“子どもたちに「母の味」を残したい”
帯にこう記されたエッセイ&レシピ集『もしもキッチンに立てたなら』(徳間書店)が話題を呼んでいる。副題は『難病ALSのママが綴るいのちのレシピ』。著者は福岡でオーガニック喫茶店「Sounds Food Sounds Good」を営む1男1女の母、はらだまさこさんだ。2023年にALS(筋萎縮性側索硬化症)の診断を受け、失意の中、子どもたちに自分の味と記憶を残したいと、不自由な手でレシピを書き始めた。
“子どもたちに「母の味」を残したい”
3月に放映されたTVQ九州放送『ザ・ドキュメンタリー「君にもう一度、手料理を〜難病ALSと闘う母のレシピ本〜」』はTVerの報道/ドキュメンタリー部門でランクイン。新聞やテレビ、雑誌など、多方面からの取材も殺到し、今、とても注目が集まっている。
ALSとは、徐々に手足が動かなくなり最後には呼吸も困難になる進行性の難病で、治療法がまだ確立されていない。食べることと料理することが何よりも好きなまさこさんだが、肩から下が思うように動かせなくなった今、家族の食事やお店のメニューを調理することはできない。
「キッチンに立てなくなったことがいちばんツラい」と言う生粋の料理好きが、それでも「できない中のできることって何だろう」と前を向いて生きることを決め、この本を完成させた。
難病とともに生きる葛藤や未来への希望、そして家族や料理への愛が綴られたエッセイ。そして、数十品あるレシピの中から選ばれた17品には、お店の看板メニューや家族が好きな料理、子どもに作ってあげたいお弁当などが並ぶ。
「レシピは自分のルーツになるものを中心に選んだんです」
と言うまさこさん。その原点から現在に至る道のりをたどってみよう。
8人家族の食卓で育まれた“食べること”への愛
生まれたのは1981年、愛知県豊橋市。実家は、父が経営する車の整備工場の一角にあった。祖父母、両親、4人きょうだいという8人家族。食事どきには工場の従業員2〜3人もよく加わり、大衆食堂のようなにぎやかさだった。母と祖母が食事を切り盛りする姿を見ながら育ったまさこさん、小学校の調理実習なども好きだったのかと思いきや、「このころは、食べるほうが好きでした(笑)」と。ただ、
「子どものころは、料理の仕事に進みたいという気持ちは特になかったと思うんですけど、最初の夢はパン屋さんでした。幼稚園のころで、パンケーキの絵本が好きだったのを覚えています」(まさこさん、以下同)
いちばん古い自作料理の記憶はチャーハン。
「たぶん小学校4年生くらいですね。近所のおばさんが作り方を教えてくれて、よく作ってました」
きょうだい構成は、全員2歳ずつ違いの4きょうだいで、まさこさんは長女。「ずっと外で遊んでいる子どもでした」と振り返る。現在、福岡でまさこさんを支える3女のみちこさんは、「小さいころから、しっかり者でみんなのお世話を焼いてくれる姉でした」と言う。
「思い起こすと、常にそばにいてくれる存在でした。きょうだい4人がいつもお互いを気にかけて助け合える、大切でかけがえのない関係だと思います」(みちこさん)
中学でお菓子作りに開眼。きっかけは友達が教えてくれたチーズケーキだ。そこにアレンジを加え、試行錯誤から生まれたのが「まっくろバスクチーズケーキ」。今では喫茶店の看板メニューで、本にもレシピが掲載されている。
モーニング文化の街で芽生えた「いつか喫茶店を」
高校に進むと喫茶店でのアルバイトをスタート。
「母から、同じ校区内にある喫茶店でアルバイトを探していると聞いて始めたんです。バイト仲間もみんな中学の同級生だし、ご近所さんがお客さんとして来店されたりして、とても楽しかったですね」
名古屋圏名物として有名な“モーニング文化”は、豊橋でも盛ん。朝の時間帯にコーヒーを注文すると、トーストやゆで卵、サラダなどがついてくるという文化だ。バイト代を手にすると、いろいろな喫茶店のモーニング巡り。サービス満点で美味しいモーニングセットは、後に福岡で開店する自身の喫茶店に大きな影響を与えた。
「私も、夫に心配されるほどサービスをしてしまうタイプで。サービス精神旺盛な豊橋人の血を受け継いでいるのかもしれません(笑)」
高校を卒業すると、グラフィックデザインの専門学校に進学するために上京。趣味は休日のカフェ巡りだった。お店を持ちたいという夢は、このころから?
