2025年1月、コンプライアンス違反によって活動自粛を発表したフリーアナウンサーの生島ヒロシ。スタッフへの厳しい言動、不適切な画像の送信などが問題視され、表舞台から姿を消した。
その後、生島は反省と学びの日々を過ごし、今年4月、1年2か月ぶりに新ラジオ番組『生島ヒロシの日曜9時ですよ~』(文化放送)で復帰。番組の初回は涙声の謝罪でスタートしたが、変わらない元気なトークをお茶の間に届けている。
自粛当初は憔悴し、眠れない、食事が喉を通らない日々が続いたというが、どのような毎日を過ごしていたのだろうか。
年金だけで生活をする厳しさを知る
「スタッフへの言動を猛省するとともに、社会的な信用を失ってしまったという精神的なショックと、大好きなラジオで話せなくなるつらさは計り知れないものでした。毎日睡眠薬を飲んで眠り、最初の1か月は何もする気が起きなかったです」(生島、以下同)
精神科医・和田秀樹氏からは「メンタルをやられる人が多いから、とにかく歩きなさい」とアドバイスされた。当時はジムに通っていたが、視線が気になって足が向かず、妻と夜の散歩に出かけるようにしたという。
「やることがないので、“見習い”として妻から家事を学びました。実は75歳にもなって、洗濯物もまともに干せなかったんです。5本指ソックスは指を広げて干さないと乾きが悪い。服は丁寧にハンガーにかけないとシワになる。お皿は裏側もちゃんと拭かないと水垢がたまるなど、主婦業は大変な仕事だと改めて実感しました」
ずっと働いてきた生島が満額の年金を受け取ったのも今回が初めてだった。
「いきなり収入がゼロになって、年金だけで生活をする厳しさに直面しました。スーパーに買い物に行くと、5円でも10円でも安い商品を探すようになって。自粛で生活がガラリと変わりましたね」
仕事復帰のメドはまったく立たなかったが、旧友の心臓外科医・天野篤氏からは「今まで何度もどん底に落ちて這い上がってきたんだから、今度も早く立ち上がらないとダメだ。せっかく命があるのだから死ぬ気で頑張れ」と檄を飛ばされた。
「天野先生が『人生の本舞台は常に将来にある』という明治から昭和まで活躍した政治家・尾崎行雄の言葉を紹介してくれました。この言葉はとても刺激になって、ようやく『何かしなくては』と考え始めたんです」
怒りの感情を調整する勉強をして…
自分の悪かったところを振り返るため、コンプライアンスの本はたくさん読んだが、専門家からすすめられたのが、アンガーマネジメントの勉強だった。資格取得コースを受講することを決め、怒りの感情をどうコントロールするかを体系的に学んだ。
「朝起きたときに『今日は完全にハッピーな1日にする』と自分に言い聞かせる『メイク・パーフェクト・デイ』という考え方や、ムカッとしたときに反応を遅らせる『ディレイテクニック』、あるいは怒りそうなときに一度その場を離れる『タイムアウト』。そういったテクニックを学ぶことで、これまでの自分の言動を改めて反省しました」
長年担当してきたラジオ番組では自分のスタイル、仕事の進め方ができあがっていたが、若いスタッフにはそれがフィットしないこともある。
「こちらが正しいと思っていることと、相手が正しいと思っていることが異なるなら、どこかでお互いの調整をしなければいけない。そこで瞬間的にカッとなって怒ってはいけないんです。
あの夏目漱石も『人と喧嘩をすると、その関係が収まるまでには10年から20年、時には一生かかる』という言葉を残しています。そんな取り返しのつかない、もったいないことをするよりも、どこかで折り合いをつけることの大切さをアンガーマネジメントで学んで痛感しました」
日常生活にもアンガーマネジメントは応用できる。家の中でムッとしたときは、リビングを出て外の空気を吸いにいく。そして「怒らなかった自分を褒める」ことを習慣にした。
また、成功者の伝記を読み、何度も失敗しながら這い上がってきた先人たちの言葉をノートにメモしたという。
さまざまな有名人からの叱咤激励が
自粛期間中、次男の結婚・孫の誕生というめでたいイベントもあった。家族に新しい命が加わったことは、生島に大きな力を与えたという。
「孫ってこんなにかわいいものなんだと(笑)。この子にとって恥ずかしくないおじいちゃんでいなきゃいけないと、思いを新たにしました。今回の件で妻も子どもたちも何も言わず見守ってくれ、家族に支えられました」
