林家ペー・パー子 撮影/山田智絵

 2025年9月、自宅マンションが火事で燃えてしまったギター漫談師の林家ぺー・パー子のおふたり。それまで非公開だった年齢も、火事のニュースとともにぺーさん83歳、パー子さん77歳(当時)と公表され、ダブルで世間を驚かせた。

 今年5月には、ぺーさん自身の波瀾万丈な人生を語り下ろした『ヨレヨレ人生漫談』(小学館)を刊行。本人の歩みもさることながら、昭和の芸能界の歴史をたどる史料的な一冊となっている。

 そこで今回は、寄席の出番終わりのぺーさんを直撃。本の反響や人生を楽しむ秘訣に迫る─。

「春風亭小朝師匠や柳亭こみちさんの楽屋に行って、この本を直接お渡ししたんだけど、とっても評判がいいのよ。何より、文章が素晴らしい! 僕らぺー・パーと付き合いの長い野原広子さんが上手にまとめてくれて本当に感謝しています。まさか自分の人生が本になるなんて夢にも思わなかったわよ」(ぺーさん、以下同)

マネージャーをしていた「オバ記者」

林家ペー・パー子のマネージャー経験もある“オバ記者”こと野原広子さん

 野原さんは、身体を張った体験取材をする「オバ記者」として活躍するフリーライター。同書執筆のきっかけについて、野原さんは次のように話す。

「私は以前、3年間ほど林家ぺー・パー子さんのマネージャーをしていた時期があるんです。昨年、25年ぶりに再会して、その2か月後に火事が起きました。いろいろなことが起きたので『このタイミングで、これまでの人生を本にまとめませんか?』と私から提案しました。

 年明けから毎日のようにぺーさんにインタビューをしていたのですが、余談に次ぐ余談! 面白いけど表に出せない話も多くて困りました(笑)」

林家ペー・パー子

 紆余曲折を経て世に出た『ヨレヨレ人生漫談』は、ぺーさんの幼少期に始まり、初代・林家三平師匠の弟子時代の思い出も多数語られている。

「僕は大阪の日本橋出身なの。幼いころから映画好きだったから、東京は憧れの場所でね。上京して、三平の立つ舞台を初めて見たとき『芸能人になるには三平の弟子になるしかない!』と思ってね。いろいろと作戦を立てて、ついに三平の弟子になれたんだけど、僕は噺家志望ではなく、タレント志望。噺家ではない付き人という立場だからこその使いやすさがあったのかもね。その期間は、大変なこともあったけれど、僕は芸能界が大好きだから本当に楽しい5年間だったわよ」

 三平師匠とともに、さまざまな一流芸能人を目撃してきたぺーさん。中でも、“裕ちゃん”こと憧れの石原裕次郎との邂逅は忘れられないという。

銀座のクラブで石原裕次郎に遭遇

「当時は三平がレギュラーを務めていた番組のプロデューサーが、月に何度か銀座のクラブに連れていってくれたの。ただ、三平は人付き合いやにぎやかな場所が苦手だから、毎回嫌々行っていたんだけど、その日は店に入った瞬間に石原裕次郎さんが席に座っていたのよ。僕はミーハーだから、つい『裕ちゃん!』なんて言っちゃって(笑)」

 銀幕の大スターを発見したぺーさん。さっそく三平師匠に報告すると、師匠は席を立ち石原さんの元へ……。

「三平は先輩だから挨拶する必要もないのに、石原さんのところに行って『石原先生!』なんて挨拶しに行ったのよ。石原さんも恐縮して『先生なんてやめてよ』って笑ってた。三平はちょっと有名な人に会うと『先生』と呼ぶ癖があったの。それが師匠のかわいいところでもあったわね」

ピンクの衣装の秘密もぶっちゃけ

 また、同書ではぺー・パー子の代名詞となる“ピンクの衣装”の秘密にも触れている。

「きっかけはテリー伊藤さんのアドバイス。テリーさんが『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』(日本テレビ系)で総合演出を務めていたころ、派手なパー子の横で地味なスーツを着ている僕を見て『ペーちゃん、テレビタレントはビジュアルが大事だよ。今パー子さんが着ているピンクの服に合わせてピンクにしたら?』と助言してくれたの」

