「私は9歳から17歳まで、実父から性虐待を受けました。引っ越しても、引っ越しても、その居場所がバレて、追いかけ回されて。私の場合、気がついたら、時効が成立していました」
性犯罪の公訴時効の撤廃を訴えた塚原たえさん
6月18日、衆議院第一議員会館で開かれた集会「刑法性犯罪の『公訴時効』さらなる見直しに向けて」で、一般社団法人PCASA JAPANの代表理事、塚原たえさん(54)が登壇し、性犯罪の公訴時効の撤廃を訴えた。
「2023年の刑法改正で時効が5年延長されました。それで、訴えることができるのでしょうか。加害者には時効があっても、被害者には時効はありません」
塚原さんは被害者として取材を受けていた当初、「T.T」というアカウントを使い、Xで投稿していた。しかし、性的虐待の加害者である父親が普通の生活を送っていることが許せなくなっていく。そして'23年ごろから、実名・顔出しで取材を受けるようになり、'25年3月、法人を設立した。
「実名と顔を出した後、いろんなサバイバーから相談が来るようになりました。サポートするとなると、個人ではできない。裁判の傍聴や警察署への同行などの依頼もあります」
そんな中で、名刺サイズのヘルプカードを作ったりもしている。《ちかくにいるひとにたすけてほしい・しらせたいときは、このカードをみせてね》と書かれ、「性犯罪・性暴力被害のためのワンストップ支援センター」の連絡先(#8891)と自身の携帯番号も載せている。
父親と一緒の入浴を強制されて
1971年12月、山口県で後に性加害者となる父と、その蛮行を傍観した母の長女として生まれた。塚原さんは父親から性的虐待を受けた。塚原さんの妹と弟も同様だ。子どものころの被害をどのように認識したのか。
「最初のうちは本当に『痛い』『気持ち悪い』『苦しい』しかなかったのですが、『これ、おかしい!』と思ったのは中学2年生のときです。クラスの女の子たちの会話が聞こえてきて、『彼氏とかとC(性行為の意味)をした』という会話が耳に入ってきたんです。
私は、(性行為の相手が)父だなって思ったんです。そこから、おかしいという感覚になりました。父は当時、『これは誰にも言っちゃダメなんだぞ』と言っていました。私は『なんでだろう』と思っていたんですが、会話を聞いて、『そういうことか』と思い、理解しました」
父親からの性的虐待はどのくらい起きているのか。内閣府の「男女間における暴力に関する調査」('24年3月)によると、「不同意性交等」の経験者は4・7%。このうち、加害者が親の場合は2・1%。被害者を女性に限ると、被害経験者は8・1%。加害者が親の場合は10%。120人に1人の女性が被害を受けていることになる。
塚原さんが父親から性的虐待を受け始めたのは、いつごろなのか。
「小学3年、9歳だと思います。父から触られるのは当たり前。お風呂も強制的に一緒に入っていました。『脚を広げろ』と言われ、下半身に指や異物を入れられたこともありました」
性犯罪は刑法改正によって基準が変遷してきた。当時の強姦罪では「性器挿入」に限られていた。しかし、'23年7月以降、刑法改正で、指の挿入時点で「不同意性交等」になる。また、時効は10年から15年に延長された。塚原さんの時効撤廃の主張は、この「5年延長」では足りないということだ。現在は被害者の告訴がなくても起訴できる非親告罪にもなった。
幼いころの塚原さんはどのような生活をしていたのか。
「山口県内の借家に、父親と母親、弟、妹と住んでいました。父が働く会社の同僚も住まわせていました。その男にも胸を触られました。その同僚は、いとこの下着の中に手を入れたりもしていた」
屋外にある風呂場で、浴槽に顔を沈められたこともあった。
「『早く終わってほしいな』とか『このまま死ねたらいい』とか『記憶がなくなればいい』と思っていました。私の中では『行水』と言っていますが、風呂の浴槽に水がいっぱい張ってあって、夏冬関係なく、顔を何十回もつけられ、意識が遠のくことがあったんです。そのときは『死んだら楽だろうな』って思いました」
