告をした本人は、「みんなの声を聴いて、死ぬのは思いとどまることにした」と、再び番組に便りを届けてくれたという。
「学生運動が時代を揺るがしていたころで、若者たちは混沌の中にありました。そんな彼らが、人とつながっていると実感できたのが深夜ラジオだったのでしょう。顔と顔を合わせると言えないことも、ラジオなら素直に表現できることもある。あの時代の深夜放送は、若者にとって大切なコミュニケーションの場でもありました」
番組の人気の高まりとともに、加藤さんは若者の間でカリスマ的な存在となっていく。学生に向け、学歴を過度に重視することの危うさや、人生の明暗を学歴に帰してしまうことの愚かさについても、繰り返し問題提起を行ってきた。こうした発信がメディアの注目を集め、テレビ番組『学歴社会を考える』(テレビ神奈川/'78年)では企画と司会を担当。番組はその後、放送批評懇談会のギャラクシー賞を受賞した。
「放送から50年がたち、日本の社会は何も変わっていないようにも見えますが、実はアメリカのほうがはるかに学歴社会です。それでも、アメリカでは学歴の有無が日本ほど重視されることはありません。
学歴はあくまで一つの属性に過ぎず、それがなくても社会で活躍している人はたくさんいる。それなのに、日本では学歴を自分の価値そのものだと錯覚し、うまくいかないことがあれば学歴のせいにしてしまう。そうした考え方が、結果的に自分自身を苦しめるのです」
ラジオやテレビへの出演が増え、多忙を極めていたこのころ、大学の講義にもテレビ取材が入るようになり、自宅前でカメラが待ち伏せしていることもあった。
「あまりの忙しさに、一人の時間も持てない。このままでは自分がダメになってしまうと感じました」
そんな折、ハーバード大学が研究員を募集しているという話を耳にする。マスコミに追われる環境から離れ、改めて研究に没頭したいと考え、応募を決意した。
「採用試験は非常に狭き門でした。研究計画を提出したところ、面接のために担当者がわざわざ来日したんです」
加藤さんには、東京大学大学院での忘れがたい経験がある。当時の指導教官は“マルクス主義にあらずんば、人にあらず”という考えの持ち主で、マルクス主義に懐疑的な加藤さんの研究を決して認めようとしなかった。論文審査の際、東大の審査委員長は「東大が正しいか、加藤諦三が正しいかは、いずれ時代が証明するだろう」と言い放ったという。加藤さんは博士課程への進学を断念し、早稲田大学の教員となる道を選んだ。
「恐ろしいことに、マルクス主義を学ばない者は人間ではないという価値観がまかり通っていた時代でした。それでも僕は迎合せず、自分の道を進むことを選んだんです」
ハーバード大学は、そんな選択をした加藤さんの研究を正当に評価した。見事、試験に合格し、ほどなく渡米。研究所を訪れると、自身の著書『人間であることの原点』(大和書房)が置かれているのを目にした。
「きみはこの本によって合格したんだよ、と言われたんです。東大では一蹴された僕の人生論の原点を、ハーバードは認めてくれた。うれしかったですね」
「下世話な人生相談」と一緒くたにされて─
ハーバード大学では、専門である心理学に加え、精神分析の研究に没頭した。マサチューセッツ州のコンコード刑務所では、凶悪犯の受刑者を対象に面接調査も実施。「調査中に万が一射殺されても責任を問わない」とする書面にも署名を求められたという。
「受刑者らに、あなたが最も恐れているものは何かと尋ねました。意外にも“貧困”と答えた人はごくわずか。一方でおよそ6割もの人が、“意味のない人生”だと答えたんです」
罪を犯し、自由を奪われた極限の状況において、人間が心の奥底で求めるものは何か─。それを探るための調査だった。
「2年間の留学を終えて帰国すると、学生らの変わりように驚きました。渡米前は学生運動がピークで、加藤諦三粉砕!とゲバ棒を掲げる学生であふれていた。それがわずか2年で、謝恩会の話なんかしているんですから」
ちょうどそのころ、日本のラジオ草創期を代表するラジオパーソナリティーで、『テレフォン人生相談』に初期から出演していた山谷親平さんから、番組への出演を打診される。山谷さんは、「研究のためとはいえ、アメリカの刑務所で凶悪犯と対峙するなんて誰にでもできることじゃない。心理学的な観点から的確にアドバイスできる、あなたのような人にぜひ、パーソナリティーを務めてほしい」と、加藤さんの出演を強く望んだという。
「人生相談の回答者やパーソナリティーは、ただの有名人では務まらない─。山谷さんはそう繰り返し話していらして、迷うことなく引き受けました」
