ブラジルに敗れてW杯から姿を消すことになったサッカー日本代表。ベスト32で敗退となったが、高い組織力で強豪国を苦しめた姿は世界を驚かせた。そのチームを作り上げた名将には現在の姿からは想像できない過去があって―。
「卒業式に金髪で……」学生時代の“やんちゃ”ぶり
「勝利を届けられず残念です。監督として力がなくて、みなさんには申し訳ないということをお伝えしたい」
試合前の国歌斉唱で目に涙をためたサッカー日本代表の森保一監督。敗戦後の会見で涙ながらに謝罪の言葉を口にした。
「日本時間6月30日、サッカーワールドカップ(W杯)決勝トーナメント初戦で日本はブラジルと対戦。前半に佐野海舟選手のゴールで先制しましたが、後半に同点に追いつかれました。
ブラジルの猛攻をしのぎ、延長戦も見えてきた中、終了間際に追加点を決められて1―2の逆転負け。過去5度優勝のサッカー王国を相手に善戦しながらも、ベスト32で敗退となりました」(スポーツ紙記者)
7月2日、帰国後の会見では、
「少し休んで、そこからまた大会の振り返りをしたい。今、決まっているところはそこまで」
と、自らの進退については明言を避けた。
「日本サッカー協会は、森保監督に続投を要請する方針のようです。森保監督は'18年に日本代表の監督に就任。'22年のカタール大会と今回と2大会連続で指揮を執りました。'27年1月にはアジアカップが控えており、まずはそこを見据えて1年程度の短期契約でのオファーとなる見込みです」(前出・スポーツ紙記者、以下同)
日本代表監督として歴代2位の長さとなる8年。さらに契約延長が見込まれる森保監督とは、どういう人物なのか。
「長崎日大高校から'87年にサンフレッチェ広島の前身である、日本リーグのマツダに入団。守備的ミッドフィルダー(MF)として活躍し、日本代表にも選ばれました。
'93年、W杯アジア最終予選のイラク戦で試合終了の直前に失点し、初出場を逃した“ドーハの悲劇”をピッチで経験。試合後の記憶がなく、気づいたらホテルのベランダで泣いていたそうです」
現役引退後はコーチなどの経験を経て、'12年にサンフレッチェの監督に就任。その年にクラブ創設以来初のJ1優勝にチームを導くと、5年半で3度の優勝という黄金期を築いた。
卒業後はパチンコに明け暮れる日々
高い組織力で強いチームを築いてきた実績だけでなく、人格や礼儀正しさも高く評価されている森保監督。だが、かつては今の姿からは想像もつかない“やんちゃ”ぶりだった。
「長崎市立深堀中学時代、卒業式に金髪で登場しました。同級生に手伝ってもらってオキシドールで脱色。教室で先生にバレて水道で洗われましたが、脱色しているので、黒髪に戻るわけもなく……。在校生として式に出席していた後輩も突然、金髪になった森保さんが現れて驚いていました」(森保監督の知人、以下同)
特待生として長崎日大高校に進学したが、そこでも“まじめ”な生徒ではなかったようだ。
「高校2年生の夏にサッカー部を退部。学校にも2週間ほど行っていませんでした。深堀中の同級生の多くがすでに就職していて、自由に使えるお金があったことから、一緒に夜な夜な遊んでいたと聞きました。父親とサッカー部の監督による説得もあって、なんとか部活動に戻ったみたいです」
森保監督と同い年で、同じ長崎県出身の福山雅治はラジオ番組『福山雅治 福のラジオ』(TOKYO FM)にて、自身の出身である長崎市立淵中学校と森保監督の深堀中を比較して、
「深堀のほうが不良やったばい。深堀の人たちの学ランのほうが怖かったよ。森保さんがそうだったかはわかりませんよ」
と、コメント。当時の森保監督の周囲は決して“治安のいい環境”ではなかったのかもしれない。
やんちゃではあったが、仲間思いな一面もあった。
「試合中、チームメイトがラフプレーを受けると、相手選手に飛びかかっていったこともありました。結果的にレッドカードをもらって退場。ほめられた行動ではないですが、熱い心を持っていました」(前出・森保監督の知人)
高校の監督とマツダの監督が知り合いだったことから、入団テストを受けることになり、合格。ところが、社会人になっても、やんちゃぶりは変わらなかった。
「入寮初日、森保さんが来たと思ったら、髪形がまさかのパンチパーマ。パチンコにもハマっていて、練習が終わると寮に戻って、すぐにパチンコ店へ。新装開店のときには朝から並んでいたそうです」(スポーツライター、以下同)
代表監督の裏に妻の支え
そんな森保監督に、真剣にサッカーだけに打ち込む転機が訪れた。
「マツダに入って4年目に結婚。そのころからパチンコに通うこともなくなり、サッカーに集中するように。結婚相手の由美子さんは、高校時代の同級生。初めて会ったのは特待生の試験のとき。
彼女は陸上をやっていて、100m走の県中学記録保持者。スポーツの才能だけでなく、美人で有名だったそう。しかも名字が同じ“森保”。同じクラスにもなって運命を感じたようです」
高校2年の終わりごろから交際がスタート。森保監督が広島で、なかなか試合にも出場できずにパチンコに明け暮れた時期も支えていた。
「森保さんは長崎を離れてホームシックになっていたそう。パチンコで散財していたのも、ホームシックが理由だったようです。大阪で就職した由美子さんですが、頻繁に広島にも行っていました。
2年目になると、森保さんの希望で由美子さんは転職をして広島に引っ越し。試合に出場できずにもがいていた中で由美子さんの存在に勇気づけられたんだとか」
'24年にテレビ朝日系『徹子の部屋』に出演した際、由美子さんについて、
「妻の前では、すべてさらけ出せます。すべてわかっていると思います。すごく自然体で私に接してくれますし、私自身の好きなことを全面的にバックアップしてくれています」
と、語っていた。
「家では仕事の話はほとんどしない。サッカーから離れてリラックスできるのが自宅でくつろいでいるとき。日本代表監督の打診があったとき、家族への誹謗中傷を心配した森保さんですが、由美子さんから“自分の好きなことを思いっきりやったら”と背中を押されたそうです」(前出・スポーツ紙記者)
やんちゃな少年が名選手、そして名将となれたのは、妻の支えがあったからかもしれない。
