ネットフリックスで4月末から配信中のドラマ『地獄に堕ちるわよ』。戸田恵梨香が演じる、細木数子さんの半生をもとにしたオリジナルストーリーだが、同サービスの国内ランキングテレビ番組部門で初登場1位を飾り、話題を集めている。
劇中で描かれている島倉千代子さんのトラブル
「この作品は、戦後の混乱時に貧しい幼少期を過ごした細木さんが、あらゆる手段を使って日本で最も有名な占い師へと成り上がっていくという、実話をもとにしたフィクションの体裁をとっています。しかし、細木さんの名前がそのまま使われたり、随所に当時の出来事がなぞらえており、強いリアリティーを感じさせます」(テレビ誌ライター)
その生々しさに拍車をかけているのが、'77年ごろに実際に起きた、島倉千代子さんの借金騒動を発端とするトラブルが劇中に盛り込まれていることだろう。
「巨額の借金を背負うことになった島倉さんを細木さんが一時的に肩代わりしつつ、マネージャーとして歌手活動を支えながら、一時は同居するほどの蜜月関係になったとされています。しかし、その後はギャラの搾取などをめぐって関係が壊れていく様子が描かれています。当時この騒動は、ワイドショーや週刊誌で大きく報じられましたから、記憶に残っている人もいるのではないでしょうか」(スポーツ紙記者、以下同)
島倉さんは細木さんと同じ1938年生まれ。17歳のときに日本コロムビアと契約して演歌歌手の道へ進むと、たちまち人気に。
「デビュー曲の『この世の花』や、'57年の『東京だョおっ母さん』などヒット曲に恵まれ、当時は美空ひばりさんと双璧をなすほどの人気歌手といわれました」
戦後の歌謡界を代表する存在へと駆け上がるも、私生活は波乱の連続だった。
「7歳のときには左腕を47針も縫う大ケガに見舞われます。'61年には歌唱中にファンが投げたテープが目に当たり失明寸前の重傷を負いました。'63年には元阪神タイガースの藤本勝巳氏と結婚するのですが、家族の反対を押し切っての決断だったため家族間に亀裂が入りました」(芸能リポーター、以下同)
50歳のときに発表した『人生いろいろ』
結局、藤本氏とは数年後に離婚し、元夫の事業失敗による負債も背負うことに。
「加えて、以前に目を治してもらって信頼していた眼科医に頼まれて実印を渡してしまい、島倉さんの知らぬ間に多数の保証人にされる事態に。そのせいで元夫から押しつけられた借金と合わせて、総額16億円ともいわれる巨額の借金を背負い込むことになりました。『地獄に堕ちるわよ』の劇中で描かれた、金銭トラブルはこのころのことです」
返済を終えた島倉さんだったが、家族との確執は生涯なくならなかった。
「結婚を反対していた母親との溝は埋まらず、実弟とは音楽事務所や楽曲の権利をめぐって対立したとされます。家族は離散状態になってしまいました」
壮絶な人生を送った島倉さんが'87年、50歳のときに発表したのが、後の代表曲となる『人生いろいろ』だった。
「この曲は大ヒットし、累計売上は130万枚に達したとされます。'88年には第30回日本レコード大賞で最優秀歌唱賞を受賞しました」
浮き沈みの大きい人生を送った島倉さんだが、いったいどのような人物だったのか。同じ日本コロムビアの後輩で、島倉さんと一緒のステージに立っていた演歌歌手の多岐川舞子に話を聞いた。
「私は平成元年の'89年にデビュー後、長らく島倉さんが出演するステージの前座としてご一緒させていただきました。当時の島倉さんは『人生いろいろ』が大ヒットして、本当にお忙しい時期。そんな中、新人の私たちを舞台に立たせてくださいました」
裏切られることの多かった島倉さんだったが、後輩には真摯に向き合っていたという。
「私は幼いころに母を亡くしているのですが、それを知った島倉さんが“母親になってあげる”と言って“娘認定証”まで作ってくださいました。実際、自宅に何度も招いていただき、ごはんをごちそうになり、つきっきりで歌の指導をしてくださるなど実の娘のように可愛がってくれました」(多岐川、以下同)
島倉さんが時折のぞかせていた“弱さ”
島倉さんから、着物の着方や歩き方、お辞儀の仕方からステージでのしゃべり方など、演歌歌手としての心構えを教わったという多岐川。時には叱責を受けることもあった。
「島倉さんは、私の出演するステージの袖に立って、いつも私の歌をチェックしてくれていたんです。そこでMCがつまらないと楽屋で厳しく注意を受けることがありました。また、あるステージでは、袖に立っている島倉さんに私がお辞儀をして舞台裏に戻ったことがあったのですが、そのときは島倉さんから“こっちにお辞儀をして戻ったら、お客さまにお尻を突き出すことになる”と、きつく注意されたことがありました」
叱責だけでなく、フォローも欠かさなかったという。
「厳しく注意を受けた後、メロンゼリーをくださったり。褒め言葉も独特で、私がいいパフォーマンスができると、島倉さんは“よかったでした”を省略して“でした”と言ってくれるのですが、それが最高の褒め言葉でした。今振り返れば、新人が慢心しないようにという心遣いだったのだと思います」
後輩の見本となるような島倉さんだったが、時折弱さをのぞかせることもあったという。
「普段は凛としていて、男っぽいくらいなのに、時折“自分は歌のことしかわからないから”とか、“歌詞を間違えるのが怖い”と、ぽつりと漏らすことがありました。実際、島倉さんの家にはトイレやタンスなど、自宅のあちこちに歌詞を書いた紙が張ってあり、いつでも忘れないようにしていたんです。でも、そういった不安は口にしていましたが、島倉さんから過去の金銭トラブルについての恨みつらみを聞いたことはありません」
島倉さんは'13年11月、肝臓がんのため75歳で亡くなった。
「亡くなる前は病気の影響もあって、帯を締めるのが痛いとおっしゃって、幅を細くして負担を減らしていました。それでもステージに立って歌おうとした姿は忘れられません。私にとっては、本当に大きな存在で、いただいた教えも宝物です」
困難に見舞われても、歌と人を信じ続けた島倉さんの生き方は、後輩たちに受け継がれているーー。
