2026年3月24日、初めて浜松市を訪れた佳子さま

「先輩の話が聞ける貴重な機会でしたね」
「先輩の活躍やアドバイスをつなげていて、すごく大切な活動ですね」

 秋篠宮ご夫妻の次女、佳子さまは3月24日、静岡県浜松市を訪れた。報道によると、就職や日本語学習などについての情報を提供したり、相談に乗るなどの支援活動を続けている日系人グループ「COLORS(カラーズ)」の若者たちと懇談した。そして、冒頭のように答えながら、佳子さまは熱心に話を聞いていた。

私的な取り組みとしてブラジル人が多く住む浜松市を訪問

 さらに、ブラジルやペルー国籍の子どもたちが通う外国人学校で、子どもたちが日本語を学ぶ様子などを見学した。ペルーの伝統舞踊や和太鼓の演奏が披露され、佳子さまは、「とてもかっこよかったです」「迫力ある演奏でした」などと感想を述べながら大きな拍手を送っていた。

 佳子さまは2023年にペルーを公式訪問、'25年にはブラジルを公式訪問している。宮内庁によれば佳子さまは日本で暮らす、外国にルーツを持つ人たちの生活などに関心があり、今回、私的な取り組みとして多くのブラジル人らが住む浜松市を訪ねたという。

今から30年前、『修養団創立90周年記念大会』にお招きをいただいたときのことが思い出されます。その大会においては、修養団の新たな運動として、『幸せの種まき運動』が発表されましたが、それが現在に至るまで継続されているとのことです。

 そのことをうれしく思いますとともに、これからも多くの人々が、一粒でも多くの幸せの種をまき、暮らしに優しい社会の実現に一層寄与されることを期待しております

東久邇宮成子さんの人生から佳子さまが学ぶこと

 秋篠宮ご夫妻は3月20日、東京都渋谷区の国立オリンピック記念青少年総合センターで行われた、社会教育団体「修養団」創立120周年記念大会に出席した。「修養団」は1906年、福島県出身の蓮沼門三氏を中心とする学生らによって創立され、青少年の健全育成などを目的に、ボランティアや災害被災者支援、国際交流事業などの活動をしている。今年2月11日には創立120周年を迎えた。

 式典で、秋篠宮さまは前述したように挨拶した。また能登半島地震で被災し、修養団から支援を受けた石川県輪島市の中学生たちが感謝の言葉を述べると、ご夫妻は盛んに拍手を送っていた。

昭和天皇と香淳皇后の長女、東久邇成子さん

 同じく3月20日は、2019年に74歳で亡くなった東久邇信彦さんの命日に当たる。信彦さんの母親は、昭和天皇と香淳皇后夫妻の長女、東久邇成子さんで、信彦さんは上皇さまの甥にあたり、天皇陛下と秋篠宮さまとは、いとこの間柄となる。

 成子さんの称号は「照宮」で、戦前に東久邇宮盛厚王と結婚。戦後の混乱期をたくましく生き抜き3男2女を育て上げた。生前、成子さんは、今の佳子さまのように国民からとても人気があった。成子さんは1961年7月23日、35歳という若さで亡くなったが、今年で没後65年を迎える。

《還暦の祝ひのをりも病あつく成子のすがた見えずかなしも》

 以前、この連載で紹介したが、1961年4月29日、昭和天皇は満60歳、還暦の誕生日を迎えた。この約3か月後には最愛の娘である成子さんを亡くすという悲劇にも見舞われていて、昭和天皇はこのような悲しい歌を詠んでいる。

 生前、長男の信彦さんは弟の壬生基博さんと対談し、戦後に苦労した母親の思い出を、秩父宮妃勢津子さまら皇族方との共著『思い出の昭和天皇 おそばで拝見した素顔の陛下』で次のように紹介している。

東久邇さん「相当頑張り屋でしたね」
壬生さん「そうでなくても、うちの母親は、ずいぶん苦労したと思います」
東久邇さん「いままで世間を知らない人が、世間の荒波におっぽり出されているわけですからね。ほんとうに、一から。お金もいじったことがないのに、お金の価値観とかそういうところから始めているわけですから。並大抵の苦労じゃなかったと思います」
壬生さん「ある意味で、相当の落差だと想像します。時代が変わって、そのなかで兄弟五人、私みたいないい加減腕白の限りをつくしている人間を育てながら、なおかつ努力…私がそういうことを言うのも変ですけれども、いまから思うと母は立派だったと思います」

 成子さんは佳子さまと同じく内親王殿下として生まれ育ち、戦後、一般国民となっている。それだけに、成子さんの人生から佳子さまが学ぶことは少なくないかもしれない。

佳子さまは天皇ご一家を心配されている

 宮内庁は3月24日、天皇、皇后両陛下と長女の愛子さまが、東日本大震災から15年に合わせて25〜26日に予定していた岩手、宮城両県への訪問を延期すると発表した。両陛下に風邪の症状がみられるためで、天皇陛下が体調不良を理由に地方や東京都内の訪問を延期するのは、即位後初めてのことだという。

 天皇陛下は回復傾向にある一方、咳が残り、皇后さまは37度台の微熱があり、医師からの助言を踏まえ側近職員と延期を相談したという。ご一家は、訪問延期を心から残念に思い、準備してきた両県の関係者に感謝しているという。

福島での天皇ご一家。ご懇談は、被災時の状況を聞きつつも、時折笑顔が垣間見える場に

 昨年5月、埼玉県で「第75回全国植樹祭」が開催されたが、このときも皇后さまは体調不良のために同行できず、陛下は一人で出席している。

雅子は、一つひとつの公務に向けて体調を整えるよう努め、心を込めて準備して公務に臨んでいますが、いまだ回復の途上で、体調には波があり、大きな行事の後や行事が続いた場合に、疲れがしばらく残ることもあります。そのような際には、十分に休息を取ってほしいと思いますし、これからも、無理をせずにできることを一つひとつ着実に積み重ねていってほしいと思います。(略)

 私たちそろって、国民の皆さんが直面しているさまざまな状況や困難に心を寄せながら、皆さんとの触れ合いの機会を大切にしたいと思っています。(略)私と雅子は、今後とも国民の幸せを願い、二人で協力しながら務めを果たしていくことができればと思っています」

 今年2月、66歳の誕生日を迎える前に行われた記者会見で天皇陛下はこう語り、皇后さまの体調を気遣いながら、二人で一緒に公的な仕事に取り組む意欲を見せていた。
愛子さまをはじめ、天皇ご一家と親しい佳子さまだけに、両陛下のことをとても心配していると思う。
 

えもり・けいじ 1956年生まれ。1980年、毎日新聞社に入社。社会部宮内庁担当記者、編集委員などを経て退社後、現在はジャーナリスト。著書に2025年4月刊行の『悠仁さま』(講談社)や『秋篠宮』(小学館)など