「実は全然覚えていないんですけど、専門学校のときの友達に、ずっと“自分の喫茶店をやりたい”と話していたみたいで。実際にオープンしたとき、“夢を実現できたね”と言ってくれたんです。自分では忘れちゃってたのに(笑)」
震災をきっかけに15か国を巡って
2011年3月11日を“人生を変えた日”と、まさこさんは表現する。東日本大震災が起こったあの日、まさこさんは南青山のウェブ制作会社で働いていた。公共交通機関が止まり、街が騒然とするなか、結婚を見据えて一緒に暮らしていた現在の夫となんとか合流し帰宅した。だが不穏なニュースは続き、心のざわつきは止まらない。後に夫婦となり、
“家族で安心して暮らせる場所を探したい。子どもが生まれたら東京を離れよう”
2人でそう誓い合い、長男のタカラくんが生まれた約2年後に、この誓いを実行する。
最初は国内での移住先を探したが、ピンとくるところが見つからず、「いっそ海外で探してみない?」と、思いきって夫に持ちかけたまさこさん。「ああ、いいよ」と拍子抜けするほど自然な返事が返ってきて、家族3人での海外移住先探しの旅が始まる。
思いついても実際に行動に移すのはハードルが高いこと。ためらいはなかったのだろうか。
「不安や躊躇より、ワクワクのほうが強かったです。知らない世界や食べ物を知ることができるのがうれしくて」
短いときは1週間、長いときは3か月。リモートワークをしながら世界各地に滞在したまさこさん一家。世界中の美味しいものを求めて、アメリカ、カナダ、ニュージーランド、イタリアなど、日本と行き来しながら2年間で15か国を訪れた。
アメリカのポートランドではスパイスと出合い、オーガニック志向に心惹かれ。カナダのバンクーバーではフィッシュ&チップスやクラムチャウダー、キャロットケーキに心奪われ。そうやって出合った数々の料理を、自分流にアレンジして作ることが何より楽しかったという。
「そんな日々の中から、喫茶店をやる夢が少しずつ具体的になっていった気がします。こんな雰囲気にしたいとか、こんな料理を出してみたいとか」
福岡で喫茶店開業。見つけた安住の場所
タカラくんが3歳になったころ、海外巡りの生活は終わりを告げる。ニュージーランドへの移住を決めた矢先、義父が故郷・福岡の施設に入ることになり、“ここに腰を据えよう”と夫婦で決めたのだ。
夫は関東育ちで、両親の故郷という以外に福岡との接点は特になし。まさこさん自身も「接点はまったくなかったんです。お友達も1人もいなかった」と振り返る。
「でも、見知らぬ土地に住むことへの不安は、全然なかったです。新しいところに飛び込むことに躊躇がないタイプで、むしろ1か所に長くいられない」
そう言って微笑むまさこさんに、「それ、私も一緒かも(笑)」とみちこさん。ほっこりするやりとりに、温かな関係性が垣間見える。
福岡に移住したまさこさんは、喫茶店の物件探しを始める。1年後、ようやく巡り合ったのが現在の店舗。美容院の居抜きでレトロな雰囲気、そして窓の向こうに公園の緑が広がる様子に惹かれ、即決した。こうして2018年に夫婦で喫茶店「Sounds Food Sounds Good」をオープンする。店名の由来は、
「まず、フードという言葉は入れたくて。それと、海外を旅しているときに、よく“Sounds good(『いいね』『よさそう』など、同意や賛成を示すポジティブなフレーズ)”と言われたので、それも入れたくて、言葉遊びのような感じでつけました」
“カフェ”ではなく“喫茶店”にしたのは、豊橋にあった喫茶店への憧れと、レトロな物件の影響から。10数席のこぢんまりしたこの喫茶店で、親子3人が安心して健康に過ごせる生活がスタートした。
海外での美味しいもの探求に加え、喫茶店を始めるまでの2年間、全国各地のイベントやフェスにキッチンカーで出店していたまさこさん。数えきれないほどの試作を重ねてきた末に、“美味しいと感じるもの、安全だと信じられるものを出す”という信念は確信に変わったという。
開業して最初に出したのは、ワンコイン(500円)のおにぎり弁当。塩むすび2つ+日替わりのおかずが評判を呼んだ。そして、「鉄板ナポリタン」や「ドレッシングのためのサラダ」など、本にもレシピが掲載されている人気メニューが次々と加わっていく。