妹や弟もターゲットに
父親は、妹や弟もターゲットにしていた。
11歳になると、無理やり性交された。生理が始まったタイミングだったという。
「小学5年の終わりごろでした。昔は、生理がくるとお祝いするじゃないですか。その日にケーキを食べたのを覚えています。父は異常に上機嫌でした。夜、父親に呼ばれ布団に入るように言われ、嫌だと言うと何をされるかわからないので言うことを聞くしかなく、布団の中で下着を脱がされ挿入してきました」
下半身を触る行為はこれまでと同じだが、この日は違っていた。
「父がいきなり上に乗って、挿入してきたのです。触られていることの延長かと思い、私は何をされているのかわかりませんでしたが、激痛でした。生理のお祝いの日なので、当然、生理中。『痛い!』って泣いたんですが、父は『黙れ』、『騒ぐな』、『静かにしろ』と言っていました」
母親は笑って見ているだけで……
しかも、その行為を母親が見ていたが、止めることはなかった。
「母親は隣の布団に座っていたところ、父親が挿入した状態を布団をめくり、母親に『ほら見ろよ、入った、入った』と笑いながら見せつけたのです。母は『何してるの?』と笑って見ているだけでした。終わったあとは必ず、『誰にも言うんじゃないぞ』と念を押されました」
塚原さんが性行為の意味を理解したのは中学2年のころだ。そのころは、暴力によって学校にも行かせてもらえない状況にもなっていた。
「もともと、学校にはなかなか行かせてもらえなかったんです。髪の毛を引っこ抜かれたりして、はげた部分があちこちあって。ハサミで虎刈りにされた状態だったこともありました。教科書も浴槽に捨てられました」
暴力の痕は身体中に刻まれている。「傷が今でも、ここにあるんですけど……」と言って、腕を見せる。
「傷が残っているのは、おでこ、右脚太もも外側、背中です。手の甲の根性焼きと、包丁で切られた腕の痕は年のせいかだいぶ薄くなりました。そのハートみたいな形が残っていました。これはホースで殴られた痕で、裂けた傷なんです。傷はあちこちに残っています」
父親は、塚原さんを殴った。そして、弟と妹に殴らせることもあった。
「私はひたすら叩かれていました。泣くと、『うるさい。黙れ。声を上げるな』とタオルで口をふさがれ、殴られました。父が殴り疲れると、弟や妹に『やれ!』と命令して、やらせていたのです。投げ飛ばされて、敷居で頭を打って、失神したこともあります。
目を覚ましたとき、父がお酒を飲んでいて、妹を隣に座らせていました。母は普通にキッチンで父のつまみを作っていました。ぶつけたときの痕が額にあります。傷を見ると、あのときの記憶が蘇ります」
しかし、目が覚めても暴力は続いた。
「何もわからないまま起き上がったら、また殴られました。父に『てめえ。ちょっと待ってろ!』と言われ、そのまま殴られました。でも誰も助けてくれないんです。
学校で椅子に座りますよね。腕やお尻、背中、太ももを集中的にやられているので、普通には座れない。腕をこう使って浮かせるように座るんですよ。学校の先生には覚えておいてほしいです」
叔母が見つけた虐待の形跡
母親も被害者であることは、近所にも知られていた。
「母も何回も父に殴られて、上唇が裂けていました。真冬に裸で外に立たされたことがあり、近所の人たちも見ていました。『かわいそうだよね』とか、『もういいかげん、誰か止めてあげなよ』とか話をしてくれたりもしました」
一度だけ、警察が来たこともある。
「『ごめんなさい。ごめんなさい』と謝ったり、叫んでいたりしたのが、近所に聞こえたんだろうと思います。おまわりさんに父が『しつけのため』と言っていたんです。このとき、『助けてください』と言おうとしましたが、あとで殺されちゃうと思って言い出せず、おまわりさんは『ほどほどに』と言って帰ってしまいました」
