6月25日で没後17年になるマイケル・ジャクソン。甥のジャファー・ジャクソンがマイケルを演じた映画が「本人そっくり」と話題に。映画では描かれなかった数々の伝説を振り返る―。
映画『Michael/マイケル』が6月12日に全国390の劇場で公開された。初週末3日間で動員67万人・興行収入10・9億円を記録。全世界興行収入も約9億3000万ドル(約1500億円)を突破し、クイーンのフレディ・マーキュリーの半生を描いた『ボヘミアン・ラプソディ』(2018年)を抜いて伝記映画歴代NO.1の記録更新を果たした。
映画は、少年時代の、父による支配や、成功の裏で負った心の闇を抱えながら、音楽で世界をひとつにつなごうとしたマイケル・ジャクソンの人生を描いている。『ボヘミアン・ラプソディ』の製作陣によるライブシーンやMV撮影シーン再現も話題に。
主演には、マイケルの実の甥であるジャファー・ジャクソンが抜擢され、SNSでは「本人そっくり」「再現度がすごすぎ」などの声が。
そのマイケルが、デビューから大成功を収めていった過程で成し遂げた偉業や記録、世界中で熱狂を巻き起こしたパフォーマンスなどを振り返ってみる。
1・記録ずくめの『スリラー』、『BAD』でKINGに
「マイケルは1963年、弱冠5歳で4人の兄たちとのグループ『ジャクソン5』(のちに『ジャクソンズ』に改名)に加入。1969年10月、シングル『帰ってほしいの』でのデビューから4作連続全米1位に。一躍スターとなりました)」
と教えてくれたのは、音楽ライターの山本航さん。
「1979年のソロアルバム『オフ・ザ・ウォール』がヒットし、1982年に文字どおりモンスターアルバムとなった『スリラー』をリリース。MTVブームのMV(ミュージックビデオ)に目をつけ、14分の短編映画を制作。有名映画監督を起用し、特殊メイクを施して映画のようなストーリー仕立てにしたことで音楽映像に革命を起こしたんです」(山本さん、以下同)
製作費約50万ドル(当時、約1億2000万〜3000万円)に上ったこのMVは世界に衝撃を与え、MVを宣伝材料から映像作品に変えた。
アルバムは通算37週全米1位。シングルカット7曲すべてトップ10入りの新記録に。アルバムは全世界で7000万枚を売り上げてギネス認定。トータル約1億枚に達したといわれる現在、まだ記録は破られていない。
「1984年のグラミー賞では、当時の新記録となる8部門を受賞。ポップス、ロック、R&Bなどのジャンルの壁を壊し、ダンスとの融合を成功させたと評価されました。
また、黒人ミュージシャンが成功する道を切り開いたことにより、ホイットニー・ヒューストンからリアーナ、ビヨンセなどの成功につながったんです。レディー・ガガは、あらゆる面でマイケルから影響を受けたと公言していて、マイケルの遺品オークションでは、55点を落札(推定100万ドル・当時約8000万円)しています」
続く1987年リリースの『BAD』も世界売り上げ約4000万枚。シングル5曲が全米1位を獲得し、当時の記録を塗り替える。世界ツアーは123公演、約440万人を動員し、同年に初来日を果たした。この空前絶後の快進撃により、マイケルは「KING OF POP」と称されるように。
「男性歌手で全米1位獲得13曲は、ラッパーのドレイクと並んで現在も歴代最多です」
2・ダンス革命で世界を虜に
「マイケルは、1983年のテレビ特番『モータウン25』のステージで『ムーンウォーク』を初披露し、世界を熱狂の渦に巻き込みました。
『今夜はビート・イット』のシンクロダンスは、アジアでも旧ジャニーズやBTSなど、ダンス系アイドルグループを生むきっかけに。また、自然と人が集まってダンスに発展するフラッシュモブの原型でもあるんですよね」
続けて、
