麻田弘潤さん 撮影/武藤奈緒美

 可愛らしい仏様がモチーフのはんこを作りながら仏教を伝え、地域の人々からも親しまれる住職が歩んできた意外な半生。転機となったのは2004年、新潟県中越地震だった─。

仏や親鸞の教えと僧侶の現実との間にズレを感じた

 インスタフォロワー数4.8万人。僧侶と消しゴムはんこ作家、2つの顔をもつ麻田弘潤さんは新潟県小千谷市にある浄土真宗のお寺、極楽寺の住職だ。元TOKIOの山口達也さんの講演会や、有名ミュージシャンを呼んでライブを催したこともある。

 新しいことに積極的で、企画力に富み、次世代を担う住職として注目され、檀家も少しずつ増えているという。実際に本人にお会いすると、静かで控えめ、素朴な印象だ。だがその奥にはしなやかな芯が見え隠れする。

「昔の自分はこんな活動をしなかったです」と麻田さん。「自分に負荷をかける」と決意したときから、人生は大きく動き始めたという。

子どものころ『ダメ』と言われ続けていました。ボソボソと話すからだったのでしょうか。学校では団体行動の輪に入れずいじめに遭うこともありました。私自身、“こうでなければ”という常識にはめられていたのでしょう」(麻田さん、以下同)

 通知表にはダメ出しの文章が欄外にまで及んだ。「他の子とは違う」─そんなレッテルを貼られて自己肯定感はかけらもなく、どんどん言葉を発しなくなっていった。中学のころに先生のすすめで文化部からバレーボール部に転部したものの、

最初はすぐにレギュラーになったのですが、ルールがわからなすぎてサボっちゃったら、そのまま補欠に固定されてしまいました

 高校で一念発起、「レギュラーになりたい」との思いから真剣にバレーボールに取り組み、レギュラーを獲得することができ目標を達成した。しかし親が勉強を優先してほしいと頼み込んでくるほど勉強は苦手で、実家の寺の宗派の仏教系の専門学校に進む。

仏教を学んでみると、仏や親鸞の教えと僧侶の現実との間にズレを感じ、疑問を抱くようになりました

 そのせいもあり、6年間仏教について学んだが僧侶ではなく介護職を選び、介護施設で2年間働いた。

要支援2以上の認定を受けた認知症のお年寄りが入居し、スタッフと共同生活を送るグループホームです。利用者に24時間、寄り添ってケアしました

救われたのは、介護している自分のほうだった

大きな板状の消しゴムに図案を転写し、カッターで彫り進める。5分ほどでできあがり 撮影/武藤奈緒美

 あるときお年寄りに、ボソボソと話す声を褒められた。元気なお年寄りが通うデイサービスでは、スタッフも元気さが求められ、楽しいレクリエーションが行われる。だがグループホームでは、穏やかな日常も必要とされる。

耳の遠いお年寄りは、耳元でゆっくり話される声がかえって心地よく感じるようなんです。自分がダメと思っていた部分がいいと言われるのは発見でしたし、ちょっと自信が出ました。救われたのは、介護している自分のほうだったかもしれません

 そのころから「一人ひとり違っても、みな尊い」という仏教の教えが腑に落ちるようになり、仏教への興味を取り戻していくこととなった。

 2003年、寺の改築に伴い実家に戻ることにした。それまでの寺は、3代前の住職が「浄土真宗の信仰はそのままが生活であり生命である」と唱え、大正15年に建てられた洋館の寺だった。

一般的なお寺のイメージとはまったく異なる建物でしたが、仏教思想に基づき女性の社会進出を目指した女学院を設立したほか、墓地を全廃し共同納骨堂を建立するなど、今までにないお寺をつくり上げていました

 しかし平成に入ると、画期的な寺も老朽化が進み、改築することに。基礎となる土台と柱を重視し、300年は持つといわれる大きな寺に生まれ変わった。

 だが、お披露目が行われた5か月後の'04年10月23日、新潟県中越地震に見舞われる。

 最大震度7の震源地は隣町で、寺の場所からすぐの場所。丈夫な土台に生まれ変わった寺は、揺れにもびくともしなかった。おかげですぐに町内住民の避難場所となり、あちこちから人が集まる。

それまで身につけた僧侶としてのキャリアがまったく役に立ちませんでした。どれだけいい声でお経を読めても、仏教のことを知っていても、それはお寺の中で役立つスキルでしかなく、被災の現場では役に立たない。思いのほか何もできないことに気づき、これはまずい、とにかく動かなくてはと考えました