実は、父親の妹で、塚原さんの活動を応援している人がいる。NHKの連続テレビ小説『鳩子の海』('74年)にも出演した女優の藤田三保子さん(73)だ。
「兄は中学を卒業して当時の『金の卵』として上京していきました。それまでは言うことを聞かないとすぐ怒鳴りつけるという人で、恐怖の塊以外の何ものでもありませんでした」(藤田さん)
そのため、上京後にどうしているのかは知らないでいた。一方、結婚して、塚原さんたちが生まれたことは知っていたが、兄とは疎遠となっていたため、幼少期の塚原さんには会っていない。ただ、塚原さんの学校の先生から「ひどいことになっている」という内容の連絡があった。そこで家を訪問し、不自然さに気がついた。
「手紙か電話かは覚えていないのですが、連絡があり、慌てて兄の家に行きました。家の中は掃除が行き届いておらず、母親が家庭をまともに回している様子がありませんでした。私は、布団のカバーを洗濯したり、朝食を作ったり、たえの弟の宿題を見てやったりしました。兄はずっと黙って見ていましたよ。『余計なことしやがって』と思っていたのかもしれません。
驚いたのは、丸いカゴのようなものがあって、子ども用と大人用の靴下が全部入れてあったことです。本来なら、靴下や下着は別々の引き出しにしまってあるものではないかと」(同)
さらに、甥(塚原さんの弟)の腕に発見したものがあった。
「腕に直径1センチほどの白い点々を見つけたんです。たえから『タバコの火を押しつけられた痕だ』と聞かされました。誰がやったのかは聞きませんでした。怖くて言えなかったんだと思います。でも、兄がやったことに間違いないと思いました」(同)
自らも恐怖で支配された経験から、藤田さんは兄が加害者だと感じた。しかし、子どもたちへの性的虐待までは気がつかなかった。藤田さんは甥を連れて帰ろうとした。
「2人を連れて帰るって言ったんです。そうしたら虐待が止まるかもしれないと思ったんです。そのとき、兄は灰皿か何かでテーブルを叩いたらしいのですが、覚えていないんですよ。ただ、ものすごく恐ろしかったことは覚えています」(同)
警視庁に逃げ込む。そして結婚へ
塚原さんは一時的に父親と2人暮らしになったこともある。そのときは逃げ場がなかった。
「高校中退後、父の出稼ぎのため、2人で東京都内に住んでいたんです。そのとき、妹は西日本にいた祖母と一緒に暮らし、弟は施設に入っていました。当時、母親は父親と離婚し、再婚していました。父親と私だけだったので、おもちゃにされてしまったんです」
その後、妹も上京してきたが同時に性的虐待をされたこともあったという。16歳のとき、被害に遭った妹を連れて、警視庁本部に行った。
「これまで妹の生活もあるから、私はレイプされようが、『この家で我慢するしかない』と思っていたんです、私が家を出ていくと、妹が性的対象として全部引き受けることになってしまう。それが嫌で、我慢して家にいたのに、『これじゃ意味ない』と思って妹を連れて出たこともあります」
これをきっかけに児童相談所に保護された。
「刑事さんには『お父さんを逮捕はできるけど、3年で(社会に)出てきちゃうけど、仕返し大丈夫?』と言われました。私は『仕返しは怖いです』と言い、父親は逮捕されませんでした。児相に保護してもらいました」
その後、彼氏とその母親と一緒に住むようになる出来事があった。
「ある日デートに行き、夜、保護施設まで送ってくれたんです。そのとき、父親の車が施設の前で止まっていて、帰れなくなり彼の家でかくまってくれました。その家にも父親が来るようになり、彼が仕事中に私は拉致され、ホテルに連れていかれレイプされたのです。それからは彼のお母さんの家でかくまってくれました」
その当時の彼氏が現在の夫である。塚原さんは「ダーリン」と呼ぶ。
