治療前に友人のスタジオで家族写真を撮影。「子どもたちにはがんのことを正直に話しました」(西尾さん)

 毎朝4時に起きてサーフィンを楽しみ、仕事と子育てに全力を注いでいた西尾みのりさん。健康には人一倍気を配り、体力にも自信があったが、突然「余命2か月」と宣告されたーー。絶望の中でも家族と過ごす時間を大切にしながら、一日一日を懸命に生きる日々に迫った。

不調がないまま突然の余命宣告

「いちばん下の次男が1歳のときに1人で起業。6年間突っ走ってきて、『もう一歩、会社を成長させていくぞ』というタイミングでがんとわかりました」

 そう話すのは、3児を育てるママで、美容・ヘルスケア事業を展開する会社代表の西尾みのりさん。

 毎朝、趣味のサーフィンをしてから仕事へ行くほど体力には自信があったうえ、医療機器メーカーでの勤務経験から、予防医学の知識も豊富な“健康オタク”だった。

 しかし2025年9月、48歳のとき、膵臓がんステージ4の宣告。現在も闘病を続けている。

「前兆は何もなかったんです。定期的に出演していた通販番組のテレビ収録のあと、コンビニでパンを買ったのですが、なぜか食欲がなくなり、ひと口しか食べられなくて。翌日も胃の調子が悪く、ラーメンを残してしまって。さらにその次の日もつらかったので胃薬を飲んで家で休んでいました」(みのりさん、以下同)

 翌朝、目が覚めると目や皮膚が黄色っぽくなる黄疸の症状が出ていたため、急いで救急車を呼び病院へ。黄疸の治療で、胆汁を排出するステントを胆管に入れる処置がすぐに施された。

「さまざまな検査後、夫とともに医師の説明を聞くと、膵臓頭部に4センチメートルのがんがあり、肝臓にも多発転移、十二指腸にも浸潤していることがわかりました。何もしなければ余命2か月、抗がん剤で延命治療をしても3か月から長くても半年の命と宣告されました」

 3か月後の49歳の誕生日が迎えられないかもしれない……。号泣する夫の傍らで、みのりさんは息子2人と娘のこと、今後のことを冷静に考えたという。

「その夜からパソコンを開いて、残りの人生でやるべきことをリストアップ。子どもたちへの想いも綴りました。会社はビジネスパートナーにすべてお任せすることにしました」

 黄疸の症状は1週間ほどで落ち着き、いったん退院。その後、改めて入院し、大学病院で抗がん剤治療をすることになった。

「次はいつ家に帰れるかわからない……」と、考えたみのりさんは家族との思い出づくりを急いだ。

「キャンピングカーを借り、家族5人で富士山を見に行きました。早朝、目の前に広がったのは、年に数回しか見られない、縁起のいい赤富士。『1日でも長く笑顔で過ごせるように力を貸してください』と富士山にお願いしました」

 その後は友人に頼んで葬儀で流すメッセージ動画を撮影し、抗がん剤治療で髪の毛が抜けることを見据え、美容院でベリーショートに。実家にも帰省し、母や4人の兄弟と食事をした。さらには、家族で韓国に1泊2日の弾丸旅行へ。

「娘が韓国のガールズグループが大好きで、『いつかママと韓国に行きたい』と言っていたので、今だ、と。抗がん剤で眉毛が抜けるかもしれないので、アートメイクも入れてきました」

膵臓がんで旅立った父に伝えたかった「ありがとう」

 がんを宣告されたとき、子どもたちは13歳、10歳、8歳。年齢を考慮し、詳細を伏せる選択肢もあったが、みのりさんは包み隠さずオープンにした。それは、若くして同じ膵臓がんで亡くなった父への想いと後悔があったから。

「私は20代で父を亡くしています。心が弱い父を心配した母の希望で、本人に病名は告げませんでした。だから父にお礼を言うこともできなかった。もっと父の手を握りたかったし、せめて『育ててくれてありがとう』と最後に伝えたかった。子どもたちには、同じ思いをさせたくなかったんです」

 ママの話を真剣に聞き、現実を精いっぱい受け止めた子どもたち。

「内心は子どもたちの反応が怖かった。だから一人ひとり、表情を見ながら少しずつ話しました。余命や死の話には、不安になったようで、一緒に涙することも。

 でも、もしママの魂が身体から離れてもあなたのそばからいなくなるわけじゃないよ、映画の『リメンバー・ミー』みたいに上から見ていたり、時々会いにくるかも、って。形が変わっても、また会えるとママは信じているから、と」

 抗がん剤投与がスタートすると、副作用でだるさや痛みが現れ、指先はしびれ、髪は抜け落ちた。そんな苦しいときでも、持ち前の明るさで家族を笑わせた。

「夫に買ってきてもらった折り紙とテープを額と眉に貼って、『ドラゴンボール』のクリリンのマネをしたら、全員が大爆笑。看護師さんにも『西尾さんほど明るいがん患者さんはいない』と言われました」

 膵臓がんになって改めて自分の使命は何かを考え始めたという。

「子育てと仕事のどちらも手を抜かず、志高くやってきた。それなのに、がんで突然人生を強制終了させられそうになっている─。これは何か意味があるのでは?と思いましたね」

 もともと50代になったらボランティア活動をしたかったという。そこで、生きた証しを残して同じように病に苦しむ人たちの役に立ちたいと、今年3月からSNSでの情報発信をスタート。するとインスタグラムのフォロワーは瞬く間に5万5千人に。直筆の文章と絵で綴った書籍も制作中だ。

「仮に私がいなくなっても子どもたちの人生は続きます。『ママならなんて言うかな』という瞬間があると思うんです。そんなときに伝えたいメッセージを残すため本にまとめています」

子どもたちに残すための絵本『また会う日まで』。自費出版のほか、Kindleで英語版を出版予定

 生と死から目をそらさず、家族5人、ワンチームで病気と向き合う日々。

「死と本気で向き合うと“生”が活きてくる。今は死が身近ではない時代です。子どもたちには生きていることを当たり前だと思わず、小さな幸せを大切にして、少しでも悔いのない人生を送ってほしい。そんな言葉がけを毎日のように家族にしています」

敗血症でICUに入院「治療継続は困難」

胆管炎から敗血症になり、一時はICUに。「長男が手を握ってくれました」(西尾さん)

 がんは切れ目なくみのりさんを襲ってくる。胆管に入れたステントのトラブルで何度も胆管炎になり、3月には悪化して敗血症を発症し、ICUに入るなど、半年前からは容体が不安定になっており、入退院を繰り返している。

「4月に抗がん剤が効かなくなり、さらに強い薬に切り替えたのですが、肝臓の数値が悪化して……。CTを撮ったら、肝臓のがんがさらに広がっていたんです。これ以上の治療は難しく、先生から『あと2週間ほどで動けなくなり、余命は1か月』と、再度の余命宣告を受けました」

 今後はホスピスか自宅かーーこのあとの過ごし方を思案中だ。

「最初の余命宣告より、長く生きることができているので、もう余命について考えるのはやめました。余生を全力で生きるのが私の目標。忙しくて見失っていた日常の幸せや、家族と小さなことで笑える瞬間を、これからも大事にしていきたいですね」

 来月は、結婚式を挙げた思い出のハワイに家族で行く予定。

「私にはまだ叶えたい夢がいっぱいある。その一つひとつを諦めず、めいっぱい生きますよ!」

西尾みのりさん
コスメや美容機器の開発・製造・販売などを手がけるBARNUM代表。膵臓がんステージ4の闘病生活をインスタグラム@minori_storyで発信中。