「1988年のシングル『スムーズ・クリミナル』のMVでは、急角度の前傾姿勢でも倒れない『ゼロ・グラビティ』を披露。ほかにも、股間を手で握ってリズムを刻む『クロッチ・グラブ』や、クラシックバレエから着想した爪先立ちポーズ、5回転高速スピンなど、マイケルのイメージを定着させるダンスパターンを次々と生み出し、ダンス革命を起こしました。
どんなに激しく高度なダンスを踊ってもまったく身体がブレないので、関係者から“異次元の体幹の持ち主”と称されていました」
3・伝説のスーパーボウル・ハーフタイムショー
「数々の独創的で派手なパフォーマンスの極みが、1993年『スーパーボウル』でのハーフタイムショーです」
奈落からせり上がって登場したマイケルは、約90秒間静止。9万8000人超の観客(生放送視聴者数は約1億3000万人)の興奮と絶叫が大きくなる。ようやく動き出すと観客の興奮はピークに達し、失神者が続出した。
「数々のパフォーマンスで世界を沸かせたマイケルは『何もしないで成立する演出』という究極の域に到達したんです」
今では「ハーフタイムショーに出演するのは世界的スーパースターの証」に。
その後もマイケルはスタジアムツアーを世界中で開催し、現在の大物たちによる巨大スタジアムツアーの原型をつくった。
1987年には日本で計14公演を行い、40万人以上を動員。チケット売り上げだけで25億円以上に達し、経済効果は、当時で100億円以上といわれている。
4・心の闇から『ウィ・アー・ザ・ワールド』へ
マイケルは児童福祉に心血を注いだ。
「少年期の、父によるスパルタ教育によって抱いた恐怖と孤独感、幼少から抱えてきた容姿に対するコンプレックス、そして1984年、『ペプシ』のCM撮影中に頭皮に大やけどをした経験などによる『自分と同じように苦しんでいる子どもたちの力になりたい』という思いからでした」
映画でも語られているエピソード以外にも世界中の児童施設を訪問しては子どもたちとふれあい、寄付を行っていたという。
「おもちゃ好きで知られるマイケルは、世界中で大量におもちゃやぬいぐるみなどを購入し、来日時には原宿のキデイランドにもよく立ち寄り、ネバーランド(マイケルの自宅の通称)や世界中の施設で子どもたちにプレゼントを配っていました。
自ら主演した3D映画『キャプテンE.O.』で関わるほどディズニーランドが大好きで、来日のたびに来園。護衛を制して詰めかけた報道陣の質問に歩み寄って答えるシーンも報道された。マイケルはファンからもらった手紙や折り鶴を大切に保管していたといいます」
マイケルの楽曲には環境破壊、人種差別、貧困、反戦、動物保護などをテーマにしたメッセージも多い。アフリカ・エチオピア飢餓救済の企画である、1985年の『ウィ・アー・ザ・ワールド』に中心人物のひとりとして参加。
「ビリー・ジョエル、シンディ・ローパー、ブルース・スプリングスティーン、スティービー・ワンダー、ダイアナ・ロスなどアメリカを代表する45人ものスーパースターが参加したこの作品は世界で約2000万枚を売り上げ、約6000万ドル(当時約150億円以上)の募金が集まり、グラミー賞4部門を受賞しました」
マイケルは、「自身の名声を人道支援のために利用した」と世界で絶賛された。
5・心を病んだ兄を救うために妹ジャネットが共演
1990年代後半からマイケルはゴシップに悩まされるようになり、アメリカを離れて世界各地を訪れる。
「それまで共演を拒んできた妹のジャネット・ジャクソンは兄を救うために、1993年『スクリーム』に出演。MV製作費は「『スリラー』の10倍以上となる約700万ドル(約7億円)でギネス認定されました」
2009年、マイケルはロンドンで『THIS IS IT』50公演を発表したが、準備中に急逝。音楽で国境を超えて世界をつなげたマイケルは永遠に語り継がれる。
