「姉さん、事件です……」。ドラマ『HOTEL』(TBS系)のこのセリフで一世を風靡した俳優、高嶋政伸。両親は昭和の名優である故・高島忠夫さんと元宝塚トップスターの寿美花代、兄は“変態紳士”こと俳優の高嶋政宏、いとこは毒舌キャラのバイオリニスト・高嶋ちさ子と、まさに芸能界の“華麗なる一族”。
そんな彼が、自身初となるエッセイ集『おつむの良い子は長居しない』(新潮社)を発表。家族の話、俳優としての覚悟、知られざる素顔について語ってもらった。
「○○」を凍らせた父・忠夫の規格外さ
「日本一のクセもの俳優」による初エッセイ集は、冒頭の一編「ドン・忠夫コルレオーネの最期」からクライマックスだ。腹ペコだった小学生時代、家の冷凍庫にあった謎の黄色いシャーベットを舐めたら、実は父・忠夫さんが凍らせていた「自分のおしっこ」だった……という衝撃のエピソードが。
「糖尿病検査のためだということでしたが、保存容器に蓋もしないまま入れていて、本当になんであんなことをしたんでしょうね……」(高嶋、以下同)
衝撃的なスターの素顔にハートをつかまれつつ読み進めると、父・高島忠夫の並はずれの偉大さ、父への尊敬と愛情が泣き笑いで伝わってくる。笑いの中に、役者としての覚悟と家族へのまなざしが見える一冊だ。
常に有名人が訪れ、ルイ・アームストロングやデューク・エリントンといった極上のジャズが流れる都内の自宅。あるいは両親が司会を務めた料理番組『ごちそうさま』(日本テレビ系)のロケについていき、高嶋兄弟は幼いころから全国を旅する日々。
父の忠夫さんが大の飛行機嫌いだったため、移動はすべて新幹線や在来線。まるで旅回りの一座のようだったという。
「特別な家だ、という感覚はあまりありませんでした。僕にとってはそれが日常でしたから」
高嶋家の“日常”は、私たちにとっての非日常だ。ある夏のホテルオークラでは、ジョン・レノンとその息子のショーンと同じプールで泳いだことがあったが、両親は数十年後までそれを教えてくれなかったという。
「両親にとっては、ジョン・レノンのほうが年下ですし、『世界的な有名人』という認識がなかったんですよね。『ああそういえば、あんたたちプールであの眼鏡の外人さんと……』という感じで話してくれて『え! ウソでしょ! もっと早く言ってよ〜』って」
なお、高嶋の叔父であり、高嶋ちさ子の父・弘之さんは、音楽プロデューサーとしてビートルズの日本でのヒット作をプロデュースしたことで知られる。
その他にも、イタリアでのフランク・シナトラとの邂逅、名匠・小津安二郎監督は母の飲み仲間……。国内外のビッグネームが「ご近所の方」くらいのトーンで登場するのも、高嶋家の規格外を表すエピソードだ。
そんな環境に育ちながら、高嶋は最初から俳優を志したわけではない。
280万円の借金で舞い込んだ“闇バイト”
小学3年生でスティーブン・スピルバーグ監督の『ジョーズ』に衝撃を受け、映画監督を夢見た。しかし19歳のとき、自主映画の制作で、当時の彼には途方もない280万円という借金を抱えてしまう。切羽詰まっていたところ、人を伝って聞こえてきた仕事は……。
「『医学の研究目的で腕を折ると40万円』とか、『港に大きなトランクを運ぶと20万円』といった高額バイトの情報が集まってきたんですよね。今でいう“闇バイト”ですよね」
そんな危ない仕事に手を出しかけるところまで追い詰められていたところ、「状況を(故・)金子信雄さんの息子さんである金子こうじろうさんに相談していたら、それを隣の部屋で聞いていた(金子信雄さんの妻である俳優の)丹阿弥谷津子さんから『ここで親に頼らず、いつ頼るの!』というお叱りをうけたんです」
両親に土下座し、状況を話すと「肩代わりする。その代わり役者になれ」という条件が。こうして父や兄の付き人をしながら、俳優の道へと足を踏み入れた。
