錦織健さん 撮影/山田智絵

「上質を知る人」として出演した、コーヒーのCMで一躍有名に。「ロックからバロックまで」を歌いこなすテノール歌手は、ユニークな自己完結型人間だった! マイペースだからこそここまでやってこられたと振り返る錦織さんに、近況や今後についてを聞きました。

とにかく1人で考えるのが好き

「昨年自宅に、国民年金受給の案内通知が届いたんですね。自分はもうそんな年齢なのだと。かつ、世間一般の定年退職の年齢までよくぞやってこられたと、感慨深いものを感じました」

 と話すのは、新進気鋭の若手として頭角を現し、1994年より「上質を知る人」で知られるコーヒーのテレビCMに出演するや、お茶の間にもその名が認知されるようになったテノール歌手の錦織健さん。

 端麗なたたずまいは今も健在だが、そんな彼も66歳を迎えた。そして、今年はデビュー40周年の記念の年でもある。

「子どものころから自己完結型のマイペース人間の私としては、どうしたら人並みの人生を送っていけるのか、という思いを抱いて駆け抜けた40年でもありました。そんな人間なのでファンサービスもうまくできなくて。

 なのにずっとファンでいてくださる方も多く、こちらが心配になってしまうほど、コンサートのたびに遠くまで足を運んでくださるんです。ありがたいことですね」(錦織さん、以下同)

 クラシック、しかもオペラ業界といえば、華やかなイメージがつきもの。芸術界はもちろん、政財界との交流で、酒と薔薇の日々……的なものを勝手に想像してしまうが、「まったく違うんです」と首を振る。

 そもそも外出があまり好きではなく、趣味はテレビゲームと将棋。「ガンダム」シリーズなどアニメ観賞も好きで、アニメの主題歌も歌っている。

「アニメは子どものころからロボットものやヒーローものが好きだったので、今でもそうです。『ジョジョの奇妙な冒険』や『鬼滅の刃』もお気に入りですね。ゲームは『ファイナルファンタジー』シリーズなどのロールプレイング系や『エルデンリング』のようなアクションものをプレイしています。

 広い荒野を探索していると、もう一つの人生を生きているようで夢が広がります。今年出た『バイオハザード レクイエム』もやっていますが、逃げ回るのはちょっと下手なんですよね(笑)」

 ゲーム好きだがオンラインゲームはやらないという、その理由も錦織さんらしい。

「人に会いたくないからゲームをしているのに(インターネット空間で)人と会ってしまうオンラインゲームはしません。共同作業ができないというわけではないのですが、他人がいるとどうしたいのか? 何を望んでいるのか?と、気を使いすぎて疲れてしまうんです」

 そして仕事にも直結するボイストレーニングはもうひとつの趣味といえる。

「歌唱の練習よりもボイトレです。スポーツでいえば筋トレに当たるでしょうか。自分でああでもないこうでもないと研究し、次の舞台で試すのが楽しい。とにかく1人で考えるのが好きなんですね。『不安はないのか』なんて周りの人に不思議がられるんですけど、これまで一度もそのように思ったことはないんです」

「テノール」は高音?の定義も変わる?

 コロナ禍でステージは減り、マスクで歌うなどの厳しい状況にも直面したが、メンタルにおいては案の定(?)ダメージはなかった。

「旅行はもともと行かないし、人と会わないことは私にとってストレスにならないので、まったくつらくはなかったですね。つらかったのは仕事が減ったことくらいでしょうか(笑)」

 オペラ歌手として華々しい道を歩んできた印象を受けるが、意外にも本格的な学びは大学(国立音楽大学)に入学してからだった。故郷の島根県では、中学時代は陸上の短距離とハードルで汗を流し、高校からはコーラスを体験したり友人たちとロックバンドも組んでいたという。

錦織健さん 撮影/山田智絵

「勉強は嫌いだけど音楽は好きだったので、何か音楽の仕事につけたらと思って音楽大学を志望しました。声楽科でテノール専攻でしたが、まったくのど素人の状態からのスタートですから、その後は大変でしたけどね(笑)」

 その後、文化庁オペラ研修所という、2年間で10人ぐらいしか選ばれない狭き門をくぐり、テノール歌手としてのキャリアをスタートさせる。

 歌手生活の転機として、CM出演はやはり大きかったという。

「世間に顔と名前が知られるという効果は、本当に大きかったですね。あれがなかったら、人生は違っていたんじゃないかな。クラシック音楽やオペラに興味のない人にも知ってもらったわけですから。自分自身はまったく変わってないのに、不思議な感覚でしたね」

