バラエティー番組などのテレビへの出演がめじろ押しの本木雅弘。
「昨年12月に60歳の還暦を迎えましたが、6月12日には還暦を記念した6050円の写真集を発売。19日に主演映画『黒牢城』が公開されます。普段は、あまりバラエティー番組に出ない本木さんが、義母にあたる樹木希林さんとのエピソードを明かすなど、サービス精神にあふれています」(スポーツ紙記者、以下同)
1981年に旧ジャニーズ事務所で、布川敏和と薬丸裕英と3人組の「シブがき隊」を結成。
「1982年のデビュー曲『NAI・NAI16』や1986年の『スシ食いねェ!』といったヒット曲を出して、トップアイドルの仲間入りを果たしました。その後、俳優業への思いを強めていた本木さんの意向もあり、1988年に解散となりました」
実際、強い覚悟を持って俳優業に臨んでいた。事務所を退所して間もない本木と一緒に仕事をした映画プロデューサーの奥山和由氏は、当時をこう振り返る。
「私は戦前に起きた陸軍青年将校らによるクーデター未遂事件『二・二六事件』を描く映画の企画を進めていました。すると本木さんのほうから“この映画にどうしても参加したい”と直談判してきたんです。
とはいえ、元アイドルに実在した青年将校の役を任せるのは難しいと思い、一度は断ったのですが、なんと後日、彼は軍人の役作りのため髪を切って丸刈りにしてきた。その覚悟を受けて、出演をお願いすることにしました」
「根っからの映画青年」の評判
その後も奥山氏は、自身が製作した1994年公開の『RAMPO』や、1995年の『GONIN』などで本木と仕事を重ねることに。さらには希林さんが企画した2019年公開の映画『エリカ38』のプロデュースを務めるなど縁が続いた。
「2018年、希林さんがお亡くなりになって、お悔やみでご自宅に伺った際に本木さんとお会いしました。そのとき、彼から“希林さんの映画を見ましたよ”と言われ、映画の内容について質問されたんです。根っからの映画青年というか、映画に対して本当に誠実な方だと思いました」(奥山氏)
俳優に転向して早々に自分の道を歩み始めていた本木。1992年に『NHK紅白歌合戦』に出場した際、首にコンドームを模したものを下げて歌唱するなど“尖った”表現でも注目を集めた。
そんな本木は、江戸川乱歩の怪奇小説『双生児』の映画化を自ら企画。協力を依頼したのが、1989年公開の映画『鉄男』などの監督で知られる塚本晋也氏だった。
「当時の彼は“地味派手なことをやりたい”と言っていたかと思います。メジャーな商業映画ではできないことに挑戦したかったのでしょう。原作小説が正反対の生い立ちの双子が憎しみ合うという話ですから、凛としている本木さんの二面性が出せればと思い、一緒に映画を作ることになりました」(塚本氏、以下同)
こうした背景で完成した1999年の映画『双生児―GEMINI―』。製作期間はわずか1か月で、スタッフも少なく、真冬という時季も重なり過酷な撮影だった。
「混沌とした現場でしたが、本木さんは待ち時間ができても姿勢を正して待機していました。それどころか現場のために、率先して準備部屋の配置を考えたり、スタッフに声をかけたりと動いてくれたんです。人や作品に対して真摯に向き合う人だと感じましたね」
宮沢りえと2人で「伊右衛門」を完成
その後も本木は、映画やドラマ、CMにコンスタントに出演。2004年からは、緑茶飲料「伊右衛門」のイメージキャラクターに、宮沢りえとともに就任。現在まで20年以上続く長寿CMシリーズとなった。
企画の立ち上げ時からディレクターを務める中島信也氏が、本木が起用された経緯を明かしてくれた。
「妻役のりえさんは早い段階で決まったのですが、夫の配役は難航。最終的に本木さんの持つ美しさが、京都の老舗の世界観に合うとなって決まったんです」
本木の静謐な佇まいは、伊右衛門というキャラクターそのものとして定着した。
「最初のころは、まだキャラクターが定まらず、本木さんもコミカルな芝居をいろいろ試していました。そのたびにりえさんが“伊右衛門さんはそんなことしない”と言ったりして、2人で少しずつ修正して完成しました。
本木さんは年齢を重ねても、どこか少年のような真っすぐさを持ち続けています。還暦を迎えても、そのまなざしは変わらないですね」(中島氏)
そんな本木が、世界的な評価へとつながった作品がある。ひょんなことから遺体を棺に納める“納棺師”として働き始める元チェリストが主人公の映画で、2008年に公開された『おくりびと』だ。
同作で監督を務めた滝田洋二郎氏は、撮影現場での本木をこう振り返る。
「本木さんは仕事にのめり込むタイプ。劇中でチェロを弾く場面があり、翌日に撮影があっても、ホテルで夜中までチェロの練習をして、部屋で休んでいた僕のところにも音が聞こえてきました。納棺の手際を美しく見せるため、助監督やスタッフを練習台に借り出すのですが、いつまでも続けていましたね」
撮影でも、簡単には納得しなかった。
「僕が撮影でOKを出しても本木さんは“本当ですか?”と聞いて、再撮影をお願いしてきたり。彼は答えが出ないことを楽しむというか、それを信じようとしているというか。納得するまで考え続けるスタイルなのでしょう」(滝田氏、以下同)
義父の内田裕也さんに似ていた
本木の義父である内田裕也さんが企画・主演した1986年公開の映画『コミック雑誌なんかいらない!』の監督も手がけており、通じる点があるという。
「裕也さんと本木さんは全然キャラクターは違うけれど、自分の感性しか信用しない、思い込んだらコレ!というところは近いですよね。自ら動いて自ら悩んで突き進んでいく。義理でも親子って似てくるんだな、と思いましたよ」
細かい所作にまでこだわり抜いた本木。それが実を結んだのか、『おくりびと』は第81回アカデミー賞外国語映画賞を受賞。国内外の映画賞で103冠を獲得した。
『おくりびと』プロデューサーの中沢敏明氏は、本木の功績をこのように語る。
「本木さんはご自身が企画者でありながら、監督やスタッフに花を持たせる方でした。しかし、ストイックな努力で役を演じきった本木さんの存在があってこそのアカデミー賞だったと、私は思っています」
賛辞は尽きない。
「役への向き合い方はもちろんですが、佇まいの美しさという意味でも唯一無二の存在です。年齢を重ねても、そのレベルをずっと保ち続けている。それが彼のすごさだと思います」(中沢氏)
還暦を迎えた本木。その真っすぐで凛としたまなざしは、また新たな役へと向けられている─。