まさこさんの料理に魅せられた1人が、田中文さん。キッチンツール専門店「キッチンパラダイス」店主で、料理研究家の本の企画や編集、執筆など幅広く活動。まさこさんの本についても出版社探しや企画構成、口述筆記を担当した。初来店時に「すごく料理の好きな人が作っているな、こだわりがすごいなと感じた」と言う。
「鉄板ナポリタンをいただいたのですが、とにかく熱々で提供したいというサービス精神が伝わってきましたし、麺は驚くほどの太麺。ケチャップも手作りのような味わいで“これは今まで食べたナポリタンではないな”と感じ、思わず厨房を覗いてしまいました。また、調理道具へのこだわりはもちろんのこと、オーガニックの調味料や食材を使っている点にも、高い意識を感じましたね」(田中さん)
まさこさんの味に惹かれた常連客がお店を盛り上げ、店は地域の人々の集いの場となっていく。笑顔とぬくもりにあふれた、幸せの喫茶店。震災以来の悲願である“安心していられる場所”を、ようやく見つけたのだった。だが……。
「ALSしかない」恐怖と絶望の中で︱
2021年、長女のリンちゃんが誕生。その少し後から、就寝中に足がつったり、足が思うように上がらずつまずくことが増えていく。
出産による骨盤の歪みかと思い整骨院に通うも、骨に異常はない。医療センターでMRIや血液検査をしても、同じく異常なし。大学病院でいくつもの検査を受けるも、なかなか病名は特定されない。
そんななか、カルテに“神経の異常”と書かれているのを見てしまう。その瞬間を“全身の血の気が引くようでした”と、まさこさんは表現する。体調不良の原因を調べていくなかで、ALSが神経の病気であると知っていたからだ。“ALSしかない”という諦めと、“違っていてほしい”という願いが交錯する日々。
「当時のことを思い返すと、あまり覚えていないんですよね。食べることが大好きなのに、何を食べていたかの記憶もなくて。毎日“どうしよう、どうしよう”という気持ちでした」
みちこさんも「ALSかもしれないという話は、結果が出る前から家族でしていました。でも、どうしても受け入れたくなくて、目を背けていたんです」と、振り返る。
医師からALSだと告げられたのは、2023年6月。大学病院の一室で、その瞬間、涙があふれ止まらなくなった。言葉が出なくなったまさこさんに代わって、隣に座っていた夫が静かに「わかりました」と答えた。
成長していく子どもたちに、何もできなくなっていく自分が不甲斐なく、申し訳ない気持ちがこみ上げてくる。“どう生きたらいいのか”“どう前に進めばいいのか”“治すにはどうすればいいのか”と、診断を受けて以降ずっと、頭の中で繰り返していた。
「気づくと涙が出てきてしまう日々でした。でも、当時小学生だったタカラが、泣いている私に“ママなら大丈夫だよ!”と言ってくれて。その言葉で少し立ち直れましたね」
また、みちこさんも、まさこさんを支えるために福岡へ引っ越すことを決める。
「家族のグループLINEで、姉から診断結果について連絡が来て。それまで目を背けていたので、そこで初めてこの病気について調べたのですが、とても衝撃的で受け入れ難く、数日は気づくと涙があふれ出し止まりませんでした。
これから姉を待ち受ける試練はとてつもなく大きくて計り知れない。子どもたちのことを思うと、自分にしてあげられることがあるのならできる限りしたいと思ったんです」(みちこさん)
福岡へ引っ越し
そして2024年4月に福岡へ。
「息子も“いいよ”と言ってくれたので、中学生になるタイミングで一緒に引っ越しました。これまで、どんなときでも心配して助けてくれ、いろいろなことを教えてくれた姉なので、私がしてあげられることがあるのが少しうれしくも思えました」(みちこさん)
“感謝という言葉ではとても足りない”と、みちこさんへの気持ちを語るまさこさん。引っ越しが決まり、「一緒に楽しいことをいっぱいしよう」と2人で話したという。
「以前から、“畑をやりたいから一緒にしない?”とか、いろいろ誘ってくる姉だったんです。いつかはそばに行きたいという思いがもともとあったので、“また一緒に何かできるね”って」(みちこさん)