 ただただ突き動かされるように身体を動かし、前に出た。「人生に負荷をかけなくては」、そんなことを考えていた。目の前のご縁から逃げずにボランティアに打ち込んだ。麻田さんの今の姿の原点は「このとき生まれた」という。

自分が勝手に枠をつくっていただけだった

 今までできないと避けていたことにもチャレンジしてみた。当時の仮設住宅は湿気が多く、それによって困っているという声を聞くと、ボランティアで知り合った人の紹介で除湿機の提供を大手家電メーカーに直談判したのだ。

大きな板状の消しゴムに図案を転写し、カッターで彫り進める。5分ほどでできあがり 撮影/武藤奈緒美

 不慣れな交渉をしたものの結果は撃沈。思うような展開にはならなかった。

でも不思議と、それを恥ずかしいとは思わなかった。うまくいかないならもうやめよう、ともならず、やれることはとにかくやってみたいと思っていました

 地震の日から走り続け、無我夢中で復興への希望を目指す中、復興ボランティアを通して多くの人に出会う。ボランティアの中には、少しこちらが身構えてしまうような風貌の人もいた。

今までの私の人生では出会ったことのない人たちでした。でも彼らこそ被災したタイミングで何をすれば皆に笑顔が戻ってくるか、わかっている人たちでした。テントを立てる、ゴミ拾いをするなど細かなことにも労を惜しまず、すぐ手を貸してくれる

 自分の中に抱いていた偏見を恥じた。

今まで頭に描いてきたものは想像に過ぎず、自分が勝手に枠をつくっていただけだと思い知りました

 消しゴムはんこに出合ったのは、'07年に自身が主催する復興イベントの一環だった。フリーマーケットで消しゴムはんこを使ったエコバッグを作るワークショップを行うことになり、麻田さんが消しゴムはんこ担当になったことがきっかけだった。

 その後も消しゴムはんこの活動は行っていたが、あくまで趣味の範囲で出店やワークショップをやる程度だった。しかし、'11年の東日本大震災のボランティアで訪問した東北の仮設住宅の集会所で、被災者にリクエストされた消しゴムはんこを作っていたときに転機が訪れる。

「私は早く彫るため作業に集中し、目の前の方は自分のオーダーの消しゴムはんこの制作過程をじっと見つめている。視線を外しながら気張らず会話を重ねているうちに、周りの方も聞いたことのない当時の避難の様子を話してくださいました。

 それまでは消しゴムはんこを完成させることが目的でしたが、作る過程のコミュニケーションこそ本質ではないかと思うようになりました。それならば僧侶としての活動に消しゴムはんこ作りを取り入れたら素敵なことになるのではないかと感じました

 それ以来、袈裟衣姿で消しゴムはんこのワークショップを始めることとなった。

 麻田さんが消しゴムはんこで描き出すのは、仏教説話に基づくモチーフ。消しゴムに目をやりながら仏様や親鸞の話を語り、多くの人々の話を聞く。

自分なりの見方で世の中を見て判断している

サングラスをかけると、その色に染まって見えますよね。サングラスとはそれぞれの人の心で、自分なりの見方で世の中を見て判断している。真実は、その外にあるんです

消しゴムはんことを作りながら仏教思想を体験できるワークショップを全国で行っている 撮影/武藤奈緒美

 麻田さんは今年3月に著書『極楽寺のお坊さん式 こころのストレッチ108つ。』を上梓。煩悩の数にちなんだ108項目にわたり《100点よりも“そこそこ”をたくさんやれば何百点にもなる》《当たり前は当たり前でない》《絶対をつくらない》といった、生きるためのヒントが綴られている。

私たちは枠にとらわれすぎて、苦しくなってしまうことや、周りが見えなくなってしまうことが多々あります。そのような枠を、ストレッチするように緩ませることができたら、ホッと安らぎ助けてくれる周りの存在に気づく機会になると思います

新刊のイラストはすべて消しゴムはんこの作品である麻田弘潤著『極楽寺のお坊さん式こころのストレッチ108つ。』(主婦と生活社)※記事の中の写真をクリックするとアマゾンの購入ページにジャンプします。

あさだ・こうじゅん 僧侶。新潟県小千谷市の浄土真宗本願寺派寺院、極楽寺に生まれ、現住職。開かれたお寺を目指してイベントを主催する。2004年、新潟県中越地震で被災。エコをテーマに復興イベント「極楽パンチ」を始める。'07年に消しゴムはんこ作家の活動も開始。消しゴムはんこ作りを楽しみながら仏教思想を伝えるワークショップやイベントを、これまでに全国各地で150回以上開催し、消しゴムはんこを使った寺院の襖絵や参拝印の制作なども行う。