桑子英里さん(本人提供写真)

元青森放送のフリーアナウンサー・桑子さんは体外受精で三つ子を妊娠。しかし、39歳での初産かつ多胎出産はリスクも大きかった。不安を抱えながらも無事、出産に至った彼女に治療の詳細や三つ子を授かった気持ち、育児に苦労しながらも幸せを感じる日々を語ってもらった。

人工授精は上手くいかず

 宮城県を拠点にフリーアナウンサーとして活動する桑子英里さんは、昨年の2月に39歳で三つ子を出産。現在は多胎児ママとして育児に大奮闘中、忙しくも充実した日々を送っているが、ここまでの道のりは決して「順調」とはいえないものだったという。

20代のころ、多嚢胞性卵巣症候群だとわかったんです。仕事が多忙で2~3か月生理がこないこともありましたが、なかなか婦人科に行く時間も勇気もなくて。症状が2年続き、ようやく受診した先で判明しました」(桑子さん、以下同)

 多嚢胞性卵巣症候群とは、卵巣の中で卵胞がうまく成長せず、排卵しにくくなる疾患。不妊の原因となることもある。

夫には、交際を始める前に病気のことを伝えました。夫は『できる限りのことをして、もし子どもができなくても2人で楽しくやれるよ』と言ってくれて。安心する一方で、申し訳ない気持ちもありました

 年齢的なことも考慮し、結婚してまもなく不妊治療を開始。産婦人科でタイミング療法を行ったが、妊娠には至らなかった。

「排卵誘発剤の注射を繰り返し打ち、約1年間頑張ったんですがダメでした」

 タイミング療法では、エコー検査や血液検査などで正確な排卵日を予測。妊娠の確率が最も高い日にタイミングを合わせて性交渉を行う必要がある。卵胞を成熟させて排卵を促すため、排卵誘発剤の注射を併用するのが一般的だ。

 桑子さんは治療のために産婦人科に通院した1年間、幸せそうな妊婦さんの姿を見るのもつらかったという。

精神的にも肉体的にも苦しくなり、半年間、治療をお休みしました。その後、不妊治療専門のクリニックに転院したんです

 このときすでに38歳。年齢的な焦りはあるものの、診察で多嚢胞性卵巣症候群がほぼ消失していることがわかりホッとした。

「ここで初めて人工授精も行いましたが、やはりダメで。年齢を考えて、すぐ体外受精に切り替えました」

 体外受精では、妊娠の可能性を高めるために卵巣刺激のホルモン剤を自分で注射しなければならない。桑子さんはそのタイミングが東京出張と重なったこともあった。

医師からは「順調にいけば双子となる」

薬剤は冷蔵保管が必須。保冷バッグに詰めて新幹線に乗り、到着するとホテルに直行して部屋の冷蔵庫に保管しました。薬の副作用で身体がむくみ、スーツのファスナーが閉まらなくて焦りましたが(笑)、なんとか決まった時間に注射をしながら仕事を終えました

入院先の病院には桑子さん以外にも多胎ママが 写真/桑子英里さん

 採卵日を迎え、10個の卵子を採取することができた。体外受精を経て、3個の受精卵が無事に育った。

 日本産科婦人科学会の規定では、多胎妊娠のリスク回避のため、体外受精で子宮に戻す受精卵は原則として1個と定められている。しかし女性が35歳以上である場合や、体外受精を2回以上行っても妊娠しなかった場合は2個まで戻すことが認められている。

医師からは、私の年齢的に、受精卵を2つ戻してもどちらもダメになる可能性も。順調にいけば双子となると言われました。夫婦でよく話し合い、2つ戻すことに決めました

 うれしいことに、初めての体外受精で待望の陽性反応を得た。

夫と一緒に検診に行くと、先生が『三つ子です!』と驚いていらして。うれしさ、安堵、驚きといろんな感情がまざり、夫と涙ぐみながら笑ってしまいました

 着床後に受精卵が自然に分裂すると双子になるが、体外受精ではその確率がやや高まる。約3年の不妊治療を経て、初めて妊娠することができた桑子さん夫婦の喜びはひとしおだったが、高齢初産のうえに多胎と、母体へのリスクは高く油断はできない状態だった。

早産や妊娠高血圧症候群などさまざまなリスクがあることも理解し、食事や睡眠に気をつけて規則正しい生活を心がけました

 出産年齢が高まるなか、体外受精で生まれる子どもは年々増加している。日本で初めて体外受精が成功したのは1983年のことで、その後、急速に普及した。

 だが、当時は受精卵の培養技術が未熟で妊娠率が非常に低かったため、少しでも可能性を上げるべく、受精卵を複数個移植するケースが相次いだ。結果的に、'80~'90年代には三つ子、四つ子など多胎妊娠が急増。

 母子の命を守るため、やむを得ず子宮内の赤ちゃんを減らす「減胎手術」も行われるようになった。最近では治療技術の進歩から多胎妊娠は減少し、桑子さんのような例は珍しい。非常に重く難しい問題だが、桑子さんはその選択についてどのように考えたのだろう。

経済的不安もそれ以上に毎日が幸せ

医師からは、減胎手術についてのお話はなかったと思います。ただ、3人とも流産してしまう可能性もあること、かつて三つ子を妊娠した方も出産時には双子になってしまったことの説明を受けました。それを聞いて、とにかく行けるところまで子どもたちと頑張る! と決意したんです

ミルクはセルフ飲みで育児に工夫をしている 写真/桑子英里さん

 医師のすすめでNICU(新生児集中治療室)のある総合病院に転院。妊娠中は出血を繰り返すなど不安な思いもしたが、大きなトラブルもなく、ほぼ予定どおりの32週で無事に出産した。

退院後は生活が一変しました。私も夫も実家が遠方ですので、基本的に育児は夫婦2人。想像の3倍、いや3乗、大変です(笑)。でも、最近は子どもの1人が泣くと、ほかの2人がそばに寄っていくこともあり、すごく微笑ましくて。3人で笑っている姿を見るだけで、楽しくなりますね

 幸せも3倍だが、経済的負担も当然3倍。ミルク代、おむつ代だけでも毎月数万円が消えていくという。

地方では自家用車も必須ですが、チャイルドシートを3台設置するため車を買い替えざるを得なかったときはさすがに頭を抱えました(笑)。フリーランスになって以降は収入も減りましたので、経済的不安はもちろんあります。でもそれ以上に、毎日が幸せです

 日本では'22年から、43歳未満の女性に対する不妊治療は保険適用となった。助成金を設ける自治体も増え、不妊治療における経済的な負担は減ったといえる。

 だが子育てへの支援は決して十分ではない。現在の児童手当は、第1子・第2子では3歳未満で月1万5000円。3歳から高校生までは1万円と、1日あたり約300円の計算だ。

 桑子さんは1歳になった三つ子を春から保育園に預け、少しずつ仕事を再開している。「同じように子育てを頑張っている多胎ママに向けて、情報発信ができたら」と前向きだ。

 少子化が深刻な社会問題となるなか、産んだあとも安心して育てられる仕組みづくりは喫緊の課題。不妊治療を経て多胎ママとなった桑子さんの歩みは、子育てを日本社会全体で支える必要性を改めて問いかけている。

取材・文/植木淳子 

くわこ・えり 1985年生まれ。神奈川県川崎市出身。'08年から'21年まで青森放送でアナウンサーとして活躍。不妊治療を経て'25年に三つ子の男の子を出産