フットワークの軽さは姉妹共通、その心の軽やかさがとてもまぶしい。
そして、次第にまさこさんの中で、前を向こうという気持ちが芽生えてくる。
「泣くことに飽きたというか、泣いている時間がもったいないと思うようになったんです。“どう生きたらいい?”ではなく、“私はこう生きたい”と考えるようにしようと」
また、車椅子生活の先輩に「みんな、本当に優しいよ。困ったら、まず頼ってみたらいい」と言ってもらったことも大きかった。お世話をすることが当たり前だったので、逆の立場になることに打ちひしがれていたが、“頼っていい”と思えるようになったのだ。実際、“手伝わせてよ”“頼ってくれてうれしい”と、思ってもみなかったほどたくさんの人々が言ってくれた。その先に、レシピ本という構想が生まれてくる。
残したいレシピ本の制作
車椅子での生活になってもお店に出るようにしていたが、ある日、オーブンの天板を持ち上げられなくなる。2023年8月、「お店のシェフとして最後の日なのだ」と、まさこさんは静かに理解した。
それでも、「家族の料理だけは」と台所に立っていたが、包丁を握ったり鍋を持ち上げるのが難しくなっていき、3か月後の11月、訪問ヘルパーさんに料理をお願いすることを決めた。そしてヘルパーさんに自分の味を伝えるため、レシピを書くことを始める。
当初はスマホに指で打ち込んでいたが、次第に指を動かすのが難しくなり、音声入力に。喉や呼吸する筋肉が衰えてくると、声が小さいせいでなかなか認識されない。悔しさのあまり、スマホを投げ出し、それを拾えずさらに情けない思いをしてしまうことも多々あった。
それでも続けたのは、「この料理を家族に食べさせてあげたい」という思い。そして、タカラくんやリンちゃんが将来、このレシピを見ながら料理をしてくれるかもしれない、“母の味”を再現してくれるかもしれないという、未来への夢。
2024年10月、タカラくんの運動会を見に行ったまさこさん。頑張る息子の姿に胸を熱くしながら、“子どもたちに何を残せるんだろう”と考える中でたどり着いた結論が、レシピ本を残すこと。自分の味、美味しいという記憶を形にできたら……。
「そう思った瞬間にエネルギーが湧いてきたんです」
みちこさんはこの話を聞いたときのことをこう振り返る。
「いつも突拍子もないことを言い出すので(笑)、面白そうなことを思いついたね!という気持ちでした。また、自分も便乗できるというワクワク感もありましたね」(みちこさん)
本を作るにはどうすればいいのか。まさこさんは、喫茶店開業時からの常連・伊藤敬生さん(九州産業大学芸術学部教授)や田中さんに相談する。そして伊藤さんがプロジェクトの立ち上げ人となり、田中さんが企画構成を担うことに。
「病気がわかってしばらくたち、気持ちが沈んでいるのではないかと心配していた矢先に、声をかけてくれました。いつものまさこさんらしいバイタリティーが戻ってきたことが、本当にうれしかったです。なんとしても夢をかなえてほしいと思う一方で、どうやって出版社に売り込むかという現実的な課題に頭を悩ませる日々でもありました」(田中さん)
エッセイは口述筆記。レシピは、まさこさんがスマホにメモしていたものを友人たちに調理してもらい、調味料の分量を細かく調整。多いときには10回もやりとりを繰り返したという。こうして、見るだけでお腹がすいてくる美味しそうな写真とともにレシピが完成した。調理と撮影は、「Sounds Food Sounds G ood」にて。
「ママ友たちが16人も協力してくれて、笑顔がいっぱいの現場でした。お店をつくるとき、みんなが集まってワイワイできる、アットホームで気軽な場所にしたかったので、それが実現してすごくうれしかったです」
制作中、大事にしていたことを田中さんに伺うと、
「まず何より、この夢をかなえて、まさこさんに喜んでいただき、それが日々を支える力になればという思いがありました。同時に、決して無理をさせてはいけないとも考えていましたね。長時間のインタビューは難しいので、4〜5回に分けるなど、体調に配慮しながら進めました」(田中さん)