「僕はもともと、右頬に大きなほくろのようなあざがあって、それがコンプレックスだったんです。だから『出る側』は考えていなくて。1985年の初舞台のときも、当初は『監督の勉強のために役者をやるんだ』という意識で臨みました」と、意外な素顔を覗かせる。
『DOCTORS〜最強の名医〜』(テレビ朝日系)の森山院長や大河ドラマ『真田丸』(NHK)の北条氏政など、エキセントリックなクセもの役で日本中を沸かせる高嶋政伸。
臨場感を知るためにプロに殴ってもらう
あの顔芸や怪演は、いかにして作られているのか。本書でも「怪演を生む役作り術」が明かされているが、根底にあるのは「わからないことはそのままにしておけない」という探求心だ。
「例えば台本に『殴られて火花が散る』とあっても、わからないじゃないですか。だからプロの格闘家の方にお願いして、いきなり殴ってもらいました。そうしたら、火花ではなく、大量のワサビを口に入れたような感覚だとわかって。
他にも車に轢かれる感覚を知るため、スタントの方の協力で実際にぶつかってもらったり。視覚障害者の役のときは、完全に目隠しをして渋谷や新宿の街を歩きました。点字ブロックや音声案内がどれほど大切か、身をもって実感しましたね」
すべてを自分の身体で確かめないと気が済まない。その徹底した役作りが、圧倒的な存在感を生んでいるのだ。
「まだまだいろんなことを体験したいですね。今は『火吹き』の練習をしたいと思っているんですが、妻に全力で止められています(笑)」
40年にわたる役者人生を支えてきたのは、数々の偉大な先輩たちからの言葉だった。
「偉大なレジェンドたちの言葉を、どうしても残しておかなければと思ったんです」
まず名前が挙がったのは、芸人の山田邦子。かつて父と一緒に出演した番組で、高嶋の面白さにいち早く気づき、自身のコント番組や司会の仕事に取り立ててくれた。
「大恩人です。邦子さんが『面白い子がいる』と引き上げてくれて、その司会の仕事を見ていたプロデューサーがオーディションに呼んでくれて、『HOTEL』の赤川一平役につながったんですから」
その『HOTEL』で共演した故・松方弘樹さんは、豪快なイメージとは違い、芝居にとても誠実な人だった。高嶋のアップの演技をじっと見て的確な助言をくれ、放送後にはわざわざ父・忠夫さんにまで連絡を入れてくれたという。
そして、故・丹波哲郎さんから授かったのが「芸能界を生き抜く3つの“K”」だ。
「『ケンカしない、ケガしない、ケチらない』。この言葉は今も大切にしています」
シンプルながら本質を突いたこの「3つのK」が、役者・高嶋政伸の根幹を支えている。私生活では現在、8歳と4歳の男の子を育てる良きパパでもある高嶋は、今年10月で還暦を迎える。
「また0からのスタートです。新人に戻ってやらせていただきたいと思います。
人間って、冷蔵庫みたいなものだと思うんです。もう中身が何もない、終わったと思っても、よく探して温め直せば、まだおいしく食べられるものが眠っているかもしれません。この本を読んで、皆さんにもそんな『おいしいもの』を見つけてもらえれば」
人生の酸いも甘いも噛み分けた、笑顔の奥のすごみ。還暦を迎え、さらに深みを増す人生劇場からますます目が離せない。
取材・文/高松孟晋 撮影/佐藤靖彦
1966年東京都生まれ。'85年舞台『とことん優しくそばにいて』で俳優デビュー。'88年、連続テレビ小説『純ちゃんの応援歌』に出演。'90年に放送開始の『HOTEL』で若きホテルマン・赤川一平を演じる。'91年、映画『ゴジラvsビオランテ』で日本アカデミー賞新人俳優賞受賞。また'95年から朗読会「Reading Session」を主宰するなど多方面で活躍している。
