サッカー日本代表の上田綺世

 チュニジア戦で日本人選手として初めてワールドカップ1試合2ゴールを記録した上田綺世。自身も父となって迎えた“父の日”に大仕事をやってのけたが、その活躍の陰には、幼いころから厳しく鍛えてくれた“鬼の父”の存在があった。

 点が取れなかった日の「帰りの車は地獄だった」と振り返る少年時代から、日本代表のエースへ。父から受け継いだストライカー魂とは……。

上田綺世、父親の影響

「僕の原動力は家族です」

 日本人初の“ワールドカップで1試合2ゴール”を記録した上田綺世はチュニジア戦後、その決定力の秘訣をそう語った。

 FIFAワールドカップ2026に臨んでいるサッカー日本代表。グループリーグ2戦目となったチュニジア代戦は4-0の快勝。チュニジア代表のグループリーグ敗退が決定、日本代表はグループリーグ突破に大きく前進した。

 試合は“父の日”に行われた。先日、第一子が誕生し、自身も父となった上田だが、そのサッカー人生において大きな存在が彼の父親だった。

「お父さんは社会人チームでサッカーをしており、ポジションは同じフォワード。上田選手はその影響でサッカーを始めました」(サッカーライター、以下同)

 4年前、24歳で臨んだ前回のカタール大会ではノーゴールに終わった上田は、その後まぎれもなく“日本のエース”となった。

前回大会の背番号は21番。A代表ではその後フォワード・点取り屋らしい9番も背負いましたが、'25年より18番に。

 ヨーロッパに渡る前に所属したJリーグ・鹿島アントラーズ時代の背番号も18でしたが、お父さんがストライカーとして憧れていた元ドイツ代表、ユルゲン・クリンスマンの背番号と同じなんです。'80年〜'90年代に活躍したクリンスマンのプレーを上田選手自身はあまり知らないそうなので、完全にお父さんの影響ですね

 そんな父を常々、「憧れ」と語ってきた上田だが、

「上田選手はそんな憧れのお父さんを“鬼”だと話したこともあります」

 チュニジア戦を地上波で放送した日本テレビでは、試合前に小学生時代の上田のプレーが当時の指導者の証言とともに紹介された。ボールを受ける前にマークを外す動きにシュート力。当時から非凡な才能を発揮していたことが伺えた。

父からのダメ出しで「帰りの車が地獄」

「小さなころはお父さんにサッカーを教わっていたそうですが、点を取れなかった試合の後などはかなりの“ダメ出し”をもらっていたようで、帰りの車が怖くて仕方なかったそうです。点が取れない試合では試合の途中からそれが気になりだすほど。

 “帰りの車は地獄”で、送り迎えの運転をしてくれるお父さんの隣となる助手席が嫌で、それを気づいていたお母さんが気を遣って助手席に乗っていてくれることもあったそうです。当時所属していた鹿島のスポンサー『リクシル』のYouTubeにて当時を振り返ってそう話していましたね」

 チュニジア戦後、冒頭の原動力という言葉に、「自分の妻」「子ども」「現地に来てくれる両親」「兄弟」「友達」と続け、「この人たちの期待に応えたい」と語った上田。

父として育児に励む上田綺世(本人インスタグラムより)

「同じフォワードだったお父さんの檄がその後の上田選手の成長を支えたことは間違いなく、ゆえに今18番を背負っている。しかも日本代表で。今の日本代表、そしてオランダリーグで得点王になるほどの活躍で、お父さんも仏の顔になりっぱなしではないでしょうか(笑)」

 父の日に贈った2ゴールは、厳しく育ててくれた父への最高のプレゼントになったはずだ。少年時代に恐れた“鬼の父”を喜ばせるべく、次戦のスウェーデン戦でもエースの一撃に期待がかかる。