大槻ケンヂ

 ロックバンド「筋肉少女帯」のボーカルとして1988年にデビューし、小説や詩作など文筆活動でも注目を集めてきた大槻ケンヂ。今年、還暦を迎えたが、今も精力的にライブ活動を行い、走り続けている。

「もともとミュージシャンになるつもりはなく、バンドを組んだときに楽器ができないからボーカルになっただけ。その後、バンドがなんとなくデビューして有名になり、それから文筆活動を行ったり、テレビに出たりしてきました。今まで続けてこられて本当にラッキーだったと思います」と大槻は謙遜する。

 しかし筋肉少女帯は今も新しいファンを獲得し続け、ネットからの広がりで海外のファンも増えている。またSF小説の賞である星雲賞を2年連続で受賞するなど、文壇でも高い評価を得てきた。

 独特の世界観で才能を発揮してきた大槻は、今年4月に第3詩集『幻と想 03-25 大槻ケンヂ自選詩集』(百年舎)を刊行。厳選した116編の詩を書籍用に改稿し、事務所の倒産など激動の20年を綴ったエッセイも収録されている。

 ロックミュージシャンといえば夜型のイメージがあるが、大槻がふだん詩を書くのはだいたい朝だという。

「夜中はやる気が起きないので、朝起きてすぐ、朝ごはんの前に書くこともあります。小説も歌詞も後で直せるので、書けなくて悩むよりも、まずは書いちゃったほうがいいというのが僕の持論。課題を抱えたまま過ごすより、すっきりするんです」(大槻、以下同)

むしろこれからだという気持ち

 最近はライブ後の打ち上げに参加せず、すぐに家に帰ることも多い。

「若いころはロック=破天荒であるべきだと思っていて、夜の街を飲み歩くような生活に憧れた時期もありました。でもやってみるとまったくなじめなかったですね。クラブとかに行っても全然楽しくなかった。破天荒になれなかったことには、今もコンプレックスを持っています」

 60歳になった今年2月6日の誕生日には、禁酒も決意したという。

「50歳を過ぎたころから、お酒を飲んでも楽しくなくなってきて、身体が受けつけないような感覚に。還暦はいいタイミングだと思いました。同世代のミュージシャンと話すと、どこが痛いとか身体の不調の話ばかりで。でも70代で元気に活躍されている先輩ミュージシャンも多いですし、60歳はむしろこれからだという気持ちでいます」

ライブから、生きて帰れるか…

 ライブをするには体力が必要なので、パーソナルトレーニングを行い、体幹の強化にもまじめに取り組んでいる。もともと食に興味がないため、食べすぎることはなく、中年太りとは無縁だ。

「バンドのボーカルは、ライブで水中競技と同じくらい全身を使うんです。特にラウドやハードロック系のボーカルは、本来であれば体幹がしっかりした体力のある人が取り組むべき過酷な種目。皆さん細いのに筋肉がついています。

 だからもともと体力がない僕は『今日のライブで生きて帰ってこられるだろうか』と、今でも不安ですね。ダイエットしたい人はロックバンドのボーカルをやればいいと思いますよ」

大槻ケンヂ

 運動をし、食べすぎず、酒も飲まなくなったが、健康診断の結果は芳しくない。受診したこと自体に満足して、送られてくる結果を見ていなかった時期もあったという。

「“健康診断あるある”でしょ。緑内障の兆候を数年間見過ごしていたんです。幸い大事には至りませんでしたが、血液検査の項目は、ほぼ何かしら引っかかっていて、薬は飲んでいます。大腸の内視鏡検査ではポリープを3つ取りました。

 検査前は下剤を2リットル、さらに水を1リットル飲んで、あんなに苦しいことはなかった。胃のバリウム検査なんて、機械の上をぐるぐる回されて、ロックだなんて関係ない。人は皆一緒の弱い生き物なんだと身をもって知りましたね」

