昨年秋、母・文子さんが脳血管認知症と診断された。家庭内で次々と起こる異変、そしてこの先続く介護の道を思い、「自分自身が病むかと思った」と語るタレントの矢部美穂さん。いまは小康状態だが、いつ事態が変わるかわからない日々に「少しでも母らしく生きてほしい」と願いを込める。
「なんかおかしい」名物ママを襲った認知症
「認知症にもいろいろあるけれど、ママの場合、自然になったのではなくて、もともとの病気から来ているもの。なる要素はたっぷりあったんです。本人の自覚が足りなかった部分や、甘さもあったとは思います」
タレントの矢部美穂さん(49)が、母・文子さん(76)の異変に気づいたのは昨年秋のこと。文子さんといえば、『アウト×デラックス』(フジテレビ系)、『サンデー・ジャポン』(TBS系)などテレビ番組でもおなじみの名物ママ。
矢部さんが2010年、東京・世田谷にオープンしたバー「YABEKE」では矢部さんがオーナー、文子さんがママとして共に店に立ち、昨年16周年を迎えている。そんななかでの出来事だった。
「家にいるとずっと寝ているし、どんどんだらしなくなってきて。朝昼夜の区別がつかなかったり、昨日のことが思い出せなかったり、言動が明らかにおかしくなってきたんです。“なんかふわふわする。私ちょっとおかしいわ”と言っていて、自分でも異変は感じていたみたいですね。さすがにママもこれはヤバイと思ったみたい」
文子さんを連れて脳外科へ。MRIと血液検査を受け、脳血管認知症と診断された。当人の反応はというと?
「ショックって言っていました。まさか自分がそうなるとは思ってなかったと。身内に認知症の人はいないので、余計にそうかもしれません」
文子さんが診断された脳血管認知症とは、脳梗塞など脳の病気がもとで引き起こされる認知症。文子さんも過去に脳梗塞を患ったが、幸い後遺症は残らなかった。ただ薬の常用は必須で、健康的な生活が求められる。
「ママは甘いものが大好きで。隠れて羊羹を1本丸ごと食べたりしていたんです。そうしたら今度は糖尿病になっちゃって」
脳梗塞に糖尿病、さらに高血圧が加わった。長らく薬を飲み続けていたが。
「薬漬けが嫌になり、4~5か月ほど通院も服薬もやめていたようです。お医者さんからは薬をやめることは危険因子のひとつとして指摘されました」
シューマイを60個完食も「覚えてない」
現在の日本には認知症を治す薬はなく、ひとたび発症したら元に戻ることはない。幸い文子さんは初期段階で、投薬治療で進行を食い止めている状況だ。
「1人で家にいても大丈夫だし、店にも1人でちゃんと来ることができる。食事は糖尿病用のお弁当を朝晩頼んでいて、自分で食べられる。そこはすごく助かっています」と矢部さん。
しかし、こんなエピソードも。
「私がゴルフのコンペでシューマイを賞品にもらったことがあって。12個入りを5箱です。でも家に帰ったらシューマイが見当たらない。まさか全部食べちゃったの?と聞いても、わからないって言うんです。60個ですよ。ゴミ箱を見たら包みがあって。全部食べたの?と聞くと、“途中で飽きたけど、お腹がすいていたから”って。
しかも、その後ちゃんとお弁当も食べているんです。そこにあるものを全部食べちゃう。一部の認知症では判断力の低下から食行動に変化が見られることがあり、満腹感を感じにくくなることもあるそうです。それからは家に余計な食べ物を置かないよう気をつけています」
ひっきりなしの電話も悩みのタネ。実際、取材中も文子さんからの着信が。どうやら、飼い犬に餌をあげる時間を尋ねているよう。
「同じことを何度も聞いてくるんです。仕事の移動中も5分おきに電話が来るから、周りも大丈夫なの? ってなって。認知症の人には怒らないよう心がけることが大切と言うけれど、もうこっちのほうが病みそうになっちゃう」
矢部さん自身、4年前に騎手の山林堂信彦さんと結婚し、家庭を持つ身。文子さんの暮らす家は東京で、夫婦の家は神奈川と、距離もある。日々の生活はどうしているのだろう。
「今は両方を行き来していて、8割はママと一緒にいる状態です。でも夫も理解してくれているし、全然いいよって言ってくれています。彼のほうが世田谷に来てくれることもありますね」
実家では文子さんと2人きり。顔をつきあわせる時間も多く、ストレスはたまりがち。
「ずっと関わっていると私のほうが疲れちゃうので、妹に任せたり、なるべく外に出たり、バランスを取るようにしています。それに、私がいるとべったり甘えちゃうので、自分でできることはなるべくさせないと。できるはずなんですよ、店ではできているんだから」
認知症判明後も立ちっぱなしで接客
認知症の判明後も変わらず店に出ているという文子さん。矢部さんがSNSで文子さんの認知症を公表すると、心配する常連たちが多く店に駆けつけた。
「店に来るとシャキッとスイッチが入るので、家にいるときとはまるで別人。認知症だとは感じさせないんです。ママ元気じゃん、まったくわからないね、本当に認知症なの?っていまだにお客さんたちに言われます」
若いときは自身がスナックを経営していたこともあり、サービス精神旺盛の文子さん。店では営業時間中立ちっぱなしで接客をこなし、常連たちはもちろん、新規客の名前も覚えるという。
「本当は夜遅くまで起きているのはよくないけれど、ママの場合は店にいて人に見られていたほうが生き生きしている。この生活が一番今のママにとってプラスなのだと思う。店はママのステージみたいなもの。店がなかったら、もっと症状が進んでいたでしょうね」
認知症薬を飲みはじめて数か月がたち、暴食や電話の回数も目に見えて減ってきた。症状はひとまず落ち着いているが、それでも先々の不安はある。
「店も最近新規のお客さんが増えてきたところで、できればあと3年、20周年までは続けたい。ただ、それもママの状態次第で、これからどうなっていくのか。ずっとこのままでいられるとは思えない。店の女の子たちにも、すぐに閉じることはないけれど、一応頭に入れておいてくれる?って伝えています」
認知症患者の介護年数は6~7年が平均で、10年以上に及ぶこともある。長期戦であり、先が見えないのが認知症介護の難しさ。矢部さんも今それを実感していると話す。
「今は初期だけど、施設に預けなければいけなくなったら大変。妹や弟と、いくらかかるのだろう、いくら出せる?なんて話し合いもします。ただ、ママの場合は店がリハビリになっている。店をやっていて良かったなって、改めて感じます。病気は治らなくても、今の時間が少しでも長く続いてくれたらと思っています」
文/小野寺悦子