また、みちこさんも「目標に向かってまっすぐ突き進んでいく姿は、まったく変わっていないな」と感じたという。
「どんな状況でも諦めずに前を向き、自分らしく生きる姿に、周りの人たちは心動かされたと思います。神様は乗り越えられない試練は与えないというけれど、本当なんだなと感じています」(みちこさん)
2026年3月21日、書店の棚に並んだ『もしもキッチンに立てたなら』。夢がかなったまさこさんだが、
「出版が決まっても、完成本が届いても、実際に発売されても、いまだに実感が湧かないんです。子どもたちも、当たり前のように“あ〜本できたね〜”くらいの反応で(笑)」
と苦笑するが、とっておきの素敵な話を教えてくれた。現在、中学生で難しい年頃のタカラくんに、ちょっと変化が起こったというのだ。
「以前は隣に座るのも嫌がっていて、同じ部屋にあまりいなかったんですけど、ちょこんと隣に座るようになったんです。だんだん会話も増えて、すごくいい関係に戻りつつあるなあって。本がきっかけで、ちょっと反抗が和らぎました(笑)」
「うれしいよね」と言うみちこさんに、「うん」と笑顔で答えるまさこさん。タカラくんは、お母さんの思いをしっかり受け取ったのだろう。
「楽しいことが好きだから」希望を持ち続ける︱
さて、“母の味を残したい”と願う相手、お子さん2人について聞いてみよう。
「タカラはこだわりが強くて、頑固で自由。リンはしっかり者で、お友達や家族の中でみんなを仕切っています(笑)。2人とも私の性格を引き継いでいて、分身のような存在ですね。大きくなったときに、自分のルーツとして本がヒントになればいいなと思っています」
どんな人になってほしいかを尋ねると、「傲慢にならなければ、それで十分」と微笑む。
オーガニックや食の安全性について強く考えるようになったのも、子どものためという。
「20代まではコンビニ食やファストフードも食べていたんですが、子どものことを考えたときに、いいものを与えてあげたいと思って。小さいときに基礎をつくってあげれば、大人になってもそこまでブレないんじゃないかなと思うんです」
調味料を吟味し、ケチャップやマヨネーズ、ドレッシングも手作りしていたまさこさん。ところが本人は「めんどくさがりです」と笑う。とてもそうは思えないのだが!?
「完全に独学なので、けっこう端折ってるんですよ。下処理などの中で、省けるものは省く。めんどくさがりだから(笑)。でもこだわる部分は、とことん追究しますね」
まだ治療法が確立されていないALS。だが、わずかではあるが、進行が止まったり症状が軽くなった例=「ALSリバーサル」がある。“世界のどこかに回復した人がいる”という事実が、まさこさんの心に小さな明かりを灯した。「リバーサルに懸けて生きよう。私は希望を捨てない」という思いを胸に、今日を生きていく。
そして、その先に思い描いている夢もたくさんある。
「今回の本に入っていない料理もたくさんあるので、今度はレシピが中心の本を出せたらいいなと思っていて。あと、海が見えるキッチンで料理教室をやりたいです。以前やっていた陶芸や金継ぎも、またやりたいし。料理まわりのことにすごく興味があるんですよね。自分の作ったお皿で出せたら素敵だし、金継ぎはお気に入りの食器が割れてしまっても、継ぐことで新しい美が生まれるのがいいなと思うんです」
まさこさんにとって、食は屋台骨のような存在なのかもしれない。
以前、「どうしてそんなに頑張れるの?」と、まさこさんに尋ねたという田中さん。
「そのとき返ってきたのは“楽しいことが好きだから”。とても彼女らしい言葉だと思います。ただ、やはり無理だけはしないでほしい。どんな状態であっても、まさこさんは存在そのものが周りを明るく照らしています。どうかそのままのまさこさんでいてほしい」(田中さん)
その願いはきっと、まさこさんの周りの人のみならず、本を読んだ人たちもきっと同じだろう。“この本が、どこかで誰かの希望となりますように”本の最後に記されたこの一節が読者の心に希望の種を蒔き、今度はまさこさんにまた返ってくる─そんな希望の往復運動がずっと続いていくことを、願わずにいられない。
<取材・文/今井ひとみ>
写真提供:徳間書店

