バラエティー番組での天真爛漫なキャラクターや、数々の映画・ドラマで名演技を魅せた女優の中村玉緒さんが、肺炎のため、86歳で亡くなったことがわかった。
玉緒さんは1939年、京都府生まれ。父は歌舞伎俳優の二代目中村鴈治郎、実兄は人間国宝の四代目坂田藤十郎という、日本の伝統芸能を背負う名門生まれた。
捜査員におにぎりを
幼い頃は「母のような舞妓さんになるのが夢だった」という彼女は、映画の世界に魅了され女優の道へ。1953年に映画『景子と雪江』で銀幕デビューを果たすと、その確かな演技力と凛とした美しさで、瞬く間に大映の看板女優へと上り詰めた。
「1962年には、映画での共演をきっかけに昭和の大スターである俳優の勝新太郎さんと結婚しました。勝さんはとても破天荒な人で、下着の中に薬物を隠し空港の関税で逮捕されたこともありました。
その際、“大麻がパンツの中に勝手に入っていた”と釈明し、“もうパンツは穿かない”と迷言を残したのは有名な話です。そんな勝さんとの生活は、玉緒さんにとっても波乱に満ちたものだったでしょう」(スポーツ紙芸能記者)
玉緒さんは夫の不祥事に頭を下げるも、自宅に家宅捜索に入った捜査員に対し「どうぞゆっくり探してください」といい、おにぎりを振舞ったという。常に愛情深く夫を支え続けてきたのは有名な話だ。
今から約5年前、週刊女性のインタビューに応じてくれた玉緒さんに、夫・勝新太郎さんからの思い出のプレゼントは何かと尋ねると、
「夫からのプレゼントは、14億円の借金です。それをぜーんぶ返したのは、私(笑)」
と豪快に笑い、玉緒さんにしか言えないジョークを放ちその器の大きさを改めて感じさせた。
“勝新太郎の妻”として立派に死にたい
さらに「亡くなるとき、まだ生きようとしている主人の目を私の手で閉じるのがとてもつらかった。実はね、あまりに悲しくて、命日の日付がわからなくなっちゃったんですよ」と、勝さんが亡くなる際のエピソードも明かしてくれた。
平成以降は、明石家さんまにその独特な愛嬌と才能を見出され、バラエティー番組にも多数出演。「ぐふふふふ」という特徴的な笑い声と、お茶目で飾らない人柄で、若い世代からも絶大な人気を博した。
近年になってもそのパワフルさは衰えず、80代を迎えてからもYouTubeチャンネルやInstagramを開設するなど、常に新しいことに挑戦。
YouTubeのタイトルは玉緒さんの座右の銘である「今日のことは今日で忘れる」という言葉だった。
激動の人生を歩みながらも「他人任せにすると、失敗したときにその人を責めたくなるでしょ。私は誰かの悪口を言いたくないから、自分で決めます。自分で決めてダメなら仕方ない」と語り、常に前を向いて生き抜いた玉緒さん。
「母は“中村鴈治郎の妻”として立派に生きました。私も“勝新太郎の妻”として立派に死にたい」と語っていたその言葉どおり、最期まで勝新太郎さんの妻としての人生を全うした。
心よりご冥福をお祈りいたします。
