心ない言葉に傷つき、自分の見た目に悩んだ日々。それでもあやかさんは、自分の可能性を信じて歩み続けてきた。アパレル業界への挑戦や“おしゃれ眼帯”の制作に込めた思い、そして前を向けるようになるまでの道のりを聞いた。
18年かけて計15回の手術
生まれつき顔の左側の骨が成長しない「左顔面骨形成不全症」という病気のあやかさん。生まれたときは顔の左側の脂肪もなかった。病気の影響により左目の視力はゼロに等しく、左耳は聞こえづらい状態。目は左右非対称で、口も曲がっていた。
「生まれた直後の私を見て、父親が思わず『顔が変だぞ』って母親に言ったそうです。ただ、腸もおかしくて、胎便が出ないことへの対応を急がなければ命の危険があったらしく。
顔のほうは、その後の診断で成長とともに治るだろうと。結果的には治らなかったんですけどね」(あやかさん、以下同)
治療のため初めて手術を受けたのは中学3年生のとき。中学生になって「みんなと同じ左右対称の顔になりたい」と思うようになり、手術を決意した。
「そこから現在まで、18年かけて計15回ほどの手術を受けています」
手術は壮絶な痛みとの闘いだった。顔の骨を伸ばす、脂肪を移植する、目と耳の位置や大きさを整えるなど、想像し難い処置が施された。
「中3の最初の手術が大変でした。成長していない顔の左側の骨を伸ばすために、歯ぐきに針金を刺して口を縛る必要があって。その痛みを我慢しつつ1か月近く夏休みに入院し、食べられず、しゃべれずだから、ほんとつらかったです。
あと、脂肪移植の手術もしんどかった。太ももの後ろとお尻から脂肪と神経を取って顔に移植したんですけど、脂肪を取った太ももの部分が痛すぎて……。当時は社会人でしたが、1か月くらい仕事に行けませんでした」
あやかさんは岐阜県の田舎育ち。生家は山の中にあり、本人いわく「めちゃくちゃド田舎」。小学校は全校生徒で100人にも満たず、みんな顔見知りだった。
家族に育まれた前向きな心
「だから小学校では、『あやかちゃんはこういう子』みたいな感じで、普通に受け入れて仲良くしてくれました。クラスの男子が、『あやかの顏はぐちゃぐちゃだ』と冗談半分でからかっても、女子の友達がかばってくれたりして。見た目のことでいじめられるとかはなかったです」
中学、高校もごく普通の学生時代を過ごす。ファッションやメイクに興味を持ち始めた思春期を迎えても、見た目に対しコンプレックスを抱くことはなかった。
「でも、モヤモヤがひとつだけ。当時流行っていたギャルへの憧れから、ギャルメイクをすごくやりたいのにうまくできなかったんです。そこで思いついたのが、今もしている左目の『眼帯』。
両目のメイクをそろえなきゃいけないところを、目が左右同じじゃないから限界があったんですけど、眼帯をすればバランスは考えずにすむんで。眼帯をつけ始めた高2から、一気にメイクが楽しくなりました」
明るく、何事にも前向きな印象のあやかさん。そうした人柄を生んだ原点は家族の存在にある。
「両親は、病気だから外に出さないとか、これをやったらダメとか、一切なかったです。深い愛情で2人いる兄と同じように育ててくれました。兄には守られながらケンカもして。そういう家族を見て地域の人や友達も私に寄り添ってくれるから、明るく、前向きでいられるんだと思います」
家族と友人がくれた居場所
病気を意識しなくてすむ恵まれた環境にいたあやかさんだが、社会に出たらそうはいかなかった。おしゃれが大好きなあやかさんはアパレル業界で働くのを夢見て、19歳のときに名古屋へ。好きなブランドのアパレル店員の面接を受けるも不採用。その後挑んだ数社の面接でも不採用が続いた。
「ショックでした。病気のことは隠したくなくて正直に話したんですけど、面接では大抵『その眼帯、いつ外せますか?』と聞かれて」
不採用の理由はわからなかったが、当時のあやかさんは「病気が原因かもしれない」と感じ、深く傷ついた。
名古屋では初めてひとり暮らしを経験。自分を知らない多くの人と知り合い、ある感覚を得ている。
「『目、どうしたの?』『眼帯は?』とみんなから声をかけられて。そのとき、『私は人と違うんだ』って、はっきり自覚しました」
夢破れたあやかさんは地元に戻り、パワーを充電したのち今度は東京へ向かった。自分でデザインした“おしゃれ眼帯”のブランドを立ち上げるという秘めた思いを実現するためだ。
「母親の言葉がきっかけでした。『あなたはファッション好きだから、毎日のコーデに合うようなかわいい眼帯を作ってみたら?』と。すぐその気になり、作品を作り始めて。で、『東京に行ってファッションビジネスを学び、起業しよう』と思い、上京したんです」
東京ではスクールに通いつつ、再びアパレル店員の面接に挑戦。病気のことを理解してくれる職場とめぐり合い、念願の採用を勝ち取った。そんな充実した日々の中、あやかさんは東京を去る決断をする。
社会に出て初めて知った現実
「東京に行けば人生が変わると思っていました。だけど実際に暮らしてみて、東京に限らず、『やりたいことはどこにいてもできる』って気持ちが強くなっていったんです。
SNSの時代になったからなのかもしれません。やりたいことができるかどうかは場所ではなく、自分次第なんだと気づいたんです」
東京で過ごしながら、あやかさんは自分自身が病気を理由に壁をつくっていたことにも気づいた。
「昔は、アパレル店員の面接に落ちたのを病気のせいだと思っていました。でも、病気を理解してくれる職場もある。問題は病気じゃなくて、病気のせいにする私自身なわけです。自分でチャンスをつかみにいくことが大切なんだって」
病気を言い訳にしない。できることに目を向ければいい。成長を遂げようとする中、友人の言葉が支えになったそう。
「眼帯は世間一般にはネガティブなイメージですけど、『あやかの眼帯は武器、チャームポイントだよ』って言ってくれて。うれしかったし、救われました」
現在はアパレル業界に身を置きつつ、おしゃれ眼帯のブランドづくりに取り組み、さらに将来的には同じように病気と向き合う人たちが自由に思いを語り合えるコミュニティーをつくりたいと考えている。
「昔は何度も『もし病気じゃなかったら……』と思いました。今は違います。病気があっても、どこにいても、努力次第で人は輝ける。そう強く思っています」
取材・文/百瀬康司
1991年、岐阜県生まれ。生まれつき顔の左側の骨が成長しない「左顔面骨形成不全症」。現在はアパレル業界で働きながら、Instagramやブログで自らについて発信。おしゃれ眼帯の制作も行っている。
