母・紀子さまと一緒に生け花の展覧会を鑑賞(2026年4月8日)

「花と器の調和が、素敵な空間をつくり出していました」

 秋篠宮家の次女、佳子さまは4月8日、母親の紀子さまと一緒に東京・日本橋のデパートで開かれている「圓照寺門跡 山村御流いけばな展」を鑑賞した。そして、佳子さまは冒頭のような感想を述べた。

皇室とゆかりの深い寺院

福島県双葉町の「東日本大震災・原子力災害伝承館」で花を供える天皇、皇后両陛下と愛子さま(2026年4月6日)

 奈良県にある圓照寺は、後水尾天皇(在位:1611年〜1629年)の第1皇女・文智女王によって開山されたといわれ、皇室とゆかりの深い寺院として知られている。山村御流は同寺の門跡が代々、家元を務める生け花の流派で、山や野に咲く草花を自然のまま仏前に供えるという。

 会場には約70点の作品が展示され、二人は13代門跡で家元の萩原道秀さんの案内で生け花をじっくり見て回った。

 東日本大震災で被災した福島県浪江町の「大堀相馬焼」の花器に、トチノキとシャクヤクを生けた作品の説明を聞きながら、紀子さまは「忘れないでいることは大切ですね」と感想を述べていたという。

《東日本大震災から15年という年に、初めて3人そろって福島県を訪れることを感慨深く思います。(略)双葉町の「東日本大震災・原子力災害伝承館」で花をお供えし、犠牲となられた方々に哀悼の意を表するとともに、これまでの福島の人々の苦難を思い、復興に尽力されてきた方々への敬意の念を新たに致しました。

(略)初めて福島県を訪れた愛子にとっても、今回の訪問は被災された方々や、復興を担う方々からお話を直接うかがう貴重な機会になることと思います。私たちそろって東日本大震災による被害の大きさを肌で感じるとともに、様々な苦難を乗り越えてこられた福島の人々の思いを改めて深く心に刻み、災害の記憶や教訓を引き継いでいくことの大切さについて思いを新たにいたします(略)》

 天皇、皇后両陛下と長女の愛子さまは4月6日から2日間の日程で、福島県を訪問した。両陛下が復興状況の視察を目的に同県を訪れるのは即位後初めてのことで、愛子さまにとっては初の福島訪問となった。

 以前、この連載で触れたとおり、天皇ご一家は、東日本大震災から15年の節目に合わせて3月25日と26日に岩手、宮城両県への訪問を予定していたが、両陛下に風邪の症状がみられたため延期している。両陛下は福島訪問初日の夜、侍従を通じて前述したような感想を公表した。

 ご一家は6日、東京電力福島第一原発が立地し、原発事故で全町避難を余儀なくされ、現在の居住人口が震災前の3パーセントに満たない双葉町を訪れた。濃紺のスーツ姿の三人は「東日本大震災・原子力災害伝承館」に到着すると、供花台に白い花を供え、海の方向に向かって深々と拝礼した。館内の柱にはこの地域で約4メートルの浸水被害があったことを示す目印があり、館長の説明に陛下は「4メートルですか」と言ってうなずいていた。ご一家は館内を視察した後、双葉町出身の被災者らと懇談した。

「とみおかアーカイブ・ミュージアム」を視察

英国に留学当時の天皇陛下。現地での警備は過剰なものではなかったという

 7日、ご一家は富岡町を訪れ、震災と原発災害関連遺産を収蔵・展示する「とみおかアーカイブ・ミュージアム」を視察した。館内には住民の避難誘導中、津波に巻き込まれて損壊したパトカーが常設展示されている。

 乗車していた警察官のうち一人は遺体が見つかり、もう一人は行方不明のままだという。報道によると、皇后さまは、「本当に痛ましいです」と述べたという。

 その後、ご一家は大熊町と浪江町を訪問している。大熊町にある町立義務教育学校「学び舎ゆめの森」では授業の様子などを視察し、住民たちと懇談した。

 報道では、震災当時、福島第一原発で警備員をしていた男性に、皇后さまが「そのときはどう思われたんですか?」と尋ね、男性が「日に日に状況が悪くなったときの気持ちは、言葉では表せないほど」と振り返った。そして陛下は「大変な状況でしたね」と気遣っていたという。

 天皇ご一家が福島を訪問する前日の5日午後、茨城県笠間市の常磐自動車道下り線の友部ジャンクション付近で、奈良県警の大型バスが横転する事故が起きている。この事故で、バスに乗っていた奈良県警の機動隊員のうち四人が軽傷を負い、このうち一人が病院に搬送されたという。

 警察によると、バスに乗っていた機動隊員は警備のため福島県に向かう途中だった。天皇ご一家が福島県に滞在するため、全国から警察官が派遣されていたという。

 ご一家が新幹線で出発した6日午前のJR東京駅でも、警備が厳重だったらしい。その場に居合わせた関係者によると、駅構内にはご一家が通る、かなり離れた場所に規制線が張られて立ち入りが制限されたという。スマホでの撮影も禁止されたらしい。

 ご一家は、通勤客たちに向かって手を振っていたのだが、たまたま居合わせた人たちは天皇、皇后両陛下と愛子さまだとは確認できず、「誰、誰?」「なになに?」と周囲に尋ね回る人の姿も見られたらしい。別の関係者は、「せっかくの天皇ご一家と国民との貴重な触れ合いの機会だったのに、これでは残念です」と話していた。

 1985年11月、英国・オックスフォード大学での留学を終えて帰国した天皇陛下は記者会見で、「英国に比べて警備が過剰なのではないか」などと述べたことがある。当時、陛下は浩宮さまと呼ばれていた時代で25歳、独身の若きプリンスだった。

《陛下「英国王室の方々の警備を見て感じるのですが、警備というものは二つのものを隔てるものではなく、それを警護するものであるべきなのですけれども、日本の警察の場合ですと、英国に比べて警備が過剰なのではないかなという印象を受けます。警備というものは、国民と皇室の間を隔てるものであってはいけないと考えています(略)」

記者「あまり警備が目立たないようにということですか」

陛下「ある意味では目立たないということと、スマートさということです」

記者「日本の場合に過剰だということは、具体的にはどんな例があるのですか」

陛下「たとえば人数です」

記者「人数が多すぎるということですか」

陛下「そうです。それから目立ち過ぎるということです。英国の場合ですと(略)、確かに要所要所にはしっかりと警察官を配置しているわけですけれども、決して目立つものでもなければ、国民と王室との間を隔てるものでもないという印象を強く受けました」》(『新天皇家の自画像 記者会見全記録』文春文庫より)

 この記者会見から40年余りになるが、国民との触れ合いを大事にしたい皇室と警備の問題は古くて新しいテーマだといえるだろう。

 両陛下は、皇室警備の現状をどう考えているのだろうか。そして、若い佳子さまの意見はどうだろう。お聞きしたい気がする。

<文/江森敬治>

えもり・けいじ 1956年生まれ。1980年、毎日新聞社に入社。社会部宮内庁担当記者、編集委員などを経て退社後、現在はジャーナリスト。著書に2025年4月刊行の『悠仁さま』(講談社)や『秋篠宮』(小学館)など