ドラマ『積木くずし』では主演を務めたが、スキャンダルの影響で映画版は降板になった高部知子

 前回の連載で『積木くずし』の社会現象と、著者である穂積隆信とその一家の数奇な生涯を書いた。もし、あの社会現象に穂積家以外の功労者がいるなら、ドラマ版で娘の由香里を演じた高部知子ということで異論はあるまい。

週刊誌に載った「事後の一服」写真

 児童劇団出身、1980年放映のドラマ『ガラスのうさぎ』(NHK)で注目を集め、『欽ちゃんのどこまでやるの!』(テレビ朝日系)から誕生したユニット「わらべ」の“のぞみ”としてスターの座をつかんだ。そんな15歳の人気アイドルが“本物の不良”と見紛うばかりの迫真の演技を見せたのだから話題を呼ばないはずがなく、ドラマの高視聴率が彼女の才能に拠るところが大きかったのは隠しようがない。

 事実「不良」を演じきった高部知子の評価は急上昇し、1983年4月からCM3本、映画2本、新ドラマ2本、歌手デビューまで決まり「ポスト大竹しのぶ」の呼び声も高かった。

 そんな大ブレイク真っただ中の1983年6月、日本中がひっくり返る大スキャンダルが起きる。

 発端は1983年6月15日発売『東京スポーツ』(1983年6月16日付)の芸能欄に載った「高部知子に18歳の恋人がいた」という記事である。そこには高部とおぼしき少女と若い男が一緒に写る写真と、少女がタバコを持って立つ2枚の写真が掲載された。これが嵐の序章となる。

 東スポの記事から2日後の6月17日、この日発売の写真週刊誌『FOCUS』(1983年6月24日号)に衝撃的な写真が載った。裸でベッドに横たわり「事後の一服」よろしくタバコを口にあて笑顔でポーズを取る少女。正真正銘、高部知子本人である。

《高部知子『めだかの兄妹』ごっこ顛末記》なる記事によると、ドラマ『積木くずし』にエキストラとして参加していた18歳の少年とひょんなことから恋仲に発展。自身が住むマンションで逢瀬を重ね「ニャンニャン」するうちに写真を撮ったという。

《オレの誕生日にシチュー作ってくれたこともある。料理は下手だったけど、セックスの経験は豊富だったみたい》(少年のコメント/同)

赤裸々すぎる手記が刊行

 しかし、交際は長く続かず「別に好きな人ができたから」という15歳らしい別れ文句に逆上した少年が、数枚の写真を出版社とスポーツ紙各社に持ち込み、中には濃厚なキス写真まで含まれた。要は「リベンジポルノ」のハシリだったのだ。

 ちなみに「ニャンニャン」とは、わらべのヒット曲『めだかの兄妹』の歌詞から引用された擬声語だが、事件以降、性行為を指す隠語として世間に定着した。つまり『夕やけニャンニャン』(フジテレビ系)も「おニャン子クラブ」もこの事件がなければ誕生していないことになり、「チョメチョメ」(山城新伍)から「ニャンニャン」へと、現代用語を転換させたのは特筆すべきことだったと言っていい。

 しかし、業界関係者はそんな呑気なことは言ってられず、燎原の火は瞬く間に燃え広がった。まず「ペイントマーカー」(三菱鉛筆)、「シャワラン」(牛乳石鹸)、「シャービックバー」(ハウス食品)のCMが事件の余波で終了。お中元のCMは同じ所属事務所の松本伊代に差し替えられ、彼女をスターに押し上げた『欽どこ』も降板、わらべも脱退。歌手デビュー計画も頓挫。秋に公開予定だった映画『積木くずし』は渡辺典子が代役となり、新ドラマはいずれも中止を余儀なくされた。

“欽どこ”で誕生したユニット「わらべ」はお茶の間の人気者になった(写真左が高部知子)

 余談になるが、このとき中止となったドラマこそ、2年後、斉藤由貴の主演でスタートした『スケバン刑事』(フジテレビ系)である。南野陽子、浅香唯と続く人気シリーズは、実は高部知子で走り出したプロジェクトだったのだ。

 さらに、騒動は悲劇的な結末を迎える。件の少年が茨城県内の林道に止めた車の中で、遺体で発見されたのだ。「ガス中毒による自殺」が通説だが「俺が死んだら殺されたと思ってくれ」と生前口にしていたことから他殺説も流れた。ともかく「これで高部知子の復帰は完全になくなった」と誰もが思った。

 しかし、芸能界は彼女を放っておかなかった。世間がその存在を忘れつつあった1年後の1984年5月、『告白ハンパしちゃってごめん』(ワニブックス)なる手記が刊行される。内容はすさまじく「小5で初潮、中1でタバコ、中2の夏に初体験」《彼と寝たベッドで抱かれた。あの写真を撮った頃を思い出す》など赤裸々すぎて、中1だった筆者は衝撃のあまり「ニャンニャン事件はこの本の宣伝だったのかも」とすら思った。

「進学資金」捻出のためだった

 事実、所属事務所であるボンド企画の高杉敬二社長は、彼女の復帰作として『ハンパしちゃってごめん』の実写ドラマ化をTBSに提案する。しかし、TBSがそのプランを呑むことはなく『転向少女Y』(TBS系)なるドラマが'84年の秋クールより始まった。すなわち「ニャンニャン事件」は「炎上商法」の嚆矢でもあった。

 その後、高部は芸能界に復帰、ドラマや舞台の端役を中心に活動するなど、地道に女優の道を進むかに見えたが22歳のとき結婚。2児をもうけるも離婚し、別の男性と再婚するも再び離婚する。

ドラマ『積木くずし』では主演を務めたが、スキャンダルの影響で映画版は降板になった高部知子

 1999年にヘアヌード写真集を発売。「性器ピアス」が話題を集め、誰もが「女優復帰」と思ったが、意外にも芸能界を引退してしまう。

 翌年、慶応大学文学部(通信教育課程)に入学し、修了後は東京福祉大学(精神保健福祉士養成コース)を経て精神保健福祉士、認定心理士の資格を取得する。つまり、進学資金と当座の生活費を捻出するために写真集を刊行したことがわかる。現在は依存症患者を対象としたカウンセリングに多忙な日々を送っている。才能ある人間は何をやらせても結果を出すものだ。

 拙稿がそうであるように、昭和を回想する特集において「ニャンニャン事件」が取り上げられる機会は少なくない。その多くが「あの事件が起きなければ」といった文脈で伝えるが、筆者はさして関心がない。遅かれ早かれ似たような展開を迎えていたと想像するからだ。

 それより一番の岐路となったのは最初の結婚だったのではないか。ここで女優を続けていたら、58歳となった現在「ポスト大竹しのぶ」どころか、往年の杉村春子の系譜に列なる大女優になった気がしないでもない。それを思うと惜しくもあるが、どの時代においてもいかなる職種においても、天才とは気まぐれなものだから、こればかりは手の打ちようがない。

ほそだ・まさし 職を転々としたのち作家に。2020年刊行『沢村忠に真空を飛ばせた男』(新潮社)で講談社本田靖春ノンフィクション賞、2024年刊行『力道山未亡人』(小学館)で小学館ノンフィクション大賞を受賞

取材・文/細田昌志