 どうしたものか……と悩みながら、近所に住むパー子さんの実家に行くと、そこにはピンクのセーターがあったそう。

「パー子用にお母さんが用意してくれたセーターだったんだけど、事情を説明して試しに着てみると、僕にピッタリ! 当時はピンクを着る男なんていなかったから、個人的にはとっても恥ずかしかったけど、腹をくくって衣装をピンクでそろえてね。今では身の回りのものはすべてピンク。そのとき“ビジュアル”って言葉を初めて覚えたのよね」

 恥ずかしさを感じつつも、アドバイスを受け入れて実践する“素直さ”こそが、多くの人に愛されるゆえんだろう。前出の野原さんも「ぺーさんもパー子さんも嘘がない人」と語る。

「ピンクになる」以前の林家ペー・パー子。服装は変わっても、おしどり夫婦ぶりは変わらない

「おふたりとも本当に嘘がなくて嫌みがないんです。それが災いする場面もあるけれど、何か思い違いがあれば、すぐに謝ってくれる。それがご夫妻の“お人柄”であり、魅力なんですよね。だからこそ、火事後もたくさんの人がお見舞金を渡してくれたり、林家たい平師匠の呼びかけで『がんばれぺー♡パー子有志応援団の集い』というチャリティーイベントを開催してもらったり。みんな、ふたりを放っておけないんですよね」

 競争激しい芸能界をまっすぐ突き進んできた林家ぺー・パー子は、気づけば唯一無二の存在になっていた。

 パー子さんもこの『ヨレヨレ人生漫談』がお気に入りだとか。

「パー子は読書家だから文章にはうるさいんだけど、この本は『とっても面白い!』と珍しく褒めてたね。意外に思うかもしれないけど、よくパー子に叱られるのよ。僕はパー子の兄弟子だから、結婚前から『お兄ちゃん』と呼ばれてるんだけど『お兄ちゃんには愛嬌がない! 芸人は笑顔が大事なのに、全然できていない』ってね。なんでも、パリオリンピックで金メダルを取った、やり投げの北口榛花選手は常に笑顔を心がけてるんですって? 彼女を手本にしなさい、と今日も怒られてね。あら、また脱線しちゃった」

林家ペー 撮影/山田智絵

余談は三平から受け継いだもの

 泉のように湧き出るぺーさんの余談。もしや、この余談こそが人生を楽しむ秘訣?

「そうそう、“余談”活用! 思えば、余談は僕が三平から受け継いだもののひとつでもあるね。三平は、楽屋でも常に話し続けている人だった。お互いに映画好きだから、ずっと映画の話をしていたっけ。僕が映画に関するクイズを出題して『師匠! シンキングタイム!』なんて悪ふざけをすると『師匠にクイズを出すやつがあるか!』なんて叱られるのは日常茶飯事。

林家ペーの『ヨレヨレ人生漫談』(小学館/税込み1012円)

 映画といえば一度、三平と一緒に晩年のアラカン(嵐寛寿郎)さんに会ったことがあるの。僕も師匠も『鞍馬天狗』の大ファンだったから、大喜びで挨拶に行って、そこで三平が『先生! うちの娘の海老名美どりはどうですか?』なんて言い出したのよ」

 稀代の色男、嵐寛寿郎さんの答えは……。

「『あきまへん』とひと言。師匠が『どうしてですか!?』と食い下がると『顔が好みじゃない』と一刀両断! けだし名言だったね〜。念のため好みの女性も聞いてみると『あれや。由美かおるや。見てごらん、いつも風呂入ってるわ』だって。僕と師匠とアラカンの強烈な思い出よ。また余談、失礼しました(笑)」

 人生は余談の連続。そんな林家ペーの生きざまをこれからも目に焼きつけていきたい。

はやしや・ぺー ギター漫談師。1941年、大阪府生まれ。'64年、初代林家三平に弟子入り。'72年、同門で7歳年下のパー子と結婚。ピンクの衣装に身を包み、カメラ片手に有名人とツーショットを撮りまくるぺーと明るく笑うパー子の周りはいつも笑顔があふれている。

取材・文/大貫未来(清談社) 撮影/山田智絵