ジュディ・オング 1950年台湾生まれ。3歳で来日し、11歳のとき日米合作映画『大津波』で女優デビュー。16歳で歌手デビュー、1979年には『魅せられて』が大ヒット。現在まで、歌手、女優、木版画家など幅広く活躍中。

 空前の大ヒット曲『魅せられて』で知られるジュディ・オングさんは、今年、歌手生活60周年。76歳を迎えた今も変わらぬ美しさを保ち、パワフルな歌声を届け続ける。そんな彼女の激動の歩みと、輝き続ける美の秘訣に迫る。

嫌なことは忘れる! いい記憶ばかりの60年

実は、60周年という感覚はまったくなかったんです。昨年の秋に、出演した番組のプロデューサーから指摘されて、スタッフ共々“え、来年60周年なの!?”と大騒ぎになったくらいで(笑)」

 そうちゃめっ気たっぷりに微笑むジュディさん。芸能界を60年も泳ぎ切ってこられた秘訣をこう語る。

嫌なことは全部忘れてしまうのね。振り返れば、いいことばかりが走馬灯のようにバーッと蘇ってきます。だから、その流れた時間が60年と言われても、ピンとこないのかもしれません」

 ジュディさんは11歳で女優デビューし、すでに芸能界で活躍していたが、歌手としての一歩を踏み出したのは16歳のとき。

「当時は歌番組のほとんどが生放送。ある番組で、出番の前に楽屋でおしゃべりをしていたら、私の曲のイントロが流れてきて。大慌てで靴を履いて飛び出して、ゼイゼイしながら歌ったんです。後で先輩にこっぴどく怒られたんですが、それがデビュー直後の忘れられない思い出。それ以来、出番のずいぶん前から待機するようになりました(笑)」

 作曲家の筒美京平氏、作詞家の橋本淳氏という二人の巨匠との出会いも、彼女の歌手人生に大きな影響を与えた。

18~21歳くらいのころ、お二人から“歌にはストーリーがあり、主人公がいるんだ”と教わりました。けれどうまく表現ができなくて、何度もレコーディングを止められては、自信をなくしてトイレでよく泣きましたね」

 そんな表現への苦悩を乗り越え、1979年、運命の一曲『魅せられて』が誕生する。エーゲ海の風をまとったかのような世界観と美しい歌声は日本中を席巻し、200万枚を超える歴史的な大ヒットを記録した。

「最初は、なんて大変な曲かしらと思いました。16分音符すべてに歌詞がついているので、テンポに遅れず歌うだけでも一苦労。その上、歌詞もちょっと艶っぽい内容でしょう? 表向きは何でもないような顔をして澄まして歌っていましたが、実際は緊張感でいっぱいでした

 そんな中、『魅せられて』は彼女の予想をはるかに超えるスピードで日本中に浸透していく。

「時代劇の撮影中、マネージャーが血相を変えて走ってきたんです。“ジュディさん、1日で10万枚売れました!”って。当時は1日に製造できるレコードの枚数に限りがあったため、プレス工場は『魅せられて』の増産を最優先にしたそうです」

 この大ヒットを受け、人気番組『ザ・ベストテン』への出演が決まった際も、前代未聞の出来事があった。

「まだ時代劇の撮影の真っただ中だったので、井戸のある江戸の長屋のセットから生中継することになって。東京から白いドレスを届けてもらって、長屋のど真ん中で両手を広げて熱唱しました。あのシュールな光景は忘れられない思い出です(笑)」

ハリウッドかレコ大か

 曲の大ヒットとともに、大きな話題を呼んだのがドレスだ。

「曲を聴いたときにギリシャ神話のニケ(勝利の女神)のイメージが浮かんで、私自身がデザインしたんです。もともとのヒントは、ダイアナ・ロス。彼女が来日ステージで、白のドレスに映像を投影させていたことに着想を得て、人間が“大”の字に手を広げたときに一番大きく広がるようにプリーツの形を考案しました」

 大きく手を広げて歌う姿は、志村けんさんがコントでパロディーにしたり、子どもたちがこぞってまねをしたりと、一大ムーブメントを巻き起こした。

まねをするのに、シーツ派とカーテン派がいらしてね(笑)。子どもたちがお遊戯会でやったり、忘年会の余興にされた方も大勢いて、シーツがたくさん売れたなんて話も伺いました。

 パロディーにされたということは、それだけ日本中で聴いていただけたということ。本当にありがたくて、うれしかったですね」

 長いキャリアの中、決して平坦な道ばかりではなかったはずだが、「芸能界を辞めたいと思ったことは一度もない」ときっぱり語る。

「私、そこまで弱くないみたい(笑)。辞めるぐらいの覚悟があるなら、頑張ったほうがいいじゃない?