「共通の知人からある程度聞いていました。ワンクッションあり、ショックは軽減されていましたし、私も良い環境で育っていたわけではありませんでした。『自分より大変な状況の子もいるんだ』と思いました。
妻の父親の車が施設の前に止まっていて、震えていた妻を見て『施設にはもう帰らなくていい』と私の家に連れて帰りました。助けなければという気持ちでした」(塚原さんの夫)
しかし、父親はその場所を探し当てた。そのとき、2人は父親から逃げた。
「あのときのことは今でもよく覚えています。『返せ。連れて帰る』と言われたので、『離れる前に3分だけ2人で話をさせてください』と頼み、2人きりになったんです。妻の耳元で『俺のこと信じてくれる?』と聞いたら妻が『うん』と答えたので、『今から全力で走って!』と妻の手を取り、逃げました。私が育った地元だったこともあり、裏道や知らない人の家の庭などを通り抜けて、手をつないで走りました」(同)
ただ、性的虐待中、父親は避妊しなかったため、塚原さんは妊娠してしまう。
「そのときに、父との間の、4か月目の子どもを身ごもっていました。彼氏の子として産もうとしていたんですが、トイレで大出血してしまいました。それで、便器の中に赤ちゃんが落ちちゃったんです。
彼氏のお母さんが拾ってくれて、救急車で運んでくれましたし、費用も負担してくれました。医師に話をしたら、『遺伝子の異常ではないか。流れたのはあなたの問題ではない』と言ってくれました」
このころ、塚原さんはダーリンと結婚した。ただ、結婚しても、父親の付きまといは終わらない。
「妻がまだ17歳のころは、法で守るしかありませんでした。妻は保険証もない状態でしたし、警察に一緒に行くにも、病院に行くにも、夫ではないのでサポートができず、結婚することで守ろうとしました。とにかく一緒にいるようにしたんです。仕事中に車の中で話をしていたところを見つけ、妻の父親を殴ったこともありました」(塚原さんの夫)
塚原さんは、婚姻届の保証人を叔母の藤田さんにお願いするため、連絡を取った。藤田さんが塚原さんの被害を知ったのもこのころで、その後、付き合いも本格化する。
「たえが結婚するときに『保証人になって』と電話があり、引き受けました。遠方に住んでいたため、頻繁には会えなかったのですが、会うたびに、たえと話をするのは、過去の被害のことでした。普通の昔話はないですからね」(藤田さん)
被害者だった弟は自死を選んだ
弟も父親からの性的虐待の被害に遭っていた。
「弟は、私が虐待されている現場を見せられました。それに、弟は殴られながら、口腔性交や肛門性交をさせられたりもして。そのため、私は弟を家から逃したことがありました。『父の手が届かないところへ』と思ったんです」
そのときの弟の表情を覚えている。
「涙を流したり嫌な顔をするわけでもなく、表情がなかったんです。感情を持たないようにしている。いくら笑顔を見せていても、どの写真もそうだけど、目が死んでいるんですよね」
塚原さんは弟と2人で家出をした。場所は近所にあった墓地だった。
「ここだったら見つからないよね。2人でずっと暮らそうね」
それは暴力的な父親からの避難だった。逃避行ができると思っていた。
「小学生の、幼い2人が考えるばかなことです。そんな近所のお墓で見つからないなんてこと、あるわけないのに。それでも、父親から逃げられるような感覚で、お墓に段ボールを持っていきました。そのとき、お墓にあったおはぎを盗んじゃったんですよ。お供えされていたものを弟と2人で、その段ボールの中で食べちゃったんです。結果的に暗くなる前に父親に見つかってしまい、数時間で家に連れ戻されちゃったんです」
この家出は、弟にとって幸せな時間でもあり、段ボールは父親から邪魔されない空間だった。楽しい思い出でもあり、苦い記憶でもあった。弟はどうしても父親から逃れたかった。そのため、罪を犯す。
「ある日、裸で立たされていた弟は、近所の洗濯物を盗んで逃げたんですが、窃盗で捕まりました。父から逃げられるなら鑑別所でもよかったんだと思います」
