引退した錦織圭 写真/共同通信社

《これまでのすべてを振り返ったとき、『やり切った』と胸を張って言える自分がいます》

 5月1日、プロテニスプレイヤーの錦織圭が、自身のSNSで今シーズン限りでの引退を発表した。

「5歳からテニスを始めた錦織選手は、中学生のときにアメリカへテニス留学。2008年に18歳でツアー初優勝を果たし、日本人男子選手では松岡修造さん以来2人目となる快挙を達成しました。

 2014年の全米オープンで、アジア人で初めて4大大会の決勝に進出して準優勝。リオデジャネイロ五輪では銅メダルに輝き、日本男子テニス界に96年ぶりのメダルをもたらしました」(スポーツ紙記者、以下同)

 代名詞となったジャンプしながらフォアハンドで放つ“エア・ケイ”などを武器に世界のトップ選手と渡り合ってきた。2015年には日本の男子選手最高位となる世界ランキング4位に。文字どおり日本テニス界を牽引してきた。

「近年はケガに悩まされていました。2017年に右手首、2019年に右ひじ、2022年に左股関節を手術。そのたびにコートに戻ってきましたが、満身創痍の状態。9月30日に開幕のジャパンオープンが最後の大会になると見られています」

「力を貸してください」頼った人物

 2009年にも右ひじを痛め、手術を受けた錦織。そのときにリハビリのパートナーとして選んだのが、元テニス選手・杉山愛の母で杉山のコーチも務めていた杉山芙沙子さんだった。当時の話を聞いた。

「2009年は愛がちょうど引退する年で、私も愛のコーチを辞めたタイミングでした。私がコーチを辞めるという報道を見た圭と、ご両親が訪ねて来てくださって、“愛さんがケガなくプレーできるようにサポートしていた力を今度は圭に貸してください”とお願いをされました

錦織圭がリハビリのときにサポートを受けた杉山芙沙子さん(左)と、杉山愛(杉山芙沙子さんの公式HPより)

 その年の2月に世界ランキングで56位となり、年内には松岡修造の46位を超えると期待されていた中での手術だった。

ケガをしても“絶対に治る”という信念でリハビリに臨んでいました。身体の状態がいいときは誰もが認める素晴らしいプレーをしますし、彼自身も身体さえ万全であれば、という自信もあったと思います。

 それに、プロとして自分のパフォーマンスをお客様に見せるからには、ちゃんとしたものを見せたいという意識があるように感じました。プロ中のプロでしたね」(杉山さん、以下同)

 今回の引退発表前に錦織から連絡をもらったという。

「身体による技術的な面が理由で引退を決断するだろうと思っていました。ですが、“本当に難しい決断でしたがメンタルがもう持たなくなってしまいました。最後まで頑張れたかなとは思いますが、引退を決断しました”と。テニスは心と身体が元気でないと戦えないと、圭自身も最後に感じたのでしょう」

「もう頑張らなくていいよね」

 教え子が現役を退くことになり、杉山さんは現在の胸の内をこう話す。

「世界的にもすごい選手ですし、何よりもテニスの素晴らしさを日本の多くの人に伝えてくれたと思います。私たちからすれば“元気をくれてありがとう”という感じ。

 愛が引退するときに“頑張ったね。もう頑張らなくていいよね”と言ったのですが、圭にも同じ言葉を言いたい気持ちなので、圭のことを自分の子どものように思えているなと。今度は選手としてではない関わり方で一緒に何かできたらと思っています」

 日本テニス界の歴史を変えた男が、惜しまれつつもラケットを置く。