6月9日に肺炎のため86歳で亡くなった女優の中村玉緒さんの通夜が、16日に東京都内で行われた。バラエティー番組でともにレギュラーを務めた浅田美代子や、親交のあった和田アキ子、ドラマで共演した鶴見辰吾や事務所の後輩の水森かおりなど、多くの著名人が参列する中に、明石家さんまの姿もあった。
普段から“お母さん”と呼ぶほど親しい間柄
「さんまさんはどれだけ親しい人でも、自身が通夜や葬儀に参列すると目立ってしまうため、あえて行かないという立場を貫いてきました。お笑い芸人として人前で涙を見せたくないという思いもあるのかもしれませんが、とても異例のことだったため、会場を訪れていた報道陣からも驚きの声が上がりました」(スポーツ紙記者)
さんまは通夜だけでなく、翌日の告別式にも参列している。これまでの立場を変えてでも、最後のお別れをしたいという思いがあったのだろう。もとより2人は“強い絆”で結ばれていたと語るのは放送作家だ。
「中村さんといえば、TBS系の『さんまのSUPERからくりTV』などバラティー番組で見せる天然ボケのキャラクターが人気を博しましたが、そこに最初に注目したのがさんまさんでした。
中村さんの訃報を受け6月13日に放送されたラジオ番組『MBSヤングタウン土曜日』では、関西テレビのトーク番組『さんまのまんま』でゲスト出演した際、中村さんのキャラクターに気づき、夫で俳優だった勝新太郎さんにも許可をもらってバラエティー番組に起用した経緯を語っています」
ラジオでさんまは中村さんを「笑いの神が住みついた」と高く評価していた。
「もともとさんまさんは、作り込まれた笑いよりも偶然生み出される笑いや、その人が持つキャラクターを好む方です。中村さんはそこにバッチリとハマりました。京都出身であり、着物姿でしとやかなイメージを持ちながらも、ツボに入ると豪快に笑うといったギャップのある姿もテレビ映えするものでした。普段から“お母さん”と呼ぶほど親しい間柄でしたよ」(放送作家、以下同)
ただ、中村さんがバラエティーで活躍を始めた背景には、抜き差しならない事情もあった。
「1997年に中村さんの夫の勝新太郎さんが65歳で亡くなります。勝さんは奔放な私生活が伝えられ、自ら立ち上げた勝プロダクションの倒産などで約14億円とも言われる多額の借金がありました。その返済のため、中村さんは女優業に限らずバラエティー番組へも出演するようになりました。さんまさんはそうした事情を知りつつも悲壮感が出ないように、中村さんの明るいキャラクターを盛り立てたのです」
1995年からは2人の名前を冠した特番『正月特番 さんま・玉緒のお年玉あんたの夢をかなえたろかスペシャル』(TBS系)がスタート。
2024年以降、中村さんは体調不良のため出演していないが、タイトルはそのままだった。そこには復帰を願うさんまの思いも込められていただろう。そのぶん、今回届いた訃報のショックは大きいのだろうーー。