そんな弟は29歳のときに自殺した。亡くなる数日前にも自殺未遂をしていた。
「一度、自殺未遂をして、その後、母の家に滞在していたんです。そのときに、『気をつけてね』って母に言っておいたのに、『大丈夫、大丈夫。今、お風呂に入っている』と、悠長なことを言っていて、『この人は何もわかっていない』と思ったんです」
弟が亡くなったのは、瀬戸大橋の近く。特に縁もゆかりもない場所だった。
「そのとき、妹から電話がありました。『落ち着いて聞いてね』と言われ、そのときの記憶が飛んでしまっています。自殺するようなつらいことが続いて、何をしても、忘れることができなかったのでしょう。父のことで苦しんでいたことは知っています。これでやっと楽になるのかなと思ったりもしました」
被害者救済活動への応援と嫌がらせ
塚原さんが取材を受けるきっかけになった出来事がある。住所を教えていない父親から手紙が届いたためだ。差出人は違っていたが、遺産相続の話が書いてあり、連絡を取りたいとの内容だった。この手紙に刺激され、被害を語ることにした。
当初は匿名で、その後は実名で取材を受けた。そして、さまざまな活動を通じて、人脈を広げていった。こうした経験がある中で、性的虐待を含む虐待の被害者を救済する法人をつくった。「PCASA」の「P」は「PEACE」で平和、「CASA」はイタリア語やスペイン語で「家」を意味する。子どもが虐待を受けない、安心安全な家に生まれてほしいという願いを込めている。
藤田さんも実名、顔出しでの活動を応援している。
「活動を始める前、『実名で訴えようと思う』と、事前に相談を受けていました。私はそのとき、『やりなさい。どんどんやれ』と言いました。実際、被害に遭っている人は黙っていると思うんです。ですから、実名を出すのは社会にインパクトを与えるし、背水の陣でやっているということも見せることができるからです。そのためには、『何だって協力する』と伝えました」(藤田さん)
ただ、活動をしていると嫌がらせもある。先日は、レターパックで手紙と使用済みの性玩具が届いた。
「応援の手紙のように見えて受け取ったんです。でも応援どころか、父親を訴えるのはやめろという内容が書いてあったんです」
性的な侮蔑もあり、発作が起きた。塚原さんの夫はこの手紙が届いたときのことをこう振り返る。
「妻の活動を応援してくださる方がたくさんいる反面、よく思っていない人もいるのはわかっていました。いちばん先に頭をよぎったのは、エスカレートした犯人から、一緒に暮らしている娘と妻をどうやって守るかでした。まずは警察に届けを出さなければと思い、警察へ一緒に行きました。このままにしておきたくないので、何かできないかと模索しています」
そんな中、塚原さんは法人の活動資金を得るためもあり、派遣のアルバイトをしている。
「この前はクリーニングの仕分けの仕事をしてきました。顔バレもしているから、『どうしてここにいるんですか? こんなところで会えるとは思わなかった』と言われることもあります。『おたえ』などと呼ばれて、かわいがってもらっています」
そんな塚原さんは8人の子どもを出産した。乳幼児突然死症候群(SIDS)で亡くなった子がいるものの、7人の子どもを育て上げた。中には塚原さんの性被害を知っている子どももいる。
「うちの子には早く性教育をしようと思いました。私たちは親としてずっと守っていくからね、と言っています。でも、自分で自分を守れるようになってほしい。今は子どもの1人と一緒に3人暮らし。ほかの子はそれぞれ家族を持ち、自立しています。みんな近くに住んでいますので寂しくはない。子どもたちには仲良くしてほしい。最後はきょうだいしか残らないから」
7月29日、実父からの性的虐待の裁判が東京地裁で始まる。塚原さんの尊厳を取り戻してほしい。
<取材・文/渋井哲也>