番組開始当初からの方針は、その日のうちに相談者の悩みを解決すること。電話をかけてきた人すべてに対応するため、驚くことに放送に乗らない相談についてもカウンセラーや専門家が必ず応じている。
「'80年代ごろまでは、他局にも人生相談の番組はいくつかありました。人気タレントや歌手が下世話な相談に面白おかしく答えるようなものも多かったですね。そうなると、聴いている側も次第にうんざりしてしまう。私たちが行っているのは精神医学の視点を取り入れた人生相談であって、そうしたものとはまったく違うんです」
奇をてらった一部の番組のせいで、偏見を持たれることもあった。地方の大学から講演依頼を受ける機会も多かったが、加藤さんが人生相談のパーソナリティーを務めていると知ると、「あなたのような方は本学の講演にはふさわしくないので、今回の話はなかったことに」と、後から断ってくるケースもあった。
「自分から断っておきながら、実は『テレフォン人生相談』がまじめな番組だとわかると、手のひらを返したように謝ってくるんです。
やっぱりもう一度お願いしたい、なんて平気で言ってくるものだから腹が立ってね(笑)、もちろん引き受けませんでしたよ」
悩みの裏にある“甘え”に気づいてほしい
昭和、平成、令和と目まぐるしく移り変わる時代の中で、電話の向こうにある人々の苦悩を受け止め続けてきた。相談者は10代から80代までと幅広く、それぞれが人生の岐路に立つ人たちだ。
「核家族化が進んだことで、昔に比べて嫁姑問題の相談は減りました。一方で、ギャンブルやアルコール依存症、不登校といった相談は増えています。ただし、それはあくまで表面的なこと。昔も今も、悩みの本質そのものはまったく変わりません」
相談者は思い込みにとらわれていることが少なくない。それを解きほぐすのも、パーソナリティーの重要な役割だ。
「人はなぜ傷つくと思いますか? 事実そのものが人を傷つけるのではなく、事実に対する解釈が人を傷つけるんです。人間は過去の集積でできており、過去の事実を変えることはできません。
しかし、その解釈は変えることができる。相談者に対して、あなたはこう受け止めているようだけれど、僕はこう解釈します、と別の視点を示してあげるんです。ただし、こちらの解釈が正しいなどと押しつけるようなことはしません」
20年以上前、強烈な印象を残した相談がある。
「離婚を望む女性からの相談で、恋愛結婚でも見合い結婚でもないというんです。詳しく聞くと、実の姉の代わりに無理やり結婚させられた、と」
結婚式当日、「どうしても結婚したくない」と言い出した姉。母親は困り果て、妹である相談者に「あんたが代わりに結婚して」と土下座して頼み込んだ。心の準備もないまま、不本意に結婚。それ以来、長く苦しみ続けていたという。
「大変驚きましたし、結婚式当日に別の相手が現れて、それを受け入れる男性側にも問題がある。僕は離婚をすすめました。こうした家のしがらみや地域特有の事情、世間体といった理由で、苦境に置かれている人もいるのです」
一方で、自分の望む答えが得られないと怒り出す相談者もいる。「ラジオでこんなひどいことを言われた!」と、相談者がニッポン放送近くの丸の内警察署に駆け込み、騒動になったこともあった。
「自分は被害者だという言い分ですが、よく話を聞くと周囲の人のほうが被害者だと思えるケースも多い。それを指摘すると、猛烈に怒り出す人が一定数います。会話の途中で電話を切られたこともありますし、おまえは悪魔だ!と言われたこともあります」
加藤さんは、甘えが怒りへと転じるメカニズムを指摘する。
「悩みの裏に、甘えが隠れていることは珍しくありません。その甘えが受け入れられず、誰かに否定されると怒りや不機嫌に変わるんです。大切なのはまず、自分の中に甘えたい気持ちがあると気づくこと。そして、それを受け入れることです」
10年以上にわたり同番組のディレクターを務める宅野淳さんは、「番組のスタイルは、加藤さんの個性そのもの」と語る。
「悩みとは、心の奥底にある不満が形を変えて表れたもの、というのが加藤さんの考え。ですから番組では、表面的な悩みではなく、その奥にある不満に気づいてもらうことを大切にしています。相談者がどれだけ感情的になっても、失礼なことを言っても、加藤さんは決して声を荒らげない。時に私たちが申し訳なくなるほど、真摯に相談者と向き合っています」
「書き続けること」で救われた青春時代
親子、夫婦、職場の人間関係、健康問題、金銭問題と、さまざまな不安を抱える現代人。加藤さんは“常に不安を抱えている人”の増加の原因は、幼少期の親子関係が深く関わっていると、著書の中でも繰り返し指摘している。