芸能界の仲間からの応援も心強かった。徳光和夫、大沢悠里、小林幸子、川中美幸、コロッケらが心配して連絡をくれたり、花を届けてくれたりした。
「神田伯山、安住紳一郎、サンドウィッチマン、はなわ、ナイツの塙宣之らは、番組やネタの中で自分の名前を出してくれて、いじってくれるのがうれしかったですね」
「晴天の友となるより、雨天の友となれ」。
かつて世話になったプロデューサーからもらった言葉を、この期間に何度も思い起こしたという生島。
「“窮地に立ったとき、誰が連絡をくれるか、それが人生の財産だ”と。本当にそのとおりで、こんなにも心配してくれる人がいたんだとありがたかったです」
ラジオのリスナーからの反応も、大きな力になった。自宅の前まで来て話しかけてくれた近所の人、50通を超える直筆の手紙、SNSを通じて聞こえてきた励ましの声が生きる力につながった。
漫画家の清野とおる氏もXで、《悪夢を見て飛び起きた朝は、ラジオで生島さんの声を聞くことで恐怖が和らぐので何度も救われた》と、ラジオ番組がなくなったショックをつぶやいていた。
「自分の放送が人々の日常の支えになっていたことを再認識するとともに、そんな番組をなくしてしまったことを深く申し訳なく感じました」
一方、ネット上に流れている辛辣なコメントは一切見なかったという。
「自粛してすぐに竹中平蔵さんから『絶対に見ないほうがいい』とアドバイスされたんです。あの小泉純一郎元首相でさえ、ネットの書き込みで落ち込んだことがあると。見たところでどうしようもないですし、起きたことはすべて自分がまいた種。言い訳をするのではなく、静かに反省するしかありませんでした」
起用してくれる側の勇気に感謝
生島の復帰は、文化放送が最初に手を挙げてくれて叶った。広告代理店の関係者や旧スタッフが陰で働きかけてくれていたことも後で知った。
「僕を復帰させて世間からどういう反応があるのか、最初に使う側は相当勇気がいるはずです。文化放送が1時間の冠番組を用意してくださったことには本当に感謝しかありません。ただ、復帰はスタート地点に立っただけのこと。
コンプライアンス違反をしたという事実は消えることがなく、ずっと背負っていかなければならない十字架です。だから、ここからコツコツと信頼を積み重ねて、初めてお許しをいただけると思っています」
復帰にあたっては若いころに故・久米宏さんから言われた言葉も思い出した。
「全員から好かれようとせず、敵が半分、味方が半分という気持ちで自信を持ってやれと。この言葉で再びリスナーの前に立つ勇気を得ました。どん底を経験したからこそ話せる言葉、生きていればいろいろあるという共感を通じて、これまで以上にリスナーに寄り添いたいと考えています」
新番組のスタートは好調で、文化放送の田中博之社長は生島を「人を元気にさせる力を持っている」と評した。
一方、不祥事による「一発アウト」で復帰できず、退場したままの芸能人や政治家も多い。
「ハラスメントを受けた側の苦しみを軽んじてはいけませんし、犯罪となると話は別です。一方で、社会的制裁を受けた人が戻る道について、社会全体で考える時期に来ているのではないかと思います。ルールを共有し、イエローカードの段階で調整できる仕組みがあれば、お互いの不幸を減らせるのではないでしょうか。
気づかぬうちに一発アウトになることも防げます。もちろん不祥事の内容にもよりますが、失敗した人が失敗から学んで次に挑む、そういうセカンドチャンスを認める社会づくりも必要だと思っています」
生島は75歳からのセカンドチャンスで、これからも走り続けるためには、健康であることは欠かせない。もともと健康オタクとして知られ、以前は「薬を飲まないこと」を自慢にしていたが、現在は身体の変化を受け入れ、必要に応じて薬の力を借りるようになった。
「前立腺の悩みや、コレステロールや中性脂肪に起因する目の血管トラブルに対して治療を受けています。でも生活習慣を見直して、ウォーキングをして、薬だけに頼らない生活は心がけています。親しいドクターがたくさんいて、健康情報はたくさん聞くことができるので、これからもリスナーの皆さんに共有していきたいですね。これまで同様『元気が出るサプリメント』のようなラジオ番組をお届けしていきます」
