小池美香さん(左)双子の息子を女手ひとつで育てる。長男・徠夢君が7歳のとき頭部を強打し、高次脳機能障害を負う。余命数日の宣告を受けるも諦めず、回復への道を切り開く。徠夢君の言葉「みんなに いきてるだけですばらしいと つたえる」を胸に、2025年から講演活動を行う。

 双子の長男・徠夢(らいむ)君が突然、倒れたのが7歳のとき。奇跡的に命はつながったものの、重い脳損傷により寝たきりとなった。母・美香さんは女手ひとつで仕事と家事をこなしながら、リハビリに寄り添い続けてきた─そして10年。「人は、ただ存在しているだけで素晴らしい。わが子を見ていると、ありがとうという言葉しかない」

「公園で遊んでいた1時間後、息子は意識不明になりました─」

 そう当時を振り返るのは、重度の障害がある徠夢君(17)の母であり、現在は講演活動を行う小池美香さんだ。あの日を境に、それまで当たり前だった日常は、音を立てて崩れていった。

息子の事故から始まった、母の闘い

 当時7歳だった徠夢君は、公園で突然倒れ、頭を強く打った。原因ははっきりしないまま、救急搬送。知らせを受けて駆けつけた美香さんの目に飛び込んできたのは、わが子とは思えないほど変わり果てた姿だった。

事故前、公園で元気に遊んでいたころの徠夢君。突然、日常が一変した

「ついさっきまで普通に話していたのに、呼びかけてもまったく反応がないんです。なぜ頭を強打したのか。目撃した人もいないため、何が起きたのか理解が追いつかなくて、ただ“どうして?”という言葉だけが頭の中でぐるぐる回っていました。現実を受け止める余裕なんてまったくなく、パニックでした」

 医師から告げられたのは、あまりにも厳しい見通しだった。脳の損傷は深刻で、「余命は2、3日。仮に目を覚ましても、家族を認識することは難しいかもしれない」と説明される。

「正直、頭が真っ白になりました。でも同時に、“ここで私が諦めたら、この子は本当に終わってしまう”という思いも強くて。根拠があるわけじゃないんです。ただ、この子はまだ生きている、その力を信じたい、信じるしかないと思っていました」

 その思いに突き動かされるように、美香さんはすぐに行動を始める。翌日には学校を訪れ、担任や友人たちに協力を求めてメッセージを集めた。それを録音し、病室で何度も聞かせる。声をかけ、歌を歌い、絵本を読む─反応がなくても、できることはすべてやった。

「意味があるかどうかなんて、そのときは考えていませんでした。何もしないでいるほうが怖かったんです。“今の私にできることは何か”をずっと探し続けていました」

 入院から約2週間後、徠夢君は目を開けた。しかし、視線は合わず、反応も乏しい。

「目が開いた瞬間は本当にうれしかったです。でも、そのあとすぐに、“あれ、この子は戻ってきていないかもしれない”と気づいてしまって……。喜びよりも、失ったものの大きさを突きつけられるような感覚でした」

“助かった命”と、“元には戻らない現実”。その狭間で揺れる感情は、言葉にしきれないものだったという。

「絶対に大丈夫」医師の言葉に励まされ

 仕事は介護休暇を取り、付き添いに専念した。しかし、状況は簡単には変わらない。徠夢君は人工呼吸器をつけ、脳のむくみの影響で頭蓋骨を外した状態。リハビリについて消極的な見方を示す医師もいた。

「遠回しに“やっても大きな改善は見込めない”ということなのかなと。でも、それで納得できるほど簡単な気持ちではありませんでした。この子の未来を、今ここで決めつけていいのかと」

 美香さんは、「別の可能性を探したい」という思いで動いた。自身が医療職だった経験から、適切なリハビリを受けられるケースであることも知っていた。

徠夢君がノートに書いた言葉

 転院を求め続け、ようやくリハビリ病院への道が開ける。そのとき、張り詰めていた心をほどいたのは、転院先の医師のひと言だった。

「“大丈夫。退院するころには、今を忘れるくらい良くなっていますよ”と言ってくださって。それまでマイナスの言葉ばかりだったので、初めて未来の話をしてもらえた気がして……あのとき、初めて泣きました」

 リハビリは少しずつ実を結び、徠夢君は感情を取り戻し、認識力も回復していく。泣く、笑うといった反応から始まり、色や名前を理解し、やがて文字を書くまでになった。

 しかしその裏では、終わりの見えない生活が続いていた。離婚後、双子を一人で育ててきた中での介護。仕事との両立、経済的不安……。

「余裕なんて本当にありませんでした。時間も気持ちも常にギリギリで、“ちゃんとできているのかな”と自問する毎日でした。でも、立ち止まるという選択肢はなかった。目の前のこの子のことだけを考えて、一日一日をつないでいくしかなかったんです」

 美香さんは「リハビリは現状維持にしかすぎない、もっと身体の機能をよくする可能性を探したい」と、嚥下訓練のため長野の病院に入院した。目標は「食事を口からとること」。

「リハビリには数か月かかりましたが、食べられるようになったときは、本当にうれしかった。身体も大きくなって、表情も変わっていって。“まだ伸びる力があるんだ”と実感できた瞬間でした」

 その後、体力も安定し、2024年には3度目の挑戦で気管切開を閉鎖。意思表示も、さらにはっきりしていった。

「いきてるだけですばらしい」

 そしてある日、徠夢君がノートに書いた言葉が、美香さんの背中を押す。

「みんなに いきてるだけで すばらしいと つたえる」

「この言葉を見たとき、“この子はちゃんと伝えたい思いを持っているんだ”と強く感じました。それなら、私がその橋渡しをしようと。そう思って講演を始めました」

講演会を終え、参加者と記念撮影。多くの人に徠夢君のメッセージが響いた

 会場の手配から集客まで一人での活動。徠夢君も参加し、その言葉は多くの人の心に届いている。

「障害は決して特別なことではありません。誰にでも起こりうることです。そのときにどう向き合うのか、どう支え合えるのかを考えるきっかけになればと思っています」

“奇跡”と呼ばれることもある歩み。しかし美香さんはこう言葉を選ぶ。

「奇跡というより、本当に小さな積み重ね。できることを一つずつ続けてきただけ。その連続が、今につながっているんだと」

「あの日」から10年─。

 失ったものの大きさは変わらない。それでもなお、確かに手にしたものがある。

「生きているだけで価値がある。そのことを、私はこの子から教えてもらいました。だからこそ今は、その思いを、少しでも多くの人に届けていきたいと思っています」


取材・文/小野寺悦子