《もしもいつも心の底に不安感があって苦しんでいる人がいたら、「私は親の心の葛藤に巻き込まれたのではないか」という自己認識が有効です。「親は自分の心の葛藤に直面する勇気がなくて、子どもを巻き込むことで解決しようとした。その結果、私は神経症になった」と自己認識できるかできないかでその後の人生は変わります。
そして、「私は親のように他人を巻き込んで心の葛藤を解決することをしない」という決断をするのです》(『テレフォン人生相談―心の仮面をはずそう―』(発行・ニッポン放送)より)
加藤さんは、親から無条件の愛情を受けられずに育った子どもは、大人になってから慢性的な不満や怒りを抱えたり、精神的な自立を妨げたり、他者の評価に過敏になるなど、さまざまな生きづらさを背負うことになると繰り返し説いている。だが、加藤さん自身もまた、強権的な父親のもとで苦しみながら育った。
「父親は教員で、僕が試験でいい成績を取っても、そんなレベルで喜ぶな、と怒鳴るような父親でした。たびたび人格を否定され、母親も子どもには無関心。戦後の混乱期でしたが、経済的には恵まれていたため、周囲からは“良い家庭”に見えていたでしょう」
家庭に違和感を抱きながらも、子どもであるがゆえ、この環境から逃れることはできない。思春期の加藤さんにとって、「書くこと」が唯一の心のよりどころだった。
「中学生のころから、書くことが救いでした。精神を病まずに済んだのも、命を絶たずに済んだのも、書くという行為があったからです」
自己模索のただ中にあった青春時代、ありとあらゆる思いを書きつけた。家族、恋愛、受験といった身近な悩みから、世界の飢餓や戦争、そして、社会を知らない自分自身への苛立ちや嘆きまで─。自分の内面や疑問と向き合う行為は、その後社会学を志すきっかけへとつながる。そしてこれらの記録はのちに『高校生日記』(PHP研究所)として出版され、悩める若者たちに読み継がれていった。
多くの読者やラジオのリスナーと同様に、家族の問題を抱えて生きてきた加藤さん。人生相談で多くの人々の話を聞いてきたが、「僕自身は人に相談することはほとんどなかった」と振り返る。
「大きな壁にぶつかったとき、誰かに頼る代わりに、古典に頼ってきました。そして、とにかく書き続けることで自分の内面を整理してきたのです」
「自分らしく生きること」とはどういうことか?
元大学教授で、現在は産業カウンセラーとして活動する渡部卓さんは、青春時代に『俺には俺の生き方がある』に強い影響を受けたうちのひとりだ。
同書は、他者の評価や世間の常識にとらわれず、自らの人生を切り開くための指針を示した、加藤さんの初めての著書として人気だ。東大合格を目指し、3浪を経験した若き日の葛藤や、自己実現へのもがきなど、青春時代の熱くほとばしる思いが綴られている。
渡部さんは、早稲田大学の助教授だった加藤さんに憧れ、1974年に同大へ進学した。
「一流大学から一流企業へ就職し、出世する人が勝ち組だという価値観が、今以上に強かった時代です。ところがこの本を読んで、それがいかにちっぽけなことかと、ガツンとやられた。自分らしく生きるとはどういうことかを、真剣に考えさせられました。私たち学生にとって、先生はまさに精神的な支柱のような存在でしたね」(渡部さん、以下同)
思い切って加藤さんに留学サークルの顧問就任を願い出ると、多忙にもかかわらず快諾してくれたという。
「学生にも分け隔てなく、いつも気さくに接してくださいました。講義は大変な人気でしたが、採点には厳格でした。アメリカをはじめ、世界の最先端の心理学に精通しながら、その知見を誰にでも理解できる平易な言葉に置き換えて伝えることができる。
だからこそ、学生たちはもちろん、多くの読者やラジオリスナーから共感を集めていらっしゃるのではないでしょうか」
大学卒業後、渡部さんは大手企業に就職し、順調にキャリアを重ねていった。しかし、加藤さんの
「本当に自分がやりたいことを追い求めなさい」
という言葉がずっと心に残っていた。このまま年齢を重ね、定年まで歩み続けることへの違和感はぬぐえないままだったという。
そんな折、部下との関わりの中で、仕事のプレッシャーでうつに陥り、燃え尽きてしまう社員が多数いる現実に直面する。
加藤さんに打ち明けると、職場のメンタルヘルスに対応できる専門家が不足していることを指摘された。
「その現状を知り、自分自身がこの問題に向き合い、人生の後半戦をかけてみたいと思うようになったんです。加藤先生は、力強く背中を押してくれました」
堅実なキャリアを捨て、45歳で退職。ベンチャーを創業し、産業カウンセラーの道へ進んだ。
「先生に出会わなければ、私はそのまま組織に安住していたでしょう。どう生きるべきか、その問いに向き合うきっかけを与えてくれた、人生の恩師です」
舞い込む悩み相談の“答え”を著書に託して