ジュディ・オング 1950年台湾生まれ。3歳で来日し、11歳のとき日米合作映画『大津波』で女優デビュー。16歳で歌手デビュー、1979年には『魅せられて』が大ヒット。現在まで、歌手、女優、木版画家など幅広く活躍中。

 そんなジュディさんだが、『魅せられて』の爆発的ヒットの裏で、人生を揺るがす究極の選択を迫られていた。

アメリカの大作ドラマ『SHOGUN 将軍』の主役に抜擢されたんです。国際女優になることは子どものころからの夢でしたし、時代劇で英語ができて、立ち回りや乗馬もこなす役となれば、私にしかできないという自負もありました。でも撮影が遅れに遅れて……。

 国内では、『魅せられて』が売れて年末のレコード大賞に向かって突き進んでいました。この2つが重なってしまい、身体は1つしかないので、どちらを選ぶべきか死ぬ思いで悩みました

 そんなジュディさんの背中を押してくれたのは母親だった。

「母は、“あなたも自分で人生を選ぶ年齢。どちらを選択しても後悔はしないこと。その選択が間違っていなかったと、後から言えるように自分で努力をなさい”と。その言葉で、私は日本で歌うことを選びました。そして、年末の日本レコード大賞で、大賞を受賞させていただいたんです」

 受賞の瞬間、感極まって呆然とするジュディさんの耳には、母の「よかったね、ジュディ」という声だけが届いたという。

台湾流の健康法

 第一線で活躍し続けてきたジュディさん。驚かされるのは、本人の圧倒的な若々しさだ。その秘訣を尋ねると、返ってきたのは意外にもシンプルな答え。

一番は、しっかり寝ることです。母をはじめ、台湾では食後などにシエスタ(昼寝)をとるのが一般的。年齢を重ねるほど、寝ないと身体は回復しませんから。

 それから食事は、時間をかけてゆったり楽しみながら“腹七分目”に抑えること。胃と脳をすっきり保つ秘訣ですね」

年齢を感じさせない容姿をキープ。その秘訣はポジティブな生き方、と話すジュディ・オング

 メンタルを整えるために「ネガティブな感情を身体に残さない」ことも大切にしている。

怒りや悲しみ、恨みなどのマイナスな感情は抱えてもいいことはひとつもありません。頭がモヤモヤする日は、頭皮をしっかりブラシでほぐして、シャンプーをして文字どおり“洗い流して”しまいます。これも台湾流ですが、嫌なことは忘れて、常に上を向いて楽しいことを探すようにしています

 そんなジュディさんの人生に「諦める」の文字はない。

部屋のあちこちに鏡を置いて、自分の姿勢や表情をチェックしています。鏡を見て“あちゃー!”って思ってもそこから逃げずに、努力をすればいいんです。人間関係も同じ。お互いに心地よい距離感を上手に保って、ストレスをためないようにしています

 今年の10月には、これまでの歩みの集大成となる、歌手生活60周年の記念コンサートが控えている。

「デビュー曲からのアーカイブの中から、厳選した名曲をたっぷりお届けします。会場のみなさんと生でおしゃべりする時間もつくりますし、15歳からの大親友である小林幸子さんや、映画で共演した中村雅俊さんとのステージも見どころです。ぜひ楽しみにしていてくださいね」

ジュディ・オング 1950年台湾生まれ。3歳で来日し、11歳のとき日米合作映画『大津波』で女優デビュー。16歳で歌手デビュー、1979年には『魅せられて』が大ヒット。現在まで、歌手、女優、木版画家など幅広く活躍中。

「ジュディ・オング歌手生活60周年記念コンサート」10月15日(木)、東京国際フォーラムにて開催。詳しくはジュディ・オング公式サイトへ。https://judyongg.com/


取材・文/荒木睦美 取材協力/ロイヤルパークホテル