 淡々と語る錦織さんだが、デビューから変わらないマインドでわが道を歩み続けてきた自然体の魅力を感じる。

 人との付き合い方・距離の取り方にも、彼独自のスタイルを貫いているようだ。

「長く歌手人生を送ってきて、音楽の世界も変わってきたと感じます。私は男性では高い音域を出すテノール歌手ですが、昨今のポップスやロックの世界では、皆さんテノールより高い声を出すんですよね。

 Mrs.GREEN APPLE(のボーカルの大森元貴)さんやVaundyさんなんか、ファルセット(裏声)だけでなく地声でオペラ以上の高音を歌われてて、すごいなって思います。『テノールは高音』の定義も変えなきゃ、なんて思ったりして(笑)」

アルコールは10年摂取せず

 40周年を記念し、各地を回るツアーが始まった。ステージの構成や選曲にも独自のこだわりがある。身構えてしまいがちなクラシックやオペラを身近に感じ、お客様に楽しんでもらうことを大切に、『ロック トゥ バロック』、『声楽バラエティ』と題するリサイタルには、「上質を知る人」ならではのこだわりが詰まっていそうだ。

錦織健さん 撮影/山田智絵

「マイクなしの生声一本、ピアノ一本でどこまでできるかということに、これまでの歌手人生を懸けてきました。超シンプルな声とピアノだけの構成で人生の喜怒哀楽を届けたいですね。自分の人生をストーリーとして伝えるかのように、選曲や順番を構成しています。

 トークも挟みながら、テノールの魅力が詰まったバロック音楽、学生時代から好きだったロックバンドのクイーン、誰もが知っている日本歌曲、ポピュラーソング、ロッシーニなどのオペラ・アリア、オペレッタ、カンツォーネ、大好きなアニソンまで」

 とはいえ、歌唱は典型的な声楽スタイルを貫いている。

「まさに、『ロックからバロックまで』でしょう? 敷居が高いとかいわれるクラシックコンサートですけれど、私の場合、客席で携帯が鳴ってしまっても平気です。そんなときはステージから『もしもし!』って声をかけて、気分をほぐしてあげますね。だってその人、申し訳ないって気持ちでいっぱいでしょうから(笑)」

 生声一本勝負を支えるために、健康管理も徹底している。喉や身体を観察し、さまざまなことを試しながらベストな選択を続けてきた。

「風邪をひかない」ことを徹底し、鼻うがいを欠かさず、アルコールもここ10年ほど口にしていない。コンサートの前日は塩分を控え、野菜・果物を中心にとってきたが、近年はタンパク質の重要性にも気づき、肉、魚、大豆製品も積極的にとっている。

 ストレスとなるものを極力避け、オフには大好きなゲームをとことん楽しむことも健康の秘訣といえそうだ。

「特に身体に悪いところはないのですが、デビューのころから20キロも増えたんですよ。健康維持のために、最近は1日30分のウォーキングも始めました。人と関わりたくないから、ジム通いなんて絶対嫌です(笑)。あと、ゲーマーなので、腱鞘炎には気をつけていますね」

 次の節目となる45周年、50周年……と、今後に向けた展望や計画はあるのだろうか。

「ノープラン!! 悪く言えば惰性になるのかもしれないけれど、自然体、かつ全力で今後も歌っていきたいですね。新しくチャレンジしたいこともない。定年の年齢まできたので、ここからは健康と向き合って、ギスギスせず穏やかに生きていきたいです」

 40年間磨き込まれた澄みわたるテノールを聴きに、コンサート会場に足を運んでみてはいかがだろう。

錦織健 テノール・リサイタル
・10月8日(木)13:30/会場:東京オペラシティ コンサートホール
・チケット購入先  ジャパン・アーツぴあオンラインチケット https://japanarts.pia.jp/  ジャパン・アーツぴあコールセンター 0570-00-1212  東京のほか、北海道から九州まで、全国約20か所でリサイタルを開催予定。

にしきおり・けん 1960年生まれ、島根県出身。国立音楽大学声楽科を卒業、文化庁オペラ研修所第5期修了。文化庁在外研修員としてミラノに、五島記念文化財団の留学生としてウィーンに留学。第17回ジロー・オペラ賞新人賞、第4回グローバル東敦子賞、第1回五島記念文化賞新人賞、第6回モービル音楽賞洋楽部門奨励賞受賞。さまざまなオペラに出演、ソリストを務め、『NHK紅白歌合戦』などテレビやラジオ番組への出演のほか幅広く活動。

取材・文/合田みれい