1993年からは、ハーバード大学の客員研究員として毎年渡米し、研究を続けてきた。早稲田大学教授を退官したのは2008年。最後の講義は受講生で満員となった大隈講堂で行われ、外にまで学生たちがあふれ返るほどだった。どれほど多忙でも執筆の手を止めることはなく、これまでに手がけた著作はおよそ700冊に上る。人生に迷ったとき、何かのヒントを求めるとき、その一冊に救われた人も多いはずだ。
「出版社やラジオ局、時には自宅にも、読者からの悩みを綴った手紙が数多く寄せられました。一つひとつに返事はできない代わりに、必死で本を書いてきました。より多くの人に、自分自身と向き合う方法を伝えたいという思いです」(加藤さん)
'16年には長年の功績が評価され、秋の叙勲で瑞宝中綬章を受章。米寿を迎えた今も、朝はパソコンに向かい原稿を書くことから一日が始まる。その速筆ぶりから、ゴーストライターの存在を疑われたこともあるのだとか。
PHP研究所で長く担当編集を務めた大久保龍也さんは、前任者から「とにかく厳しい先生だぞ、担当者は大変だぞ」と繰り返し聞かされ、内心ではびくびくしていたと振り返る。
「実際にお会いすると、印象はまったく違いました。こんなテーマを考えているんだけど、とざっくばらんに話してくださり、こちらの提案にも柔軟に耳を傾けてくださる。原稿は早く、本も売れる(笑)。編集者としてこれほどありがたい方はいません」(大久保さん、以下同)
日頃は冷静な加藤さんだが、一度だけ、怒っている姿を見たことがあるという。
「'05年に、当時のライブドア社がニッポン放送の株式を大量取得し、経営参画しようとしたことがありました。もし実現すれば、長年大切に守ってきた『テレフォン人生相談』の内容も変更されてしまうかもしれない。そのときばかりは先生も、けしからん!と憤っていらっしゃいました」
タクシーで加藤さんを送り届けたときのこと。運転手が「今の方、加藤諦三さんですよね。いつもラジオで聴いているので声でわかりました」と声をかけてきたという。
「大変な人気で、編集部にも、先生と直接話したいという電話がよくかかってきました。夫と離婚したくて……、といきなり相談を始める方もいました。編集部に寄せられたファンレターは、通常は開封し、中身を確認してから渡してほしいと希望される著者の方々がほとんどです。でも加藤先生宛ての手紙は深刻な個人情報が含まれることが多いため、開封せずにすべてそのままお渡ししていました」
同社からは『心の休ませ方』『不安のしずめ方』など数々のベストセラーを刊行。中でも、版を重ね、長く読み継がれている『自分に気づく心理学』では、加藤さん自身が親の支配からどのように離れ、自己を築いていったかが率直に綴られている。
大久保さんは「実の親のことを、こんなふうに赤裸々に描いても大丈夫だろうか」と心配になったこともあるという。自身の内面や家族との関係にまで踏み込みながら、自己分析の過程で得た気づきを言葉にする。同じ苦しみを抱える読者へ、“偽りの生き方”から抜け出すための手がかりを示してきた。
《自分の中に甘えの欲求があるならば、正しく自分の欲求を理解すること。そうすることで、その不満からどれだけ救われるか分からない》
《小さい頃、愛情欲求を満たされることなくすごした人は、自分は自分の第一の理解者であろうと本気で決意することである。本気で自分にやさしくなろうとすることである》(『自分に気づく心理学』より)
時代が変わっても色あせない“メッセージ”
「50年後、100年後に読まれても古びない本を書くよう心がけています」という加藤さんの言葉どおり、'70~'80年代の著作ですでに、刺激がなければ満足できない現代人の傾向や、拡大する格差社会について言及している。
SNSの普及により、常に他者と比較せざるを得ない社会となった今、この状況を率直にどう感じているのか。
「人間は他人に影響されやすい生き物。これは昔も今も変わりません。ただ、どのような社会であっても、自分の中に確かな軸があればそう簡単には揺らがないはずです」(加藤さん、以下同)
心理学とは、悩める人の前に明かりを灯し、「出口はこちらですよ」と示す営みだと加藤さんは続ける。アメリカの心理学者、デヴィッド・シーベリーの「人間の唯一の義務は、自分自身になることである」という言葉を引きながら、不確実な時代を生きる現代人に向けて、最後にこうエールを送った。
「立派でなければならない、親孝行でなければならない、そんな、“こうあらねば”という思いを捨てましょう。思い込みから解放され、本当の自分を見つけ、幸せに生きてほしい。勇気を持って一歩を踏み出せば、人生は必ず開けていきます」
<取材・文/植木淳子>