 現在のライブには、親となった昔からのファンが子どもを連れて来たり、若い世代のファンも増えている。だからといって若者を意識して楽曲制作をすることはない。

「今の音楽の詞は文字数が僕らのころの10倍ぐらいあるんじゃないかな。昔はサザンオールスターズの『勝手にシンドバッド』が早口すぎて歌えないなんて言われていましたが、ラップが当たり前になった今の音楽は、もはや別の競技という感じです」

 60歳を超えて、詩に書くテーマの難しさに直面することもある。

「若いころは『反抗』や『閉塞感』をテーマにしたものですが、大人になった今は、自分としてもどうかと思いますしね。僕らくらいで世の中に反抗を表明している方も多いんですけど、ある意味うらやましいというか。

 コンプライアンスも厳しくて、ラブソングで『異性にワクワクする』といった表現すら難しい。制約をかいくぐりながら、みんなが面白がる詩を書いていかないとダメですね」

大槻ケンヂ、還暦記念書籍『幻と想03-25大槻ケンヂ自選詩集』(百年舎/税込み3520円)※画像をクリックすると、Amazonの購入ページにジャンプします。

ロックバンドにはレガシーがある

 大槻は筋肉少女帯で『50を過ぎたらバンドはアイドル』という歌を歌っているが、年齢とともにファンとの接し方も変わってきた。

「最近サイン会をすると、病気や介護、死別とか、身の上話を語り出す人が増えて、NHKの番組『ドキュメント72時間』を生でやっているような感じに。僕は『いろいろあったんだね』と受け止めています。

 昔はファンサービスなんて、『俺はロックミュージシャンだ! そんなミーハーなことはできるか』と突っぱねていましたが、50を過ぎるとファンの方がバンドに求めるのは推し活です。それに応えるのが僕らの務めであり、ツーショット撮影も求められればやりますよ。

 だんだん残り少なくなっていく人生、これからはファンミーティングを増やして、皆さんと触れ合う時間を増やしていこうと思っているところです」

 もちろん筋肉少女帯を主軸に音楽活動はしっかり行っていく。

「これからは作品を増やすより、ライブを増やしたい。これまで発表してきた40枚近くのアルバムを一つずつ丁寧に再現していく『再現ライブ』も考えています」

 今年はLUNA SEAのドラマー・真矢さんが56歳で亡くなったが、加齢とともに健康問題を抱えるミュージシャンも増えてくる。今後、大槻が力を入れていきたい分野に「ロックバンドの終活」があるという。

「ロックバンドにはレガシー(遺産)があるんですよ。作品やブランド、権利をメンバーが亡くなった後も守っていくにはどうすればいいのか。作品が適切に守られて、ファンに届け続けられる仕組みをつくることを考えています」

 プライベートでは「ヨガ」に興味を持っているという。

「お酒を飲まなくなると夜にやることがないんです。身体はボロボロで、格闘技や武道のような激しい運動はできないので、ヨガならできるかなと。片岡鶴太郎さんのようなストイックなスタイルを目指しているわけじゃないですよ。

 あとは昭和の特撮作品の鑑賞です。映画も好きだったんですけど、2時間は長いと思うようになってしまって。でも昭和特撮なら30分で終わるんです。だからあと10年はこれで楽しめるぞと。オカルトやUFOも大好きなので、引き続き研究して、仕事にも生かしていきたいですね」

 円熟味を増した大槻が、どんな60代の生き方を見せてくれるのか楽しみだ。

おおつき・けんぢ 1966年、東京生まれ。1982年ロックバンド「筋肉少女帯」を結成し、1988年にメジャーデビュー。2000年より「特撮」のボーカリストとしても活動。タレント、エッセイスト、小説家としても活躍し、小説『くるぐる使い』『のの子の復讐ジグジグ』で星雲賞を2年連続受賞。『グミ・チョコレート・パイン』など映画化作品も多数。ソロ、バンドでのライブを精力的に行っている。

取材・文/紀和 静