故・長嶋茂雄さんと司葉子

 今も昔も著名人同士の結婚は話題に事欠かない。

 ビッグネームであればあるほど世間の関心を引き多くの国民に祝福される。古くは石原裕次郎と北原三枝、小林旭と美空ひばり、三浦友和と山口百恵。近年なら木村拓哉と工藤静香だろうか。

 しかし、それよりもっと古い今から70年前“世紀の婚約報道”があった。1958年7月1日、夕刊紙『国民タイムズ』が報じた「長嶋茂雄・司葉子婚約」である。

出会いは大学生時代

 長嶋茂雄は今更説明する必要もない戦後最大のスーパースターだが、このとき巨人に入団直後のルーキー。一方の司葉子は1954年にスカウトされ東宝入り。いきなり主演デビューするなど、東宝を代表する人気女優としてスター街道を走っていた。年齢は長嶋より1歳上である。

 婚約を報じた『国民タイムズ』とは『やまと新聞』と『新夕刊』という2つの夕刊紙が合併して創刊された媒体で、現在の『東京スポーツ』の前身である。そう聞くと「何だ、東スポか」と言いたくもなるが、他紙も二人の動向を注視しており、先んじてスクープを打ったのが『国民タイムズ』だったのだ。

 出会いは2年前の1956年。立教大学3年生だった長嶋茂雄の野球部のチームメイトが司葉子と同郷の幼なじみで、そこから立教大野球部の同期4名が成城の司葉子邸に足しげく通うようになった。その当事者である立教OBの拝藤宣雄は後年、次のコメントを残している。

《葉子ちゃんのお母さんがまだ健在のころで、この方の手づくりの料理を食べさせてもらったり、葉子ちゃんのいないときにも行って、お手伝いさんに出前をとってもらったりしたことも》(『文藝春秋』1981年1月号)

 司自身もこう述懐する。

《連中は集団でよく私の留守をねらって、私の母におねだりをして空腹をみたしていたとか。彼らがすき焼きをわが家で食べたときは、ごそっと私の貯金が減るほどでした》(『花やさしく 女優・母・代議士の妻として』司葉子著/講談社)

スクープされた日にホームラン

 これだけならいわゆるグループ交際に過ぎないが、なぜ、長嶋だけ婚約報道に発展したのか。それは、彼らの卒業後の進路に回答を見ることができる。エースである杉浦忠は南海ホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)、内野手の本屋敷錦吾は阪急ブレーブス(現・オリックス・バファローズ)、二番手投手の拝藤宣雄は広島カープ(現・広島東洋カープ)と4人のうち3人が東京を離れる中、巨人に入団した長嶋だけ東京に残った。

 本来なら長嶋は杉浦とともに南海ホークスに入団する予定だったのは知る人ぞ知る話だが、急転直下で巨人と契約を交わしたのは「司葉子に“東京に残って”と懇願されたから」という噂が根強くあった。それが婚約報道の伏線となっていたのは、往年の雑誌記者の証言からもわかる。

《あの時代はグループ交際が普通で、例えば石坂浩二、関口宏、浅丘ルリ子、西田佐知子などもそうした仲良しグループだったのです。長嶋さんら立教グループも同様で、我々の間では2人はいつか結婚するのではないかと言い続けていたんです》(『週刊新潮』2003年1月2・9日特大号)

1958年7月1日、『国民タイムズ』夕刊の一面。司葉子の関係は長嶋茂雄さんの結婚まで約6年間噂され続けた

 夕刊紙が「婚約」をスクープした1958年7月1日夜、長嶋の在籍する巨人は後楽園球場で国鉄スワローズ(現・東京ヤクルトスワローズ)を相手に公式戦を戦った。国鉄の先発投手はデビュー戦で4打席4三振を喫したエースの金田正一だったが、巨人3点リードで迎えた8回裏、長嶋は金田の初球を見逃さず、レフトスタンドに2ランホームランを叩き込んでいる。

 スタンドから「長嶋おめでとう」の声が上がったのは、金田正一から初ホームランを放っただけではなく、司葉子との婚約が報じられたことへの祝意もあったのだ。しかし、長嶋本人は婚約について訊かれると、

《デタラメですよ。大阪から帰ってきて、クルマで街を走ってたら、新聞の立ち売りのところに『長嶋、司葉子と婚約』なんて書いてある。本人もゼンゼン知らないことだ》(『週刊明星』1958年7月27日号)

 と全否定。一方の司も、

《ほんとにただのお友だちなんです》(『週刊明星』1959年10月18日号)

 と噂を一蹴している。

 しかし、これらの発言を信じる者はいなかった。当時の芸能人は交際が報じられても、シラを切り通すのが常套手段で、同時期に恋仲が伝えられた中村錦之助(のち萬屋錦之助)と有馬稲子も「ただの友達」と否定し続けたが、結局は結婚に至った。マスコミは「長嶋と司もそのケースだ」と睨んでいたのである。

出会いから40日のスピード婚約

 その後も交際報道は沈静化せず、女性誌『婦人倶楽部』(1963年2月号=現在は廃刊)では「結婚を噂された二人ですけど」なる意味深なタイトルで対談を行い「婚約の事実はない」と双方が否定しながら「これは結婚の伏線」と余計に報道が過熱。それほど二人の仲は「堅い」と見られていたのだ。

 それが、一気に終息する出来事が起きた。

 約1年後の1964年11月26日、紀尾井町のホテルニューオータニに300人を超える報道陣が殺到した。長嶋茂雄と東京五輪コンパニオン・西村亜希子さんの婚約会見である。10月に報知新聞が主催する対談で出会った二人は意気投合。出会いから40日というスピード婚約となった。

長嶋茂雄さんの妻・亜希子さん

 各紙は一面で報じたが『スポーツニッポン』は監督の川上哲治や同僚の王貞治より、司葉子のコメントを先に載せている。

《いろいろ騒がれましたけど、お友だちとして本当によかったというのが実感です。シゲちゃんのグループに私も入れてもらってるけど、前から彼には西村亜希子さんみたいなスーパー・レディがいいとみんなで話していたし、彼もそんな人を望んでいたのよ》(『スポーツニッポン』1964年11月27日付)

 そのうえ、翌年1月26日に、ホテルニューオータニで行われた結婚披露宴にも列席し、《これで私もゴシップから解放されて、堂々とジャイアンツを応援できますわ》(『週刊明星』1965年2月7日号)

 と祝辞まで述べている。

 二人の仲が実際どうだったか、今となってはどうでもいいことだが、ノンフィクション作家である筆者の推察を言うと「最初は付き合っていたけど別れて、それでもマスコミが騒ぎ続けたため、説明する時宜を逸した」──が真相ではないか。

 長嶋茂雄が永眠して6月3日で1年がたった。一方の司葉子は表舞台から遠ざかって久しいが、今も健在。今年の8月20日で92歳の誕生日を迎える。

ほそだ・まさし 作家。2020年刊行『沢村忠に真空を飛ばせた男』(新潮社)で講談社本田靖春ノンフィクション賞、2024年刊行『力道山未亡人』(小学館)で小学館ノンフィクション大賞を受賞

取材・文/細田昌志